第28話
※この小説は、暴風雨ガール~続・暴風雨ガールの続編です。
一向に梅雨明け宣言がされないうちに、七月半ばには日中の気温が三十度を超える日が続き、さすがに気象庁も宣言をしない訳にはいかないようだった。
詩織と深夜涼みで多摩川土手やシェアハウスの近くを徘徊した夜以来、彼女はリビングなどで顔を合わせると私に何か言いたそうだったが、そのときは他のルームメイトもいたのでプライベートな話はしてこなかった。
金融会社のカスタマセンターの仕事は、慣れてくると残業を依頼されることが多くなり、シェアハウスへ帰り着くとすでに午後十時を過ぎている日が続いた。
私はかなり疲れがたまっていた。
翌週の金曜日の昼休み、私はビルの外に出て芝公園の木陰のベンチで、コンビニで買ったおにぎりを食べていた。
すると北前京子から電話がかかってきた。
「今どこにいますか?」
「今?ああ、芝公園でおにぎり食ってる」
「暑いのに、大丈夫ですか?」
「木陰のベンチにいるから」
京子は他のスタッフのフィードバックのため会社に来ているという。
そして「暑いから今夜仕事が終わったらビールでも飲みに行きませんか?」と誘ってきた。
勿論私はオッケーをした。
「じゃあ今夜は上野でもいいですか?」
「いいけど、少し残業を言われそうだから、20時ごろでも構わないかな?」
「大丈夫です。私も週末だから残務整理をしなくちゃいけないし」
私たちは前に一度会った上野駅構内のフラワーショップの前で、二十時に会う約束を交わした。
そしてこの日の午後からもカード決済未決の客に電話をかけまくり、途中である顧客との応対がクレームに発展したこともあって、心身ともにすっかり疲れてしまった。
クレジットカードの利用状況は個人の与信でもあるのに、あまりにも未決の客が多すぎることに驚く。
二十時少し前に待ち合わせの場所に着くと、京子はすでに店の入り口の近くに立っていた。
「もうお腹ペコペコなんです。すぐ近くのお店に入りませんか?」
会ってすぐに京子は言った。こういう言葉は若いから言えるのだろうと私は思った。
「じゃあ前に入った店にしよう」
私たちは巨大な上野駅構内の京成電鉄側にあるスペインバルに入った。
この店は三か月ほど前に立ち寄って、京子がワインを飲みすぎて泥酔し、想定外の出来事の発端となった店である。
週末の金曜日だけあって、テーブル席はほぼ満席に近かったが、運よくふたりテーブル席が空いていた。
私たちはイワシのマリネとアヒージョ、それと生ハムにパエリアを注文し、ビールのあとは前回と同じスペインワイン飲んだ。
「今日は前みたいに酔わないようにね」
「大丈夫です。今日はペースを守ります」
京子はそう言ったが、私の職場の様子や問題点の有無などの話題から、彼女が担当しているクライアントの不満などを話しているうちに、次第にワイングラスが空になるペースが早くなり、やっぱりこの日の夜もかなり酔いはじめた。
「北前さん、やっぱり酔ってる」
「酔ってませ~ん、これくらいのお酒、どうってことないから」
「その言い方がもう酔ってるって」
二十二時になったので帰ろうと提案したが、京子は頑なに聞かなかった。
「家になんて帰りたくないの」と言いはじめ、その声は次第に大きくなってきて、周りの客たちの視線を感じて慌てた。
「ともかく出よう」
京子はブツブツと不満を言っていたが、私が促すと立ち上がってあとに続いた。
どうも彼女は酔いはじめると仕事やプライベートの不満が次々出てきて始末が悪い。
そろそろ帰ろうと言うと「もう一軒行きたい。明日休みだから」と引かない。
やむなく同じ上野駅構内の三階にあるアイリッシュパブへ飛び込んだ。
京子はここでもトルティーヤナチョスをつまみにドラフトビールをあっという間に飲み干して、さらにギネスビールをハープパイント、私はすでに酩酊寸前だったのでホアローゼスをチビチビ飲む程度に控えた。
「すみません、そろそろラストオーダーですがご注文はございますか?」
しばらくすると店のスタッフが席に来て告げた。
この店は午後十一時で閉店らしい。
アイリッシュパブにしては珍しいが、おそらく駅構内に店があるので深夜から明け方の営業は不可なのだろう。
京子は「じゃ、ギネスビールをもうハーフパイントください」と言い、私が「もう結構です」と言ったことに不満そうな顔で睨んできた。
結局、京子がギネスビールを飲みほしてから店を出て、まだ動いている銀座線の乗り場に急いだ。だが京子は歩いて帰ると言う。
「ふた駅だから涼みながら歩いて帰るの。お疲れ様、ごちそうさま~」
「いやいや、ひとりでこんな夜中に物騒だろ。困ったなぁ、タクシーを拾ってあげるよ」
「いいの、歩く」
大阪の真鈴もかなり強情なところがあるが、北前京子の強情さは危なっかしくて放っておけない脆さのようなものを感じ、私はやむなく家まで送っていくことにした。
上野駅を出て浅草通りを東へ二十分ほども歩くと東京メトロ銀座線の田原町駅、彼女の家は駅のすぐ近くだと言う。
浅草通りは金曜日の夜だけあって人も車も深夜まで往来が頻繁だった。
前方に見えるスカイツリーが光り輝いていて、少しずつ近くなってきた。
「何も喋らないんだな」
「な~に」
「さっきまで店でブツブツ言っていたのに」
「週末は帰りたくないのよ。そうだ、隅田川まで行きません?」
田原町駅が近づいてきたときに京子は言った。
浅草寺の雷門の前を抜けると隅田川に架かる駒形橋である。
「じゃ、スカイツリーを観て、それから家に帰ろう」
「分かりました」
私たちは自然と手をつなぎ、駒形橋の手前を川沿いの土手に降りて、目の前にそびえ立つ夜空に輝くスカイツリーをしばらく眺めた。
「綺麗だなぁ」
「夜のスカイツリー、私ときどき夜中にこの辺りまで来て。スカイツリーをしばらく観てるんです」
「ひとりで?」
「ひとりだもん」
「危険だからこれからはやめなさい」
「お父さんみたいなこと言わないで」
北前京子は第二の真鈴みたいだなと思った。
彼女も様々なことで苦悩しているのだろう。
十数分間、隅田川の川面とスカイツリーを観てから浅草通りを戻り、国際通りから少し入ったところにあるマンションの手前で別れた。
「ここの八階に住んでるの。今夜はありがとう」
そう言い残して京子はオートロックを解除してマンション内に消えた。
時刻はもう午前零時をかなり過ぎていた。来た道をゆっくり戻ることにした。
どうせ明日明後日は休みだ。
上駅に戻る途中、私はいったい何をしているんだろうと、久しぶりに自分を客観的に観察して、そして少し落ち込んでしまうのであった。
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