第41話(最終回)

 ※この小説は、暴風雨ガール~続・暴風雨ガールの続編です。


 九月初旬に大阪に戻り、詩織の住民登録で世話になった岡本氏の紹介で、大阪市内の小さな不動産会社の契約社員で働き始めた。


 ずっとこの会社で働く予定はなく、宅地建物取引主任と司法書士の資格を得たら、もう一度兎我野町あたりに事務所を出していつかはリベンジしようと考えていた。


 たまにT社の部長から連絡が入ることがあり、所在調査や企業調査で報告日まで余裕のある案件だけを受けていた。


 部長は「一日だけの一発勝負の尾行案件があんねんけど、やってくれへんかな、人がおらんねん」と言ってくることもあったが、尾行調査はもうやる気が起こらなかった。


 私は京阪線の森小路駅近くのシェアハウスに住んだ。

 真鈴から「部屋が空いてるんだから来たらいい」と言ってくれたが、女子大生がひとり暮らしの家には住めない。


 両親が再び別居したと言っても、母は堺市内の宗教団体の施設を行ったり来たりの出家状況なので、いつ帰って来るかも知れないし、父は前回と違って失踪ではなく、大分県の日田市内に住んでいる。


「お母さんがいない日は戸締りはキチンとしろよ」と注意して、それでも心配だから殆ど毎晩のように電話やSNSで連絡を取り合っている。


 私が大阪のシェアハウスに入居して数日後、ルームメイト数人とも言葉を交わしたり、部屋の整理も一段落して落ち着いたので、沢井圭一氏のスマホに電話をかけてみた。


「どうもご無沙汰しています」 


「これは岡田さん、お久しぶりです。こちらから連絡するべきでしたが、ちょっと慌ただしかったものですから、申し訳ありません」


 沢井氏は驚いた様子であったが、すぐに今の状況を落ち着いた口調で話しはじめた。


「鹿児島の牧園に来ていただいたときには半ば別れていたのですが、彼女が大分の介護施設で働いているのが分かりましてね、こっちに来てしまったというわけです。

 家内もやっぱり宗教団体との関係が切れず、無理に抑えるわけにもいきませんし、行ったり来たりをするようになりました。真鈴はしっかりした娘ですから、もう大丈夫と判断したんですよ」


 彼女というのは森京子のことである。


 もう八年半にもなるだろうか、沢井氏は経営する化学関係の会社がついに資金繰りが行き詰まり、妻と当時まだ小学生だった真鈴を置いて失踪した。


 一時は徳島の穴吹療育園の森京子の社宅に住んでいたが、間もなくふたりで彼女の出身地である鹿児島へ移った。

 その後の経緯は長い長いこの物語で記述してきたが、その森京子と今はまた一緒にいるという。


 真鈴とは二日に一度は電話やSNSでやり取りを交わしているらしい。

 夫婦は離婚したわけではなく、お互いの自由をお互いが束縛することは、結果的に悲しいことになるだろうと考えての、双方が同意してそれを真鈴にも伝えたうえでの行動だったとのことである。


「真鈴さんはかなり動揺して連絡してきましたからね。大丈夫なんでしょうか?」


「何かあれば大阪に飛んで帰りますよ。今はSNSのアプリを利用して、無料でお互いの顔を見ながら会話できるんですよ。真鈴が教えてくれました。だから大丈夫です」


 沢井氏は失踪しているわけではない。私は納得して電話を切った。

 彼が言うように、アプリを使ってお互いの顔を見ながらの会話が可能な時代なのだ。何も心配は要らないだろうと私は思った。



 いつの間にか秋風が肌寒く感じ始め、季節は十一月初旬になっていた。大阪に戻って来てから二か月ほどが経った。


 不動産会社での仕事はそれほど忙しくなく、T社からたまに依頼がある所在調査は休日などに出向いて結果を出していた。


 岡山の吉備高原での調査を終えて帰ってきた土曜日の夜ことだった。私は久しぶりに安曇野に顔を出した。


「あら岡田さん、ご無沙汰ね」


 女将さんはいつもの言葉を投げかけた。店の常連客のひとりも「どないしてはりましたんや?」と言う。

 店に立ち寄るのは三週間ぶりくらいであった。


「今は二つの仕事をしていますからね、休みがありません」


「ぎょうさん稼いだら、たまにはご馳走してくださいよ」


 もうひとりの古くからの常連客が軽口を飛ばした


「いや、貧乏暇なしを地でいってるだけなんですよ」と私は苦笑いをして言った。


 しばらく冗談を言い合い、秋の夜長を酒で紛らわしながら、本当に静かな夜と穏やかな店の雰囲気だなと思った。


 静かな夜は酒でも飲んで寂しさを麻痺させるしか術はなく、私は東京での北前京子とのことや、名前に「織」がつくルームメイトばかりのゲストハウスでの日々を思い起こしていた。


 今住んでいる森小路のゲストハウスは、新丸子のゲストハウスとは違って部屋数も十二あり、様々な年齢の人が住んでいた。


 比較的よく言葉を交わすルームメイトの中には、現役の大学生もいたし、職業を言いたがらないフリーターのような女性もいたが、皆がある一定のプライベートを越えての付き合いまでは望んでいない雰囲気があり、それはまたある意味で快適ではあった。


 ときどき店のテレビ画面に目をやりながら、ビールを飲んでいると。

 ある民放で「助け合うゲストハウス暮し」というタイトルでドキュメンタリー番組が始まった。

 面白そうだなと思って観ていると、何とこの前まで住んでいた新丸子のゲストハウスが紹介されていた。


「こちらは五部屋の小規模なゲストハウスで、都内や首都圏にはたくさんのゲストハウスがある中では珍しいと言えます。そんなわけで、こちらではルームメイトの方々が普段から仲が良くて、週に一度は共有リビングで小さなパーティをするとのことです」


 某タレントが紹介し、パーティの様子が画面に映った。

 そしてひとりひとりにゲストハウスでの暮らしぶりを訊いていた。

 私はテレビ画面に釘づけになってしまった。


「岡田さん、どうしたのかしら?」


 グラスを手に持ったまま動きが完全に止まった私に、カウンター越しの女将さんが不思議そうな顔で言った。


「いえ、何でもないんです。ゲストハウス暮らしって楽しそうだなって」


「そうなの、私は知らないけど、知らない人たちが一緒に住むのよね」


「そうなんですけどね、何だか楽しそうじゃないですか」


 するといつも他人の悪口ばかり言っている常連客のひとりが、「大阪にも増えてるみたいでっせ。

 家賃とか安いんとちがいまっか?そやけど、私らには無理ですな」とテレビに目を向けながら言った。


 そりゃあそうだろう、アンタみたいに人の批判ばかりする人間は無理だ。

 ゲストハウスというところは、ルームメイトたちが何故ここにたどり着いたのかということから気遣いをして、お互いに協力し合って生きていく場所なんだ。


 私は口には勿論出さなかったがそう思った。


 ルームメイト全員のインタビューを終えたタレントが、「このゲストハウスは、偶然にしては驚くようなことがひとつあるんです」と言い、そのことを本当に驚いた表情で語った。


「こちらの方々は、皆さん名前に織という漢字が付くんです。こちらから、香織さん、沙織さん、詩織さん、依織さん、そして一番新しく入居された美織さんです。これは驚きですね」


 私は驚きよりも、もはや呆れてしまった。今度は「ミオリ」らしい。

 何だって言うんだ、まったく。


「あら、そんなにこの番組が面白いのかしら?」


 テレビを観ながらニヤニヤしている私に女将さんが言った。


 面白いんですよ、本当に面白い。何かに仕組まれたとしか考えらえないようなことが、この世の中には現実にあるんですよ。


「彼女たち、幸せそうですからね」


 私は女将さんにそう言った。そのときスマホが鳴った。着信は真鈴からだった。


「今どこにいるの?」


「今は、そうだな、すごく綺麗な女将さんがいるお店だよ」


「フーン、私より綺麗?」


「そんなわけないだろ、真鈴が一番に決まってる」


 ずいぶん以前に同じような場面があったような気がしたが、私はこころから真鈴がこの世の中で一番綺麗だと思った。


「明日、そっちへ行っていいかな?」


「オッケー、何か手料理を造って待ってるよ」


 有希子と別居してからのこの二年半ほどは、もしかすれば長い長い夢の中なのかも知れないとも思ったが、有希子は天国へ翔んでいってしまって今はもういない。現実なのだ。


 徳島の関さんも律子さんもすでに自分の人生を翔び跳ねている。

 そして東京の北前京子も、ゲストハウスの彼女たちも飛翔しはじめている。


 私と真鈴はようやく環境が整ったと言える。

 大空を翔ぶがごとく。


-了-

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翔ぶ彼女たち 藤井弘司 @pero1107

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