第6話
午後六時から始まったダンスボーカルグループのライブは、予定の午後九時を少し過ぎたころにようやく終わったようで、西側と南側の二か所ある帝国劇場の一階出入り口から観客が一気に吐き出されてきた。
私とA調査員は二手に分かれて、ドドーっと本当に嵐のような音がする感覚で出てくる観客たちの中に、依頼人の夫と日比谷公園で合流した女性とを、文字通り目を皿のようにして捜した。
夫は宿泊するホテルは予約していないと依頼人に言っていたらしく、ここで確認ができなかったら一巻のお終いである。
幸いにも出入り口が一階の二か所だけなので救われたが、もしも地下にも出入り口があったとすれば、確認できる可能性は極めて低くなる。
終演後、出入り口が開場されてから十五分が経過したが、夫と女性は出てこない。
いや、出て来ていないはずである。私は目を左右に忙しく動かして群衆を追い続けた。
二十分近くが経過したとき、スマホが震えてA調査員から連絡が入った。
「今出てきました。こちらで確認しています!」
「了解、すぐ行く」
私は南側の出口に急ぎ、到着するとちょうどA調査員の後姿が見え、少し先には夫と女性が有楽町駅に向かって歩いている姿を確認した。
駆け足でA調査員に追いつく。
「ありがとう。ホッとしたよ」
「いえいえ、夫のショルダーバッグが男のくせにビトンでしょ。それを目印にずっと追っていたんですよ」
「そうか、ビトンのショルダーね。普通、男は持たないからな」
私が日比谷公園のベンチに置き忘れた安物のショルダーとは大違いの高価なバッグ、それを目印に追っていたとは、さすがT社のエース探偵である。
夫と女性はJR有楽町駅に入り、山手線を僅かひと駅だけ乗って新橋で下車、地下街に降りて汐留方面に歩く。
女性は慣れた感じで夫の腕を取り、親しい関係であることが窺え、第三者からは恋人或いは夫婦にしか見えないふたりである。
ふたりには勿論のこと、行き交う人々からも不審に思われないように、可能な限り夫の浮気の証拠となる写真と動画を撮り続ける。
十分ほども地下街を歩いただろうか、ふたりは汐留ビルディングに入って行き、エスカレーターを上がったところにある東京コンラッドホテルへのエレベータホールの前に立った。
すぐに直通エレベーターにふたりは乗り、追いつく間もなくドアが閉まり上がってしまった。
超高級ホテルとされている東京コンラッドホテルである。
われわれも隣のエレベーターに乗りロビーへ、二十八階までは一気であった。
エレベーターを降りると、これまで見たこともない長いカウンターのフロントでチェックインをしているふたりを確認、私たちは少し離れて、フロアにあるソファーに座って様子を窺った。
同じフロアには広々としたレストランカフェがあり、広大なベイサイドの窓からは東京湾が眺められ、また中央にはグランドピアノが設置され、エグゼクティブを絵に描いたようなホテルのロビースペースであった。
やがてチェックインを終えたふたりは部屋のキーを受け取り、フロントとショップの間の広い通路からエレベーターホールに回った。
A調査員は待機してもらって私がふたりを追い、同じエレベーターに乗った。
「何階ですか?」
私はふたりに訊いた。
「三十二階をお願いします。すみません」
依頼人の夫が低いトーンの声で言った。
私は夫の返事を受けたあと三十二階と三十四階のボタンを押した。私を不審に思っている雰囲気は全く感じられない。
三十二階まではすぐであった。ドアが開き二人は降りていった。
私は三十四階までいったん上り、それから二十六階のロビーへ戻った。
「何号室ですか?」
A調査員が早速訊いた。
「いや、同じフロアで降りるのは不審がられるとまずいからね。フロアだけわかればいいだろう。三十二階だったよ」
「そうですか。このあとどうしましょう?」
「ふたりは食事をとっていない気がするから、ホテル内のレストランへ行く可能性はあるけど、もうチェックインしたことで十分だろ。あとは明日の朝、ここをチェックアウトするのを確認しないといけないからね」
われわれが今夜泊まるホテルを捜さなければいけないが、できればこのコンラッドホテルに泊まった方が明日の尾行調査がやりやすい。
だが、何しろ一番安い部屋でも一泊六万円ほどするから大変である。
一応、無理かも知れないが、私はT社の部長の携帯番号へ電話をしてみた。
「おお、岡田君か、お疲れさん。それで、調査の方はうまくいってるかな?」
「モチのロンですよ。それで、本人は女性と合流して、さっきホテルにチェックインしたんですけど、コンラッドホテルなんですよ。滅茶苦茶高いホテルです。調査の必要性から、このホテルにわれわれも泊まってかまいませんか?」
「あっ、そうか。必要なら別に構わんよ、依頼人に追加料金を請求するから」
許可が下りるわけがないと思っていたが、意外にもオッケーであった。
「明日は夫と別れたら相手女性の家を割り出してくれるかな。これが最も肝心やから」
「分かってますよ、大丈夫です」
電話を切ってフロントへ向かった。
「急で申し訳ないが、ツインルームひと部屋空いてないかな?」
私は意識的に困った顔をして訊いた。
「お二人様ですね。本日はベイビューのお部屋は満室でございますが、シティビューのほうは空きがございます。いかがいたしましょうか?」
「かまいません、お願いします」
この日の夜はA調査員と同じ部屋に泊まる羽目になった。
こんなエグゼクティブなホテルに自分の金で泊まることは先々ないかも知れないのに、よりによって尾行調査中のやむを得ない宿泊となるとは、私とA調査員はお互いに苦笑いを隠せなかった。
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