5:宵乃生医師

 宵乃生医師は記憶に残る医師である。莫迦邪県立凧中総合病院の中でも、いや、恐らく他の病院を含めても異色の医師といえる。何が、異色かというとハッキリ、モノを申すのだ。30代という若さがなせるのかもしれないが、私はむしろ好ましく感じた。「奇跡を待つ」作戦に落ち着くまで、実はひと悶着あった。


 「医者はサービス業ですわ。オーダーメイドやカスタマイズをしてご提案します。生きるのが、本人さんの希望なら、生かします。だがね、ご家族さんの希望というのはやめてください。家族はそりゃ生きるのがいいというに決まっているんだ。」


 宵乃生医師の実家は病院で、かつ老人ホームを併設していて、「そういう家族達」に辟易したようだ。これは…、背景にいくらか経験があり、対話をする価値のある人であると私は見た。そこで、私は、自分の中で解決していない父の闘病生活について、引き合いに出した。


「私の父は、余摸須江市の大学病院で、原発不明癌といわれ、いろいろ切り刻まれた挙句、ホスピスに転院させられ、失意のうちに死んだのですが、その手術は本当はしなくてもよかったのですか。」

「原発不明癌ですか。私もそれは発見は難しいかもしれません。ただ、手術は、本人さんが望まれて行われるものです。望まれなかったら、行われる必要はありません。」


 今は私の父、吾のことなど関係ないと心の狭い人であれば思うであろうが、宵乃生医師は、真正面から人の話を聞き、返答した。私は「当たり」だと思った。


 本当は、余摸須江市の大学病院の医師たちも手術前の説明をきちんとしたのかもしれない。ただし、彼らの流儀で。そして、それが患者(父)の心に響かなかったし、理解させていなかったのだと思う。これが「はずれ」。


 救急車が余山市中央に向かい、宵乃生医師にたどり着いたことは小さな幸運だ。「生きるのは、本人の希望に基づけ。他人の希望を押し付けるな。」というのは、後に介護の世界を垣間見た時、最初に理解しておいて良かったと思った。


* * *

 琉の血の状態は順調に改善に向かい、入院から10日後、肝臓から膿を摘出する手術を行うことになった。手術の内容自体は(宵乃生医師であれば)簡単なものだ。注射器を肝臓の上部にあたる皮膚に刺し、膿を出すという。


 手術は成功した。しかし、熱はひかなかった。原因は肝臓ではなく、肝臓はあくまで感染症の影響を受けただけで、別の個所が主体の様である。まだ、意識も戻らない。入院は続く。





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