第21話

「どうしたの、風邪?」


 真鈴はいきなり訊いてきた。


「いや、どうかな?七度八分は僕としては微熱の範囲だから、心配はいらないよ」


「日曜日、無理しなくていいよ。土曜日に帰って来るの?」


「いや、一日早く明日の午後の新幹線で帰ろうと思ってる。想定外のことが起きて、身体が戸惑ってるだけだから。ありがとう」


「想定外のことって?」


「いや、想定外の熱が出たからってことだよ。でも大丈夫」


 ともかく大阪に着いたら連絡すると言って、私は電話を切った。


 やっぱり不安なときに私が無意識に連絡をする相手は真鈴なのだ。

 そして彼女は私の気持ちを裏切ることなくすぐに連絡をくれる


 ともかく、北前京子のことは本当に想定外だった。

 熱発の原因は、彼女との意外な展開に身体が戸惑ってしまったとしか考えられないと思った。


 明日大阪に帰ったら、土日は真鈴の言うとおりに無理をせずにゆっくりしよう。

 そして月曜日は律子さんが相談があると言っていたから、それを聞いてやろう。


 そんなことを考えているうちに、いつの間にか私は寝入ってしまっていた。


 身体中から汗が噴き出している感覚で目が覚めて、時計を見ると午前三時を過ぎていた。

 何と十時間もぶっ通しで寝続けたのだ。

 掛け布団を蹴飛ばして起きると、シャツも下着も汗で濡れていた。そして身体が軽くなっていた。


 ホテルの従業員が置いていった体温計で測ってみると三十六度、やっぱり汗と一緒に身体の灰汁も出してしまうと熱は下がり、身体も軽くなるのだ。


 シャワーを浴びて汗と灰汁を流し、再びベッドに横になり様々なことを考えた。

 私はいったい何をしているのだと。


 有希子がこの世に居なくなってから、私自身の生き甲斐というものを感じなくなり、見えなくなってしまっている。


 口喧嘩もしょっちゅうだったが、やっぱり有希子の存在は大きかったのだ。


 あのあっけらかんとした明るい性格、物事に一切固執しないあっさりとした生活。

 彼女と暮らしていたときは、まるで心地良いぬるま湯に浸かっている感覚があった。


 私はベッドに仰向けになって、天井を見ながらそんなことを思い起こした。

 自然と両方の目じりから涙が耳へ流れ落ちた。

 そしていつの間にかまた眠っていた。


 朝八時過ぎに再び目が覚め、ホテルの一階で朝食バイキングをとった。

 九時半ごろにC社の広報の柴田部長にアポイントを取るための電話をかけようと思っていたら、N社の須田社長から電話がかかってきた。


「岡田さん、おはようございます。C社の案件ですが、あの件はもう終了で構いません。そしてレポートも不要となりました」


「えっ、どういうことでしょうか?」


「実はさきほど依頼人から電話がかかってきました。昨日、岡田さんが本社を訪問してくれたおかげで、新たな車種への調査が入っていることを会社の上層部が認識して、昨夜緊急会議があったようです」


「はい、それでどうなったのでしょうか?」


「結局、確率としては低くとも新車種へのトラブルやクレームの懸念があるから、リコールせざるを得ない、しなければ企業の存続にまで関わるということで、急きょマスコミやその他にリコールを発表する動きになったとのことです」


 依頼人としては、自分たちが勤める会社の上層部がよい方向性を決めてくれたのだから、これで調査の目的は達せられたということらしい。

 愛社精神の表れと、車を愛する人間という観点から素晴らしい社員たちだと思った。


「分かりました、よかったですね。企業のためにもユーザーのためにも。私は調査と呼べるほどのことは何もしていないのですが」


「いや、岡田さんのいきなりの訪問がよかったのではありませんかね。ありがとうございました」


 須田社長は私に礼を言った。レポートも不要と言う。


「いえいえ、こちらこそありがとうございました。それでは社長、今日もう一泊ホテルを予約していただいていますけど、今日のうちに大阪へ引きあげさせていただいてもよろしいでしょうか?」


「はい、それで結構ですよ。お疲れ様でした。報酬は本日中に口座に振り込ませていただきます。また助けていただくこともあるかと思いますので、その時はどうぞよろしくお願いします」


 須田社長の電話を切って部屋を出て、フロントで今日の宿泊をキャンセルした。


 それから私は東京駅へ向かった。

 まるで何かに追われているような感覚で、のぞみに飛び乗った。

 

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