第16話
店内は次第に客が増えてきて、店のスタッフが忙しく動きはじめた。
私たちの隣のテーブルにはOL風の三人連れが案内され、一気ににぎやかになってきた。
北前京子はさすがに若いだけあって、よく食べよく飲んだ。
しばらくは食事に専念して、お互いの普段のライフスタイルや世間話を交わしていたが、二本目のワインがほぼ空になったころに仕事の愚痴を飛ばしはじめた。
「派遣会社の営業なんて最悪です。クライアントさんは意地悪ばっかだし、会社の上司はノルマノルマって、自分が動かないのにうるさいんです」
京子はグラスに残ったワインを喉に流し込んでから、口をへの字に曲げて言った。
そしてそのあと大きなため息を吐いた。
そんな彼女の仕草が可愛らしくて、私は思わずアハハと声を出して笑った。
すると京子は不機嫌そうな表情に変わり、「笑い事じゃないんです。ワインがなくなりました」と、空になったワインボトルを手に持って言うのであった。
「三本目だよ。大丈夫かな?」
「大丈夫ですよ、これくらい」
二本のワインボトルの一本半は、おそらく京子が飲んでしまった。それくらい彼女の飲むペースは早かった。
「どこか別のお店に行こうか?」
酔いで頬が紅潮してきた京子の雲行きが怪しく思えたので、私は店を変えようと提案した。
京子は「そうね」と言って素直に従った。
店を出てガード下をアメ横の方へ渡り、様々な酔客でごった返している路地を歩いていると京子の様子がおかしい。
歩行がふらついて真っ直ぐ歩くのがおぼつかなく見えた。
「北前さん、大丈夫?」
「すみません、ちょっと飲みすぎてしまいました。探偵さんと飲むのって初めてだから緊張したみたいです」
「探偵は関係ないと思うけど、家はどこなの?タクシーで送ってあげるよ」
「まだ時間が早いから大丈夫です」
そう言った途端に京子は路地の端の方に身体を寄せて嘔吐しはじめた。
私は咄嗟に両手を差し出して彼女の吐瀉物を受けた。
両手には先ほど食べた豚のパエリアがドロっと溢れた。奇妙な匂いが両手から漂ってきた。
「ああ、大変だ。これよかったらどうぞ」
通りがかったサラリーマン風の中年男性がコンビニの袋を差し出した。
ありがとうございますと言って受け取り、両手の吐瀉物を袋に入れて、なおもまだ嘔吐している京子の口元に袋を持っていった。
今度は若いOL風の二人組のひとりが「これ、よかったら口をすすいでください」と言ってペットボトルのミネラルウォーターを差し出してくれた。
丁寧に礼を言って京子に水を飲ませて、ハンカチで口元を拭い、私の両手の汚物も水で流した。
このような親切を受けると、世の中はまんざら捨てたものではないと思った。
「ごめんなさい、本当にごめんなさい」
京子はしゃがみ込んで泣きながら謝った。パンツスーツのお尻のあたりが汚れてはいけないと思い、私は彼女の身体を両手で支えた。
「SPホテルってここから近いかな?」
「はぁ?なんですか~?」
「SPホテル、ここから近いの?」
「SPホテルなら駅の方に戻って、反対側へ少し歩いたところにありますよ」
京子は息を整えながら言った。
「じゃあそこで少し休もう。今回のクライアントが僕のために予約してくれているんだ」
京子の身体を起こし、片腕で支えながらゆっくりと歩いた。
吐いたことで彼女もやや落ち着いた様子であった。
「迷惑をかけてしまってごめんなさい」
京子はまだ苦しそうに口で息をしながら何度も謝った。
「迷惑なんかじゃないって、大丈夫。それより少し休んでからタクシーで送って行くよ。いいね」
「はい、お願いします。でも家は近いの」
「どこなの?」
「浅草」
「分かった。休憩して落ち着いたら浅草まで送って行くよ、大丈夫だから」
上野駅の浅草口方向から入谷方面へ高速道路の高架沿いに少し歩いたところに、N社が予約してくれていたSPホテルが見えた。
「もう少しだから、頑張って歩こう」
「はい、すみません」
ホテルにたどり着き、京子をロビーのソファーに座らせてからフロントでチェックインを済ませた。
「ちょっと友人の体調が悪くてね。部屋で休ませてもかまいませんかね?」
フロントの女性スタッフは、特に何も不審がらずに「どうぞ」とあっさり言った。
N社がよく利用しているのかも知れない。
エレベーターで五階まで上がり部屋に入ると、意外に広いシングルルームだった。
京子はベッドに崩れ落ちるように座り、そしてそのまま横になってしまった。
「大丈夫?少し寝てもいいよ」
京子は全く反応がなく、半ば眠ってしまった。
私はスーツの上着を脱いでから、仕方がなく京子のスーツの上着をはぎ取り、小さなクローゼットのハンガーに掛けた。
それから、彼女のパンプスを脱がして入り口に並べて置き、次にパンツスーツのパンツを腰からゆっくりと脱がしていった。
パンツもハンガーに掛けて吊るし、そのあと白いシャツのボタンを外し始めた時に京子が顔を上げ、「ごめんなさい、自分で脱ぎます」と言った。
「変なことするつもりはないんだよ。脱がないと窮屈で寝れないだろうと思ってね」
「分かってます。大丈夫です」
シャツとパンストを脱ぐと、京子は肌色のキャミソールと白のショーツ姿になった。
私の戸惑いも気にならないかのように、京子はベッドの中央に横になり、掛け布団をかぶってしまった。
私は今置かれている状況を客観的に見て、自分はいったい何をしているのだろうと、しばらく呆然と立ちつくした。
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