第5話 嘆きの谷

 イチカ・リィズ・アナスタシアは嘆きの谷に来ていた。百万の亡者たちの集まる亡霊たちの谷。恨みと怨念が渦巻く地獄そのもの。

 そんな地獄をイチカは半眼で、まるで”愛おしい”もののように見つめている。

「クロちゃん、直霊なおひを呼び覚ますのを手伝って」

「うん。言霊を飛ばす、楽器のように反響させる方が呼び覚ませやすいかな」

と、クロと呼ばれた黒き狼は言う。

「そうなんだ。言霊は安倍晴明さんのやつでいいかな。」

「うん。いいよ〜」

「愛しきかな、愛しきかな。我は全ての穢れ《けがれ》を必要とする。我は其方らの存在を愛している」

イチカの虹色の目に惹かれたのか、赤いワンピースに惹かれたのか、金色こんじきに輝く髪に惹かれたのか。亡者の一人が笑顔で近づいてきて、イチカの胸のあたりに手を伸ばす。クロは遠吠えを始めた。

イチカの胸のあたりから七色の光が溢れ始める。最初に手を伸ばした亡者は白い粒となって消えていく。それがその後ろの亡者へ。斜め右へ。左へ。また後ろへ。上へ。下へ。後ろへ。円を描くように輪が拡がって、広がって、拡がり続ける。どこまでもどこまでも。それは白い鳳凰ほうおうを召喚するほどに。

イチカは目を瞑り、鳳凰の羽毛が舞う空間をゆっくりと歩く。

歩いた場所に四色の花が咲いていく。

天空に百万の大天使たちが集まっている。

一霊四魂という考え方をイチカは思い出す。荒魂あらみたまを肉体と考え、和魂にぎみたまを精神体と考え、奇魂くしみたまを感情体と考え、幸魂さきみたまをスピリチュアルボディと考え、直霊なおひを本体と考える。魔物や人間では荒魂、和魂までしかほとんど認識できない。またそれぞれに魂の文字が入っているように、それぞれを”本体”と錯覚してしまうのも致し方ない。それでも本体は不生不滅。生じるという事が無いので、滅するという事が無い。因果律を超越した存在と、私たち人間はそもそも繋がっているという驚くべき事実。そこには全てがあり、全てが無い。魔法職さいごのかみさまと呼ばれる本体。それが私の仕事。

そう、本体を忘れてしまった”存在”に本体で在る事を思い出してもらうだけでいい。それが私の仕事なのだわ。

イチカは目を開けて微笑む。

虹色の目は大空を見つめている。白い鳳凰が舞い降りてきた。イチカはそっと手を伸ばして、鳳凰の背中を撫でてやる。

「キューイ」と、鳳凰は鳴く。

鳳凰は屈む。「乗れと言っているのかしら」

「われはすでに乗った」と、クロちゃんは言う。

「うふふ。そうね」と、イチカは鳳凰の背に腰を下ろした。

鳳凰は羽ばたき、飛び立つ。

イチカは鳳凰の背にしがみつき、押し黙る。上昇が終わり、水平に移動し始めたところで、広がる雲、空、下には大地が広がっている。

「かんげき〜」と、声を上げるイチカ。

「わっふぅぅ」と、クロちゃんも喜んでいるようだ。

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