第24話

 四月が疾風のように過ぎ去り、五月も大型連休が明けたあとは一気に駆け抜け、あっという間に六月になっていた。

 そして私は東京に住んでいる。


 下請けで調査の仕事を回してくれていたT社も京都のA社も、ここ数年の個人情報保護法の制定や、オレオレ詐欺などの悪質な電話による詐欺事件の多発などから、調査の依頼を受けてもこれまでのように聞き込み調査での判明が困難になり、次第に依頼件数も減っていた。


 T社もA社も自社の調査員は数名で、外注先を数か所抱えての営業形態だが、依頼が減れば下請けに出す件数も当然減る。

 私に調査依頼があった件数は、四月が二社合わせて三件、五月がT社のみ二件という結果であった。


 事務所経費や家賃を支払っても、私ひとりなので勿論赤字ではないが、時間を持て余しがちになっていた。


 律子さんは四月で事務所を去り、五月からは某商事会社に正社員として勤めはじめていた。


 東京のN社からの依頼案件を終えて帰阪した数日後、事務所に出勤してきた律子さんから辞める報告を受けた。

 私は予期していただけに「おめでとう」と言って、彼女の再就職先が決まったことを祝い、心から喜んだ。


 律子さんとは、手伝ってくれたこの一年ほどの間にいろんなことがあった。

 お互いが酔った勢いで男女の関係に突入してしまいそうな夜もあったが、寸前のところで辛うじて避けられた。


 兄が勤務先から不当な解雇を受けたことの相談を受け、私がもっているだけの知識と精神力を振り絞って、相手企業から何とか補償を勝ち取ったことが今も嬉しく、そしてまだ半年余り前のことなのに懐かしく思い出された。


 真鈴は京都で遅咲きの桜を楽しんだ日、まるで二度と会えない男女のようにホテルでお互いの気持ちを確かめ合い愛し合ったが、その日を最後とすることに彼女も同意した。


 愛し合いながらも別れを選択することは、こころというものが形として存在していたとすれば、それをズタズタに切り裂かれたような辛さだった。


 ただ、真鈴が大学を卒業して社会人となったときに、まだお互いの気持ちが変わらず維持されていたら、そのときはもう一度会おうと約束した。

 そして私と真鈴はいったん別れた。


 真鈴の父捜しのキーパーソンだった徳島の関さんも律子さんも、そして真鈴も、それぞれの人生の四十五度上方に向かって翔んでいって欲しい。

 私は毎日こころの中でそう願っている。



 私は今、多摩川のほとりにあるゲストハウスに住んでいる。

 五階建マンションの元オーナーの住居だった最上階部分を五つに小さく区切って個室とし、リビングとキッチン、バスルーム、そして男女別のトイレを共有スペースとしたものである。


 首都圏にはゲストハウス或いはシェアハウスと呼ばれる居住スタイルが普通にあり、五月になってから一刻も早く大阪を離れたい私は、すぐに入居できるとWebに載っていたこのゲストハウスの管理会社に問い合わせた。


「審査があります。二、三日お日にちを頂戴できますか?」


 審査とは何かを聞いてみると、現在の入居者たちに了解を取る必要があるという。


「そんなことが必要なのですか?」


「他のゲストハウスですと入居者の了解なんて要らないんですが、岡田様のご希望されているところはちょっと事情がございまして、彼女たちの了承を得ないとご返事できないんです」


「彼女たち?」


「そうです。ルームメイトとなる方達ですね」


「ルームメイトは女性ばかりなんですか?」


「そうなんです」


「そこが女性専用なら他のゲストハウスを紹介してください」


「いえ、女性専用なんかじゃありません。そういう規制はないのですが、今住んでいる方たちに簡単に岡田様のことを伝えて、了解を得る必要があるのです」


「面倒なことが必要なのですね。ちょっと納得がいきませんが、ともかく審査してください。できれば十日以内に上京したいのです。急いでいます」


 上京する日がグズグズと延びると、せっかく決断したこころが揺らいでしまいそうだった。

 事務所も殆ど片付いたし、管理会社にも五月中に退去すると伝えていた。


 北前京子からの紹介で、東京での勤め先も既に決まっていた私は、一刻も早く自分を違う環境に置きたかった。


「FAXで送っていただきました岡田様の情報を、一部彼女たちに報告させていただきます。もちろん個人情報にあたる部分は伝えません。こういう方が入居される予定だが、異論はありませんかという確認程度ですからご安心を。まことに恐縮ですが今しばらくお待ちください」


 そう言って担当者は電話を切った。


「こういう方が入居される予定だが・・・」なんて説明が必要なら、私の個人情報もある程度伝えるだろうに、彼の説明がどうも腑に落ちなかったが、その数日後、担当者から晴れて入居許可が出たとの連絡があった。


 私は納得がいかない気持ちのまま、ともかくゲストハウス宛にわずかな衣類などを宅配便で送り、予定していた日の午前の新幹線で東京へ向かった。


 その日、私は未練たらしく新大阪駅から真鈴に電話をかけた。


 彼女はすぐに出たが、大学の講義中だった。

 だが真鈴は「ちょっと待って」と言い、スマホの向こうでガタガタと音がしたあと再度電話に出て、「私たち、終わってないからね。そうだよね光一」と涙声で言うのだった。


「講義中だろ?」


「そんなのどうだっていいのよ。本当に終わってないよね、どうなの?」


「当たり前だ、終わってなんかいない。今のまま真鈴とたびたび会っているとどうにかなってしまいそうなんだ。君だってそうだろ?」 


「うん、歯止めが効かなくなる。きっと」


「だからな、この前は君が卒業するまで会わないでおこうって言ったけど、それまで我慢できないから、一年いや二年でもいい、少し冷静に距離を置こう。それでもお互いの気持ちが変わらなかったら、そのときは絶対に我慢なんかしないから。いいね?」


「うん、そうだね、それでいい。光一、好きだよ」


「僕だって、新幹線に飛び込みたいくらい好きだ」


「バカな例えをしないで」


 最後はふたりとも少し笑って電話を切った。


 そしてその日の午後、管理会社の担当者立会いのもとに、晴れてゲストハウスの一員となったわけである。


 ゲストハウスの玄関の鍵は暗証番号でロックを解除する仕組みになっていて、部屋の暗証番号とともに書かれたメモを一枚渡された。


「食器や調理器具、それにキッチン用品やサニタリー用品もすべて当社が支給します。在庫がなくなりそうになったら、あそこのホワイトボードに書いておいてください。掃除担当者が二週間に一度来ますから、そのとき確認して次に来るときに補充します。二週間に一度ですから早めに補充希望していただければ助かります」


 ゲストハウスのリビングは八畳程度の広さのフローリングで、大きな食器棚と掃除機やアイロン台があり、真ん中には四角いテーブルとゆったりと座れる椅子が四脚置かれていた。


 カウンターを挟んだ向こう側にはキッチンスペースがあり、大型冷蔵庫やガスコンロ、電子レンジやトースターなどもあって不自由はなさそうだった。


 リビングを囲むように五部屋の個室があり、バスルームは一番奥の部屋の前、トイレは玄関近くに男性用とバスルーム横に女性用が設けられていた。

 さすがに目下のところ女性ばかりが住んでいるだけあって、リビングもキッチンも整理が行き届いていた。


「それで、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」


「何でしょう?」


「ここに入るにあたって審査があったようで、つまり、今住んでいる女性の了承を得ないといけないとか、そんなことを受付してくれた担当の方が言っていたのだけど、どういう審査だったの?」


「岡田様が入居される部屋は三年ほど前に男性が出て行かれてから女性が入られて、以後はずっと女性だけになったのです。

 でも女性専用のゲストハウスではありませんから、空きがあれば男性からの問い合わせもあります。

 岡田様の部屋は以前空きが出たときに男性が入られたのですが、ちょっとトラブルになってすぐに出て行かれました。それからは彼女たちが次に入居希望される方のへの条件を付けているんですよ。

 だから了解を得ないと彼女たちが断固拒否されるんです。困ったと言えば困ったことになっているのですが、結束が固くて私共も今は彼女たちの意向に従っているわけでして・・・」


「どんなトラブルだったのですか?」


「詳しくは分からないのですが、女性がシャワー中にその男性が覗いたとか、単に洗面のためにバスルームのドアを開けただけだとか・・・まあそんな他愛のないことだったようですけど」


「覗きはいけません。決して他愛のないことではないでしょう。しかしそれ以後、女性たちがユニオンを組んでいるってことですね?それはちょっとやりにくいな」


「えっ?」


「いえ、ともかく僕は彼女たちの審査をパスしたわけですね?」


「はあ、まあそういうことになります。それでは私はこれで失礼します。快適なシェアハウス生活をお過ごしください」


 担当者は複雑な表情でそう言い残し、まるで逃げるように立ち去った。

 東京での私のゲストハウス暮らしには、そういう奇妙な経緯があったのだ。

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