第12話
四月になって社会も年度替わり、新入生や新入社員の姿を街角で見かけると、清々しい新鮮な空気が漂っているようにも感じられ、気持ちの良い日々が続いていた。
私が関わる人たちにも少しずつ変化が見られ、私自身も思いがけない展開に突入しそうな様相を帯びてきた。
真鈴は四月から大学生になって、京都の岡崎にある大学まで自宅から通学をはじめた。
大阪の泉北からは、電車を四回ほど乗り継がないとたどり着かないところに大学はあり、「家を出てから大学まで二時間近くもかかるよ。身体がもたないから下宿したいけど、それも中途半端だし、どうしたらいいかな?」と、まだ始まったばかりなのに、早速弱音を吐いてきた。
「通学途中は読書時間にあてて頑張れ」と励ますと、「疲れた日はたまには泊めてね」と返信が届き、「そういうわけにはいかないだろ。頑張れ!」とコメントを返すと、「何だよ、ケチ!」と、子供みたいなメッセージを返してくるのであった。
関さんは三月にお見合いをした相手と交際を始めたらしく、「地元の農協に勤めていて、おとなしく真面目そうな人だからちょっと付き合ってみる。遠距離だし、会うのは週に一度もないかも知れないけど、変なところがあったらすぐに別れようと思ってるの。いいでしょ?」と電話がかかってきたが、私としては何も言える立場ではなく、「両親も勧めているのなら、深く考えずに付き合ってみたらいいじゃないか」と返事をした。
「岡田さんは忙しいし、西条まで遠いものね。分かったわ、でも近くに来たら必ず寄ってね」
関さんは私の言葉のあと数秒間置いてから言った。
「広美もこっちに来ることがあったら連絡して欲しいな。もちろん僕もそっち方面に仕事が入ったら連絡するよ」
その気持ちには間違いはない。
時間があれば会いに行きたいと思っている。
でも、このところずっと仕事が途切れることがなく、たったひとりで探偵なんかやっているから仕方がないにしても、仕事がいつ暇になるかも知れないから依頼があれば絶対に断れない。
下請け業者の辛いところである。
少し前に、関さんとは長いコマーシャルタイムに入った感覚だったが、このときはひとつの長編ドラマが終了したような寂しい気持ちになった。
でも、それは仕方のないことなのだ。
ひとつひとつの感情を真剣に考えてしまうと、中には辛く苦しい気持ちに陥ってしまうこともあるわけで、妻が亡くなってからの私は、あらゆる感情をすべて意識的に軽く受けとめるように努めていた。
一方、仕事の方は東京の尾行調査で判明した相手女性の身上調査も終わり、そのあとは京都の業者からもT社からも次の案件は入ってこなかった。
こんなことなら、関さんが勤めている徳島の穴吹療育園を突然訪ねて、「やっぱりお見合いの相手と付き合うのはやめろ」と、懐かしい映画「卒業」のラストシーンみたいなことをやってやろうかとも一瞬考えたが、考えるだけに終わった。
すると数日後、東京の新宿区に事務所を構えているN社という探偵調査会社の代表から、突然電話がかかってきた。
「岡田さん、N社の須田さんという方から電話です」
律子さんから電話を替わると、「突然の電話で申し訳ありません。京都のA社の社長さんからのご紹介を受けまして連絡させていただきました」と、声のトーンがやや高めの男性が言うのであった。
「A社さんからの?それで、どういったことでしょうか?」
「実は岡田様が企業調査を得意にされているとかとお聞きしましたものですから、私共も企業調査は受けていますが、ちょっと難解な案件がありまして、お手伝いいただけないかと思いまして」
聞けば、ある自動車メーカーに関連する企業調査とのこと、依頼内容の詳細はのちほどメールに添付して送るという。
今は急ぎの仕事も入っていないので、「一度資料を見させていただきます」と私は返事し、電話を切った。
三十分ほどして届いたメールに添付されていた調査資料は、一読するだけではすぐに理解できないような内容であった。
依頼人は個人、しかも某自動車メーカーの従業員で、被調査人(調査対象)はその依頼人たちが現在勤める会社とある。
いったいどういうことなんだろうと、私はもう一度依頼内容を読み返した。
つまり、依頼人となる従業員たち数人は、自身が現在勤める会社の上層部の方針に疑問を感じているため、第三者が会社の計画や方針について取材に訪れるという形で、会社の意図を確認して欲しいというものであった。
「何なんだ、これは?」
私はプリントアウトした資料を見ながら無意識に呟いていた。
「どうしたんですか?変な仕事なの?」
いつものように律子さんが丁寧語とため口を混ぜて言った。
「ウーン、変と言えば変だけど、まあ有り得ないこともない依頼内容かな」
出張経費や宿泊代などは当然N社もちであるが、下請け代金もかなり高く提示されており、この案件はよっぽど高額な調査費用を受けたのだろうなと私は思った。
先日、東京の尾行調査で土日出張したが、再びまた東京案件である。
私は「本件、受けさせていただきます。日程等をご指示願います」と、N社へメールを返信した。
しばらく本案件の某自動車メーカーの企業概要などをWebで見ていたら、律子さんが「岡田さん、また電話です。今度は女性の方」と言った。
受話器を取ると、「北前です」と言う。
誰だろうと一瞬だけ思ったが、すぐに思い出した。
東京の調査の際にショルダーバッグを拾って届けてくれた女性だった。
「お気遣いのお菓子とかいただきながら、すぐにお礼の連絡をせずにすみません。ちょっと仕事が忙しかったものですから」
東京の尾行調査の帰りに大阪駅で買った「タコ焼きクッキー」と「面白い恋人」のみたらし味を、北前京子あてに送ってから半月余りが経っていたこともあってか、彼女はお礼が遅れましたと言う。
「いえいえ、お礼なんてそんなお気遣いしないでください。こちらが助かったのですから」
私は恐縮して言った。
だが北前京子は「ちょっと変なことを言っていいですか?」と言う。
「何でしょう?」
「たこ焼きクッキー、美味しかったです。また東京に来られる機会があれば、買って来てください」
「えっ?」
「ごめんなさい、いきなり変なこと言って」
「いえ、実は近々、東京に仕事で行きますよ」
いったいどうなっているのだ。
次から次へと、予測しなかったことが飛び込んでくる。
しかも東京である。
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