第18話
つい二時間ほど前には酔いと嘔吐で苦しんでいた京子は、ホテルのベッドに倒れ込んで小一時間寝たことで回復したようだった。
私も熱い湯に浸かったことで酔いは覚めたが、急に眠くなってきた。
「探偵さんの話を聞きたいです」
京子は私のほうに身体を向けて言った。
掛け布団がめくれてキャミソールから小ぶりの乳房が覗いた。
「シャワー浴びてきたらどう?」
私は目のやり場に困り、戸惑いを隠すために京子にバスルームを勧めた。
「いいんです、面倒だから朝浴びます。ゲロしたからシャワー浴びないと嫌ですか?」
「そんなことないけど」
私は目の前の京子の魅力に理性が飛んでいきそうだったが、かろうじて踏ん張り、「ともかく寝よう。君も疲れただろ」と言い、身体をできるだけ端の方に寄せてから「おやすみ」と言った。
「今度のお仕事も尾行ですか?楽しそう。私、ついて行こうかな」
「何言ってるの、簡単じゃないんだよ。それに今回の案件は尾行じゃないよ」
「じゃ、どんな調査依頼ですか?」
「それは言えない」
「な~んだ」
話に付き合っていてはキリがないし、自分の理性がいつ壊れて、彼女を引き寄せてしまうかも知れないと思い、私は京子に背を向けた。
その時、私のバッグの中のスマホが鳴った。
もしかしてN社からかも知れないと思い、ベッドから出てスマホを取り出すと着信は真鈴からだった。
この状況下に於いて、私は出ようかどうしようかと数秒間考えたが、指が応対のボタンを押していた。
「どうしたんだ?こんな時間に」
「相変わらずひどいね、どうしたんだって、それ失礼だよ」
「じゃあ、いかがいたしましたかって言うのか?」
「もういいよ、じゃおやすみ」
「ちょっと待って、大学はどうなんだ?」
「どうなんだって?」
「ちゃんと行ってるのか?」
「当たり前じゃない、一年浪人してまで合格したんだから。大学にいる間に司法試験を受けようと思ってるの」
「凄いな、たいしたもんだ」
K大学の法学部は司法試験合格者数が関西では最も多い、やっぱり頭の良い子なんだと私は改めて感心した。
「花見に行こうよ」
「えっ、花見?」
「K大学の近くに遅咲きで有名な公園があるんだよ。光一と行きたいなって思ったの」
花見か、そんな季節がすでに通り過ぎようとしていることさえ分からずに、私は毎日慌ただしく生きているような気がした。
「分かったよ。今仕事で東京に来ているんだ。明々後日の土曜日には大阪に帰るから、日曜日だったら行けると思うよ」
「ホント?楽しみにするよ。じゃあ帰って来たら連絡してね。おやすみなさい」
真鈴は電話を切った。
スマホをバッグに仕舞って振り返ると、京子が起き上がって私の方を見ていた。
「ごめんね、大阪の・・・友人なんだ」
私にとっての真鈴の存在位置をどう言って良いものか分からず、少し考えながら友人と伝えた。
「彼女さん?」
「いや、そんなんじゃないんだ。もう二年ほど前に知り合ったんだけど、お父さんが長く行方不明でね、そのお父さんを捜してあげたことがあるんだよ。それ以来の付き合いかな、まだ大学生なんだ」
「フーン、じゃあ私もお父さんを捜してもらおうかな」
「何だって、お父さんを?」
「ううん、いいです。ごめんなさい、何でもないですから」
そして京子は「おやすみ」と言って掛け布団をかぶって背を向けた。
京子の言葉の意味や真鈴との会話のことを考えていると、しばらくして寝息が聞こえた。
彼女のこの堂々とした態度には驚かされるばかりである。
私のほうは若くて魅力的な女性と同じベッドで寝ているという事実を、ようやく客観的に認識することが出来たが、すると今度はこのまま何もせず朝を迎えて、じゃ元気でと言って別れてしまったとして、果たして先々後悔しないかと自問自答してしまうのであった。
そんな状態のまま、私は悶々として午前零時を過ぎても眠れずにいるというのに、隣の京子を見ると寝息は静かになり、熟睡に突入したようだった。
私はますます目が冴えてくるのであった。
今夜は意外な展開になってしまったこと、京子にとっては大変な夜になってしまったこと、そしてその原因の一端は私にあったに違いないことなどを考えているうちに、彼女に対しての愛しさがこみ上げて来た。
それは親子ほども年齢が離れていたとしても、確かに男が女に感じる愛の種類のものであり、自然と片方の手は京子の首の下にもぐりこみ、気がつけばこちら側を向かせて抱き寄せていた。
すると京子は何も言わずされるがままの状態で、まるで子猫のように身体をあずけてきた。
私は一本一本が意志を持ってるような硬めの京子の髪を撫ぜ、もう片方の手でキャミソールの上から少女のように小さな胸の部分を掴んでみた。
だが京子は、身体を微動さえもさせず、何も言わず目をつぶっていた。
眠っているのかフリをしているのかは分からなかった。
どれくらい時間が経ったのだろう。いつの間にか寝入ってしまったが、午前二時ごろに目が覚めると、まだ腕の中に京子の顔があった。
二十二歳の京子は、髪の毛や首筋などに少女の匂いが残っていて、懐かしいその香りはやがて私を青春時代に引き込んだ。
香りは魔術のように、大学生のころに知り合った亡き妻の有希子のことを思い起こさせた。
大学のキャンパスで、何度断っても「何でやの?信じられへん」と言って諦めずに声をかけてきた有希子。
当時の私は映画なんかには興味がなく、バイトに追われる忙しい大学生だったのに、そんなことを気にもせずに「映画観に行こう。観たい映画があるの」と、しつこく誘ってきた有希子。
あまりに何度も諦めずに誘ってくる有希子に応じて、初めてデートしたときの心地良さが忘れられず、それから私たちは付き合いをはじめたのだった。
特別なことや贅沢には興味がなく、ただ淡々と日々を穏やかに暮らすことを喜びとしていた有希子の性格に、私は自然と惹かれていった。
私は腕の中の京子から漂ってくる少女のような香りに包まれながら、今はもう天国に行ってしまった妻のことを懐かしく思い出し、自然と涙が頬をつたった。
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