第10話
※この小説は、暴風雨ガール~続・暴風雨ガールの続編です。
翌日、朝早くから土日の尾行調査の報告書作成に取りかかった。
十時前に律子さんが出勤してきて、「もうお仕事されてるんですか、二日酔いは大丈夫?」と、目を瞬きながら言った。
「律っちゃんは二日酔い?」
「いえ、大丈夫ですよ。でも昨日の夜、あれから久しぶりにお父さんに叱られました」
律子さんは舌を出して笑った。
それからキッチンでいつもの美味しいコーヒーを淹れてくれた。
今朝の彼女からは、微かに甘いコロンの香りが漂ってきて、気品さえ感じられるほど姿勢や態度もキチンとしていて、酔ったときと普段の律子さんとの変貌ぶりには驚かされるばかりである。
昼過ぎに土日の二日間の尾行調査の詳細な報告書が完成し、校正のためにその原稿を律子さんに読んでもらった。
「尾行ってやっぱり大変なんですね。帝国劇場って大きいんでしょ?」
「ウーン、そうだね。こっちで比べたら梅田コマ劇場みたいな感じかな、いやそんなには大きくないのかな、よく分からないけど」
「終わったあと、ドドーって一気に出てくるんでしょ?よく見つけられましたね」
「うん、でも報告書にはその部分を詳しく書いてないけど、ふたりを確認したのは僕じゃなくてA君だからね」
「な~んだ、岡田さんじゃないんですね」
「な~んだはちょっとひどいな」
昨夜の酩酊したふたりとは打って変わったそんなやり取りのあと、原稿をメールに添付してT社へ送付した。
午後からは撮影した画像と動画のデジカメやスマホを持ってT社へ向かった。
途中、今夜は真鈴をイタリアンレストランで祝ってやらなければいけないので、以前街金業を営んでいたころに接待でときどき利用した、阪急グランドビルの上層階にあるイタリアンレストランをスマホから予約した。
ここなら二十七階からの大阪の夜景も素晴らしいし、料理もすべて真鈴に満足してもらえるはずである。
T社に顔を出すと、すでにA調査員は自身が撮影した画像などをパソコンに取り込みを終えていた。
私の撮影したものも専用パソコンへ移し終え、このあとの調査について部長と打ち合わせに入った。
「岡田君、相手女性の身上調査を頼むよ。公簿はさっき手配したから、それが届いてから取りかかってくれてええから。女性には旦那も子供もいるみたいやな。分からんもんやな、世の中は」
部長は首を少し左右に振りながら言った。
でも、世の中の不条理なことをいちいち不思議がっていてはキリがないのだ。
実際、この私だって二十歳も年齢が離れた女の子と恋愛関係に陥っているし、こんな怪しい中年探偵を慕ってくれているこころの脆弱な女性が、事務所に帰ればひとり、そして徳島にひとり現実的にいるのだから。
T社を早めに出て天神橋筋商店街に入り、久しぶりにプランタンでコーヒーを飲んだ。席に着くと伊藤氏が厨房から出てきた。
「おや岡田はん、久しぶりやと思うたら今日はおひとりでっか?珍しいですな」
「どうもお久しぶりです。年明けからずっといろんなことがあって大変だったんですよ」
「いったい何がおましたんや?」
時間的に店が暇なこともあってか、伊藤氏は私の向かいの席に腰をおろして訊いてきた。
「先ずは年明け早々に別居中の妻が亡くなりましてね。癌が見つかってからあっという間でした」
「何の癌でしたんや?」
「乳癌だったんですよ。でも切除後、そんなに経たないうちにあちこちに転移したみたいで、若いと癌細胞の進行も早かったですね」
「それはお気の毒ですな。言葉もおまへんわ」
伊藤氏は本当に気の毒に思ってくれている表情で言うのであった。
「こんなことなら向こうの親の言うことに対抗して、別居なんかせずにずっと一緒にいてやったらよかったって後悔しているんですよ。伊藤さんも奥さんを大事にしてあげてくださいよ」
「ホンマですなぁ。そやけどお子さんがいらっしゃらんでよかったですな。不幸中の幸いということですかな」
伊藤氏はそう言ったあと厨房の方に退き、しばらくしてから戻って来て白い封筒を私の前に置いた。
「何ですか?これは」
「気持ちだけですがな。岡田はんとは街金のころからの長い付き合いでっさかいな。気を落とさんとこれからも頑張っておくんなはれや。また安曇野で飲みまひょ」
私は彼の気持ちは勿論嬉しかったが、こういうことがあると死んでしまった有希子のことを思い起こしてしまい、こころの奥の方から急激に悲しみが襲ってくるのであった。
「伊藤さん、お気遣いいただいてありがとうございます。有希子の仏前に何かそなえさせていただきます」
最後の方は少し涙声になってしまった自分が恥ずかしかったが、伊藤氏は「そんなかしこまった言い方する関係やおまへんがな。岡田ハンはまだ若いよって、これからなんぼでも新しい女の子がいけまんがな」などと、椅子から転げ落ちそうになってしまうことを言うのであった。
店を出て、真鈴との待ち合わせ場所の天満駅へ向かった。
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