第32話

 月曜日からまた機械仕掛けのような日常が始まった。


 スマホの目覚まし時計で決まった時刻に起きてシャワーを浴び、決まった時刻の電車に乗って決まった時刻に職場のドアを開く。


 そこにはパソコンを設置したデスクが、一番奥が見えないくらいの距離まで何百と並んでおり、スタッフの着席を待っている。

 決まった時刻にパソコンの電源を入れて、決まった時刻から仕事のスタートだ。


 決まった丁寧な言葉で「金を払え!」と脅して電話を切る。

 もちろん電話を切るのは客が切ってからである。


 ときにはカード決済をしていない客が逆切れして、その対応に時間がかかることもあるが、金貸しや探偵業の難しさに比べるとたいしたことじゃない、子供だましみたいなものだ。


 丁寧に未決済を教えてあげているのに、逆切れするとは道理がいかない。

 逝ってしまえばいいのにと思うが、言葉の上ではお詫びして支払えとやんわり脅す。

 そんなことの繰り返しである。



 北前京子と飲んで朝帰りをした翌週の金曜日、私はようやく一週間が終わった安堵感と解放感に浸りながら、都営三田線の御成門駅に向かって少しふらつきながら歩いていた。


 仕事のあと、行きつけの飲み屋でほんの少しだけ飲んだのだが、疲れていたのかアルコールのまわりが早い。


 月が替わればすぐお盆である。

 いくら日が長い夏といっても、御成門駅の近くまで来ると、夜空に突き立った東京タワーが何色かのイルミネーションを駆使して、その存在を都民に示していた。


 ゲストハウスに帰った時刻は午後十時を過ぎていた。


 ドアを開けると名前に「織」がついた三人がリビングに勢揃いしていた。


「あっ、お帰りなさい。岡田さん、ちょうどよかった」


 いきなり沙織が言った。


 私がリビングに入ると香織はお酒を、沙織は白ワインを、詩織はコーラをそれぞれ飲んでいた。


「ちょうどよかったって?」


「香織さん、やっぱり元ダーさんのこと断ったんだって。それでね、実は・・・」


「沙織ちゃん、そんな、いきなり言わないで。岡田さんだって帰ってきたばかりなんだから」


 香織が待ったをかけた。


「かまわないじゃない、良い話なんだから」


 沙織が言った。私は何のことか分からず、リビングに突っ立っていた。


「岡田さん、今日も残業ですか?」


 詩織が不機嫌そうな顔で訊いた。


「残業のあとちょっと飲んできたんだ」


「ちょっとだけじゃないようですけど」


 詩織は不満そうな表情で言い、プイッと横を向いた。

 私は疲れ切っていて言葉もスムーズに出なかった。


「岡田さん、死人みたいな顔をしているよ。どうしたの?」


 沙織が無茶苦茶な言葉を浴びせてきた。


 確かに私は疲労困憊していて、頬がげっそりとしているのかも知れず、沙織に足をコンっと軽く蹴られただけで、一気に身体がバラバラに分解してしまいそうだった。


「ちょっとシャワーを浴びてから話を聞くよ」


 そう言って私はようやく部屋に入り、それからバスルームへ飛び込んだ。


 鏡で見る自分の顔は目が落ち窪み頬は痩け、明らかに沙織が言うように死相が漂っているようにも見えた。


「残業し過ぎだな」と私は無意識に呟いていた。


 バスルームから出ると、名前に「織」のついた三人はますますご機嫌な調子で飲んでいた。


「シャワーの時間が長いよ。どこを洗っていたの?」


 沙織が容赦ない物の言い方で私を責めた。

 私は冷蔵庫から缶ビールを取り出してひとつだけ空いている椅子に座った。


「それより香織さんが元ダーさんのヨリ戻しを断ったって、さっき言ってたんじゃなかったの?」


「そうだよ。だからよかったねって三人で祝い酒ってわけ。元ダーさんにキチンと電話で断ったんだって。

 会うとこころが揺らいで本当の気持ちを伝えられないよって、私たちが香織さんにアドバイスしたのがよかったんだよ」


 沙織がワイングラスを回しながら説明した。


「香織さん、それが本当の気持ちだったの?」


 私は正面に座っている香織に聞いた。

 香織は片手で頬杖をついて、けだるそうな表情を浮かべて小さなグラスで日本酒を飲んでいた。


「そりゃそうだよ、岡田さん。訊くまでもないことだよ。それからね、もっといいことがあったのよ」


 沙織がまるでイニシャチブをとっているかのように、ニヤニヤしながら言った。


「沙織ちゃん、あまり言わないで。どうなるか分からないのだから」


 香織が「フフフッ」と自嘲気味に笑って沙織のフライングを窘めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る