第20話

 C社の本社は山手線・浜松町駅から直結している巨大な高層ビルに所在していた。

 ロビーでビル内のテナント一覧を確認すると、自動車メーカーとしては小企業だとしても、五階~七階の三フロア全部を使っているようであった。


 五階が受付と書かれていたのでエレベータで上がると、出た正面にかなり広い受付カウンターがあり、その向こうがショールームになっていて、数台の新車が並んでいた。


 少し気後れしそうになりながらも受付にいた三人の女性のひとりに「広報部の部長さんとお目にかかりたいのですが」と伝えた。


「お約束されていらっしゃいますか?」


 C社のイメージキャラクターで使われている、アメリカのアニメ主人公のワッペンが制服の胸に付けられている女性が訊いた。


「いえ、アポイントは取ってないんですが、ちょっと大事な要件なんです」


 私は岡田探偵調査事務所の名刺を手渡して言った。


 女性は私の名刺をしばらくジッと見ていたが、少々お待ちくださいと言って内線電話をかけた。


 しばらくして「はい、かしこまりました」と言って電話を切った。


「広報部長は柴田と申しますが、あいにく本日は静岡の工場へ出張でございます。代わりに五十嵐という次席が参りますので、こちらへどうぞ」


 彼女はカウンターから出てきて、私をショールームの近くにいくつか設けられている応接室のひとつに案内した。


 数分後にお茶が出され、それからまた数分経ってから四十代後半に見える男性が現れた。

 差し出された名刺を見ると、企画室次長・五十嵐某とあった。


「広報部の柴田部長は本日静岡の方へ出向いておりまして、私が広報関係にも関わっておりますので対応させていただきます。探偵調査事務所の方が、いったいどのようなご用件でしょう?私で分かる範囲でしたらお答えいたしますが」


 五十嵐次長はソファーに腰をおろし、私を見てやや不審そうな顔つきで言った。


「実はですね、御社が少し前に発売されたミニカーについてなんですが、これまでユーザー様から運転する上での何か不具合が発生したとか、問い合わせなどはございませんでしょうか?」


 私は単刀直入に訊いてみた。

 広報部にも関わっている立場上、新製品にトラブルがあったとすれば何か知っているはずである。


「いえ、これまでそのような話は聞いたことがありませんね。お客様のおひとりが、ハンドル操作を誤って軽い事故を起こしたという話は発売後お聞きしましたが」


 五十嵐次長は、今度は苦笑いをしながら表情を緩めて答えた。


「そうですか・・・後輪の部分に何等かのトラブルがあったという話は、ユーザーさんから入ってきていませんか?」


「トラブルですか?そうですね、まったくそのような類は聞きませんね」


 彼の表情を見ると、まんざら嘘を言っていたり動揺している様子は窺えなかった。


「分かりました、それでは結構です。柴田部長様は明日ご出社されますでしょうか?」


「明日は朝からこちらに出ております」


「では明日あらためて柴田部長様に電話させていただくかもしれませんので、よろしくお伝えいただけませんでしょうか」


 最初から問いかけに対して答えがもらえるとは思っていない。

 私は早々に引きあげることにした。訪問したという目的は一応達成したからである。


 いきなりやってきた訪問客が探偵調査会社の者で、新製品についてのトラブルや問い合わせの有無を訊いてきた。

 相手とすれば、何だ何だ?どういうことだ?と思うのが普通である。

 今日の調査はこれで十分だ。



 ビルを出てN社に電話を入れ、須田社長に経過だけを簡単に報告した。


 明日、広報部長に電話をかけてアポイントが取れたら、C社を再訪するつもりであると説明すると、須田社長は「岡田さんにお任せします」と言った。


 いったんホテルに引きあげることにした。だが、上野駅に戻る途中の電車の中で、何故か身体が急にだるくなり疲労感を覚えた。


 昼前にSPホテルに戻り、スーツとシャツを脱ぎ、シャワーも浴びずにベッドに横になると、今度は悪寒が襲ってきた。


 今朝まで京子とふたりで寝たベッドは、すでにベッドメイクが終わっており、新しいシーツに替わっていた。

 シーツが新たになっていたことを、私は少し残念に思った。


 ホテルの掛け布団というのは薄くて軽く、ペラペラの羽毛布団である。

 頭からかぶって寝たが、ますます悪寒がひどくなってきた。


 それでも昨夜の予期せぬ出来事や今日の緊張の突撃取材などの疲れからか、寒さに震えながらもいつの間にかすぐに寝入ってしまった。


 少し汗をかいて目が覚めたら午後四時前であった。

 四時間近くも寝入っていたのだ。

 悪寒はなかったがまだ全身がだるく、額に手を当ててみると微熱があるようだった。


 体温計や薬はもちろんない。しかし起き上がって薬局まで足を引きずる気力もない。

 ともかくホテルのフロントに電話をかけて事情を伝えてみた。

 すると体温計と薬箱を持ってフロントから若い女性従業員がやってきた。


 最近のホテルはこれくらいのサービスは当たり前なのかどうか分からないが、迅速な対応に感謝するばかりであった。


 部屋に入ってきた若い女性は少し浅黒い肌で、昔ヒット曲を飛ばした沖縄出身の歌手に似ていた。

 ベッドの横に来て、「先ず体温を計ってみてください」と言った。


 白衣こそ着ていないが口調はまるでナースだ。

 私は体温計を脇にあてた。しばらく経ってからピッピッピッと音がして抜き取ると、体温計は三十七度八分を示していた。

 普段の体温が比較的高い私としては、ほんの微熱程度だ。


「やっぱり少し熱がありますね。病院に行かれたほうがよいのでしょうけど、どうされますか?風邪薬や解熱剤はこの中に三種類だけございます。PとBと液体のKなのですが、どうなさいますか?」


 彼女はガラスコップに水を注ぎながら、今度はハンバーガーショップの店員みたいな感じで言った。

 濃いグレーのホテルの制服が、なんだかリクルートみたいだなと思った。


「じゃあそのPとKを飲んでおきます。いろいろとすみません」


「お薬は一種類だけにしておいたほうがよいのではありませんか?」


「いえ、僕はいつも風邪かなと思ったら薬は数種類一気飲みです。大丈夫です」


 女性従業員は三回分のPとKの薬を置いて、そして「おだいじに」とマニュアルどおりの言葉を残して出て行った。


 カプセルのPを飲んでから解熱ドリンクのKを飲み、再びベッドに横になった。


 C社の案件は、明日アポイントが取れる取れないにかかわらず再訪してみて、取り急ぎの結果をN社に電話で報告したら、その足で新幹線で早めに帰ろうと思った。


 少し寂しさを覚えた。

 こんなとき、妻の有希子が生きていてくれたら躊躇なく電話をするのだが、今はもう叶うはずもない。

 私はまた掛け布団を頭からかぶって寝た。


 日曜日には真鈴と花見に行く約束を交わしていたが、この状態がさらに悪化するようなら行けそうにない。

 私は布団をかぶったまま、スマホから真鈴にメッセージを送った。


「まだ東京だけど、ちょっと風邪をひいたみたいだ。微熱がある程度だから、明後日の土曜日に帰って、熱が上がらなかったら日曜日は大丈夫だけど微妙」


 スマホを置いて眠ろうとしているところに真鈴から電話がかかってきた。

 私はミノムシみたいになりながら電話に出た。

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