第14話
N社は新宿駅から徒歩十五分ほどのところに所在していた。
周りは高層ビルや医科大学付属病院などが建ち並ぶオフィス街であったが、N社は七階建てのテナントビルの五階に入っていた。
午後三時半過ぎに到着して事務所に入ると、ワンフロアを賃借しているだけあって意外に広く、三十人ほどの社員も慌ただしく動いていた。
ガラス窓があるパーテーションで区切られた一角では、女子社員十数人が忙しくパソコンを打っていた。
「何を打っているんですか?報告書でしょうか?」
「いえ、うちは企業年鑑を発行していましてね、帝国さんや商工リサーチさんとは違って、特定の業種だけの年鑑を発行しているんです。今年の秋までに来年度のデータを集めて印刷屋に回さないといけないので、今はデータの収集段階で、集めたものをドンドン打ち込んでいるんですよ」
須田社長は説明した。
調査会社を長年運営しているだけあって、一見すると小柄な五十過ぎくらいのあまり冴えない風貌だが、ひとたび話をするとその思考は鋭く、決断も素早い印象を受けた。
応接室で今回の案件について打ち合わせを行った。
「会社は港区の立派なビルの中にあるんですが、自動車メーカーと言ってもトヨタとかホンダとかの大手企業じゃありません。特殊な車を製造しているんですよ」
「特殊な車とはどんなものでしょうか?」
「ときどき街で見かけませんかね?マリオカートのようなゴーカートとか、ミニカーが走っているのを」
「そういえば、たまに見ますね」
「マニア向けの車を作っている企業があるんですよ。そこの調査です」
須田社長は、その企業のWebサイトの会社概要をプリントアウトしたものをテーブルの上に広げて説明を始めた。
会社名はC社、本社所在地は東京都港区の浜松町にあり、工場は静岡県内と三重県内の二か所、国内販売だけでなく、海外にも輸出を行っている。
「それで、依頼人がそこの会社の従業員とのことですけど、どういうことでしょうか?」
「これはちょっとややこしいのですけどね、数か月前に発売した軽自動車が、エンジンの回転数がある一定値を超えると、時には発火する恐れがあると彼らは指摘するんです。専門用語はよく分からないんですが、最大トルクへ達するまでに、回転数が極度に上がると発火する危険性があるらしいのです」
「彼らとは従業員さんですね?」
「そうです、本社に勤める設計関係の部署の数人と、営業担当数人が、今回の調査費用を出しあって依頼してきたわけなんです」
須田社長の話をまとめると以下の通りである。
依頼人はC社の社員数人、費用は彼らが出し合った。
依頼内容はC社の広報部に第三者として訪れて、「御社のユーザーが少し前に買った新しい軽自動車に乗っているのですが、どうもエンジンの回転数を上げると異常音が出たりするとの噂が出ているらしいです。この車種でこれまで発火事故などはないでしょうか?」というふうに問い合わせをして欲しいとのことである。
広報部がどんな応対をするかは分からないが、実際の対応状況を報告書にまとめるだけで調査はお終いということらしい。
つまり、N社にはこういう案件に対して、突撃取材をするような人材がいないとのことで、風の便りに私のことを知って、須田社長は連絡をくれたわけである。
「ホテルは上野のビジネスホテルを弊社の名前で三日間予約しています。資料を持ち帰っていただいて、明日でも明後日でも調査にあたっていただければと思います。岡田さんに任せます」
私は須田社長から資料を受け取った。
今回の報酬は、結果が出る出ないにかかわらず十五万円、交通費及び宿泊費等の経費は実費支給となる。
悪い話ではない。
「それでは今日はこれで失礼して、明日か遅くとも明後日にはC社へ突撃します。状況は逐一報告をしますのでよろしくお願いします」
「すみませんね、成功報酬は出せませんが、岡田さんの取材力に期待しています」
須田社長は言った。
そう言われるとミスは出来ない。
じっくりと資料を読んで、アポイントを取って訪ねるか、或はいきなり訪れたほうが良いのか、今夜ホテルでじっくりと考えようと思った。
午後五時過ぎにN社を出て、新宿駅へ向かう途中に北前京子にLineを送った。
「今打ち合わせが終わったから、何時にどこで待ったらいいかな?」
するとすぐに返信が届いた。
「仕事が五時半に終わります。上野の駅で六時過ぎではいかがでしょうか?上野の中央改札口を出てそのまま進むと、右手に青山フラワーショップがありますからそのあたりで」
彼女のLineから、そのメッセージのあとにウサギが考え込んでいるスタンプが届いた。
私も負けずに名探偵のアニメがオッケーをしているスタンプを送った。
いったい私は何をしようとしているのだ?
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