第4話



 A調査員とはT社に在職中は何度も一緒に尾行調査に関わったことがあり、気心も知れている。


 年齢は二十代後半、結婚する予定の彼女がいて、私も二度ばかり会ったことがあり、理知的で感じの良い女性なのだが、彼は慎重に構えているようだ。


 車の運転も達者で、歩きの尾行も機転が利き、尾行で失尾をするケースはほとんど無く、T社内での信頼も厚いようだ。

 若いゆえに、まだ内偵調査、つまり結婚調査や企業調査、所在調査などの案件は担当しないが、先々楽しみな探偵である。


 さて、依頼人から聞いていた指定席に夫が座っているのを確認してから、我々も直前に購入した別の車両の指定席に移動した。

 新大阪から京都、名古屋、横浜と停車していくたびに、交代で夫の車両まで確かめに行く。


 目的地が日比谷の某ビルなので、地理的には有楽町と新橋駅の中間に位置しており、東京駅で降りてひと駅戻るか或はふた駅戻って新橋で下車することが考えられたが、結果的に夫は新橋で降りて、そこから徒歩十数分のところにある大きなビルに入って行った。


 学会は午後一時からと依頼人から聞いていた。


 われわれは同ビルの出入り口が日比谷通り側の正面一か所であることを確認し、同出入り口が窺える位置にて少し遠目で張り込みを開始した。


 学会が行われているビルの近くには某通信関係企業の日比谷ビルがあり、通りを挟んで目の前が日比谷公園、そして日比谷公園の南端には丸の内警察署の内幸町交番が所在していた。


 日比谷公園の入り口あたりのベンチに座っても学会が行われているビルの出入り口は見えるが、日比谷通りを隔てているため、夫が出てくのを確認してから追尾したとして、信号が青ならいいが赤なら焦ってしまうことが予測できる。


 だからと言って、ビルのすぐ近くや日比谷通り沿いに長時間立つのは不審に思われるし、近くには内幸町交番もあるので警戒を付けるとまずい。


 A調査員としばらく相談して、結局三十分交代で日比谷公園入口のベンチでひとり、学会が行われているビルの並びにあるコンビニの前あたりにもうひとりが立ちん坊で張り込む方法を採用した。


 午後一時から始まる予定となっている学会が終わるのは、依頼人の情報からだと午後四時となっている。

 長い張り込みを開始した。


 学会が早く終わることも考えられたが、予定通りに午後四時を少し過ぎた時刻に夫がビルの正面出入り口から姿を現した。

 このときコンビニ前で張り込んでいたA調査員が尾行、私はそのあとを追った。


 夫はビルを出て新橋方面へ少し戻ったあと、最初の交差点で一緒に出てきた数人と別れて信号を内幸町交番方向へ渡り、私が張り込んでいた日比谷公園の入り口方向へ歩いてきた。


 どこへ行くのだろうと、何気ない顔をしてベンチに座ったままでいると、夫は日比谷公園へ入って来て、公園内の広い花壇を囲んでいるベンチに腰を掛けた。

 少ししてA調査員も公園内に入って来て、私の隣に座った。


「誰かを待っているんですかね?」


「こっちに向かってきたから、バレてるのかなって焦ったよ」


「バレるはずないですもんね」


 私たちも大きな花壇のある場所へ移動し、二手に分かれて遠目で夫を張り込んだ。


 すると七、八分ほど経ったころにひとりの女性が夫に近づいて行くのを確認、彼女は夫の隣に腰を掛けた。


 見たところまだ二十代の後半から三十代前半か、依頼人の夫は四十五歳だからひとまわりは年下の女性に思えた。


 三月になったと言ってもまだ寒い中、ふたりはコートの襟を立ててしばらく楽しそうに言葉を交わしていた。

 途中、女性の方が夫の片腕を腕に抱えるように寄り添ったり、かなり親しい関係である様子が窺えた。


「時間もまだ早いし、これからどこに行くんでしょうね」


 A調査員が近寄って来て呟いた。


「分からんなぁ、でも全く警戒している様子はないから、気楽にやろうよ」


「そうですね」


 再びA調査員が離れて、大きな花壇の外に出て日比谷通り側のベンチで張り込んだ。


 そして午後五時近くになったころ、ふたりはベンチを立ち、公園を出て日比谷通りを有楽町方面に歩いた。


 A調査員は念のため日比谷通りを反対側に渡り、道路を挟んで私と対峙する形で依頼人の夫と相手女性を尾行する。


「出来るだけ写真を撮ってくれよ」


 私はスマホでA調査員に電話をかけて依頼する。


「了解です!」と返事が帰って来た。


 私も気づかれないように、スマホを動画撮影にしてふたりが寄り添って歩くうしろ姿を撮り続けた。


 ふたりは皇居外苑のお濠の手前、日比谷交差点を有楽町側へ渡り、しばらく歩いたところの角に大きく建っている帝国劇場に入った。


 受付で様子を窺うと、この日は午後六時から関西を本拠地とするダンスボーカルグループのコンサートがあるとのことであった。

 

「どうしますか?中に入れないから、外で待つしかないですよね」


「当日券があるかないか分からんけど、中に入ってもふたりを確認し続けることは不可能だからね。出入り口が見えるところで待つしかないな」


「でも岡田さん、出入り口って南側と西側の二か所ありますよ。それにライブが終わったら、ドドーッと一気に出てくるんじゃないですか?二人を見つけられますかね?」


 確かにそうである。


 終演後、大勢の客が二か所の出入り口から一気に吐き出されるように出て来たら、依頼人の夫と女性を確認できるかどうか、これはかなり難しい。


 そのときスマホが鳴った。着信番号は大阪の事務所であった。


 何だろうと思って電話に出ると、律子さんが「今どこにいますか?」と、かなり慌てたような声で言った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る