第13話

 先月、東京での尾行中に私がベンチに置き忘れたショルダーバッグを、北前京子が気づいて最寄りの警察へ届けてくれた。


 バッグにはデジカメなどのちょっとした機材や身分証などが入っていたから、調査の途中に失くしてしまうと支障が生じていたわけで、ずいぶんと助かった。


 あの日、律子さんが休日にもかかわらず出勤してくれていたことと、拾ってくれた北前京子がすぐに機転を利かせてくれたことなどから、尾行中でもショルダーバッグを受け取りに行くことが出来たのであった。


 だから、たこ焼きクッキーと面白い恋人ごときのお礼では足りないくらいだと思っていたのだが、タイミングよく彼女はリクエストの電話をかけてきた。

 また東京に来ることがあったら、たこ焼きクッキーを買って来て欲しいと。


 ちょうど東京の調査会社からの仕事の依頼が入ったばかりだったので、私としては何という偶然なのだろうと不思議に思った。


「そちら方面の仕事が入ったので、おそらく二、三日後に東京に行きます。その時に持って行きましょう」


「ホントですか?ありがとうございます」


「東京に着いたら、いただいていた名刺の電話番号にかければいいですか?」


「はい、しばらく残業はないと思いますから、お電話をいただければどちらでも行けると思いますが、Lineをされてますか?」


「もちろん、利用していますよ」


「では私のIDをお伝えします。よければLine友達になってください」


 私は彼女の言うLineのIDをメモした。


「ちょっと待ってください。リクエストを今送りますから」


 電話を置いて操作し、メモしたLineのIDを入力すると彼女のものが出てきた。そしてトークルームに簡単なメッセージと松田優作さんがバイクで尾行しているスタンプを送った。


「届きました。このスタンプの人はどなたですか?」


「松田優作さんって知らないかな?探偵物語の・・・」


「すみません、分からないです」


 確かにそうである。彼女はまだ若いし、知るはずもないのだ。

 私は探偵という職業に従事しているから、昔の探偵ドラマや映画を知っているだけである。


「では、東京に着いたらLineを送ります」


 そう言って私は電話を切った。


「親しそうに話をしていましたね。この前、ショルダーを拾ってくれた女の人ですか?」


 受話器を置くと、電話のやり取りを聴いていた律子さんがパソコンの画面に目を置いたまま言った。

 何か不満げな顔つきだった。


「うん、お礼にたこ焼きクッキーと面白い恋人を送ったんだけど、すごく気に入ってくれてね。また東京に行くついでが出来たから、買って持っていくよ」


「フーン、楽しそうね」


 律子さんはキーボードから両手を離して、デスクに頬杖をつきながら上目遣いに言った。


「楽しくはないけど、頼まれたことは断れないからね」


「でも、私の約束は守ってくれないのね」


「は?」


「だから律子との約束です。もう半年も経つんだよ」


 丁寧語とため口を混ぜて言う癖は変わらないが、口調が怒っていた。


 昨年の夏、事務所を閉めてチョイと安曇野を覗いたら律子さんが飲んでいて、その夜はふたりでハシゴ酒、翌朝ベッドで目が覚めたら隣に彼女が寝ていたことがあった。


 そのときは男女の関係に突入したわけではなかったが、順序を経てからだと私が言ったことを、いまだに律子さんはこだわっているのである。


「もうそんな約束は時効だよ」


「そんなこと言うのね。ガッカリ」 


「彼氏いないの?律っちゃんだったら言い寄って来る男がたくさんいるだろ?」


「もういいです。私が真面目に考え過ぎていました。奥さんもお亡くなりになったのだから、岡田さんは自由だものね。好きにしたらいいじゃない」


 そう言って律子さんは席を立ち、帰り支度をはじめた。

 まだ時刻は午後三時過ぎだった。


「そんなに怒ることないだろ。君のことやご家族のことはいつも心配してるよ。でも僕はもう中年だからね。気持ちはすごく嬉しいよ、でも僕なんか」


「もういいです!怒ってなんかいません。今日は少し早く帰ります。東京のお仕事頑張ってね。じゃあ失礼します」


 律子さんは疾風のように帰ってしまった。そしてその翌日は出勤してこなかった。

 何を怒っているのか、私はよく分からなかった。



 二日後に東京へ向かった。今朝も律子さんはやっぱり出勤してこなかった。

 電話をしようかとも思ったが、しばらくこのままにしておこうと考えた。


 すべての人間関係や男女関係をうまく円満にやっていくことは難しい。

 とりわけ男女関係では、複数の異性と良い関係を続けることは至難の業である。


 そこには同性との付き合いや職場の関係とは異なった、男と女の難しいこころの交差があり、軽いレベルでの快適な付き合いを維持しようと思っていても、それがややこしく絡まってしまうことも多々あるのだ。


 東京での仕事は数日で終わるものではなさそうである。

 律子さんがいない間は、事務所の電話は留守番テープが流れたままになる。

 須田社長と会って、詳しく調査案件の打ち合わせをしてから、律子さんには連絡をしてみようと考えた。



 午後二時過ぎに新幹線は東京駅に着いた。

 N社は新宿区に所在していて、最寄りの駅はJRの新宿駅である。

 山手線に乗り換えて新宿駅へ向かう途中、北前京子には「東京へ着いたけど、打ち合わせがあるので午後六時ごろにもう一度連絡します」とLineを送った。


「了解しました。お待ちしています」と数分後に返信メッセージが届き、ウサギが万歳をしているスタンプも送られてきた。


 妻が今年亡くなってしまって、少なくとも一年は喪に服さないといけないのに、いったい私は何をしているのだろうと、微かな疑問を抱くのであった。

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