3:エマージェンシーコール

 月曜日。早朝。私の携帯が鳴っている。訝しながら、電話に出ると、凧中病院からだ。

「今朝、本人さんの意識が無くなりましてー。すぐに来てください。」

 マジか。着替えながら、私は、唐突に弟、若阿須の存在を思い出した。自営業を営んでいて、いるのかいないのかわからない奴である。近所に住んでいるが、須の存在が空気過ぎて、琉が入院したことも連絡していない。

 須に電話すると、まだ寝ていた。予定を聞くと、都合はつきそうである。須の運転で、病院に向かった。


 救急の部屋の前に行き、インターホンを押すと、看護師が出てきて、我々の体温を測定し、健康チェックをして紙に記載し、説明用の部屋に通された。4人ぐらいの若い医者が目の前に入ってきた。とはいえ、「若い」というのは私の50代と相対した年齢である。具体的には30代と20代だと見受けられる。


「今非常に危ない状況です。」

 さっぱり意味が分からない。そもそも昨日、病院で状態が少々安定していて、飲み物が欲しいというのでジュースとお茶をいくらか渡したぐらいだ。


「本人さんの希望は何かありましたか。」

「何かありましたかと聞かれても。死ぬときは、ピンピンコロリがいいとは言ってましたけど。」

「ピンピンコロリですか。」

 

 キラリンと医者達が妙な雰囲気になる。このまま死ぬのを待つという結論にされかねない。


「ただ、本人まだ死ぬ気ありませんでした。コロナにかからないように、段ボールとか拭いてましたし。」


 医師の話を要約すると、コロナと別物の感染症にかかっている。ただし、原因が特定できておらず、全身に菌が回っている状態である。抗生物質を投与しているが、改善の見込みがない。今のところ、肝臓に溜まっている膿を手術で取り除けばいいかもしれないと考えているが、本人の免疫力がかなり低下していて、現時点では、手術自体が出来ない、ということだ。

「今のところ、奇跡を待つしかないという状況です。」


「ええ、もう、専門家にお任せするしかなくー。」

やばい。須が涙ぐんでいる。弟は打たれ弱い。


「じゃあ、奇跡を待ちます。」

 私は言った。本人の免疫力次第というところなら、まだ本人によるではないか。


 そこで、奇跡を待つという方針になり、

「会えるうちに会っていってください。」

という医師の計らいで、救急の母の処に通された。

 琉の顔色は良く、手足をバタバタさせていたが、これは無意識らしい。そして、一番特筆すべきことは、目が開いていて、焦点は合わず、涙の代わりに大量の膿を出していたことだ。


 琉の目が既に駄目になったことはこれで分かった。唐突に、私は日本神話のイザナミの話を思い出した。神話や昔話というものは、案外、部分的に現実を含んでいる。神話のイザナミはその朽ちた姿を見られて実世界には戻らなかったが、琉は、冥界の一歩手前で踏ん張っているのだ。血色がいいのに、死ぬなんて私には思えない。


 医者に言わせると、体力と免疫力は違い、血色=体力のほうとなるのだろうが、私は自分の勘を信じる。私にできることは、琉に生きようとする環境を作ることである。


 須は「やばい。やばい。」と帰りの車の中で、ずっとつぶやき、沈んでいたが、私は、次の手を考えていた。



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