第3話
関さんはずっと黙ったままだった。
言葉を待つのが辛く感じ始めたころに、ようやく彼女が「こっちにはいつ来てくれるの?」と言った。
そして、「去年は年内お仕事が忙しいから、年が明けたら来てくれるって言ってたじゃない」と付け加え、私を追い込んだ。
「実はね、年が明けてから間もなく、嫁さんが亡くなってしまったんだ」
「別居中の奥さんが?」
「うん、最期を見ることも出来なかった」
関さんは「そうだったんだ~」と言い、再び沈黙した。
そして一分ほどが経過してから、「岡田さん、可哀相。私、何もできなくてごめんなさい」と、さっきとはうって変わってしおらしい声で言った。
「いや、大丈夫だよ。今日が四十九日の法要だったんだ。くよくよしていても仕方がないからね」
「でも一年は喪に服さなきゃね」と関さんは言った。
「そうだね。ともかく広美、ご両親の勧めだったら、一応その人に会ってみて、それから判断すればいいんじゃないのかな?結婚してしまうのは寂しいけど」
私は本心を伝えた。
「そうね、分かった。今日は久しぶりに広美って呼んでくれて嬉しかったわ。じゃ、また経過を電話するね」
関さんはそう言って電話を切った。
私は十五分ほどの短いドラマが終わったような、少し寂しい感覚にしばらく包まれた。
三月に月が替わって数一週間ほどが経ったある日、T社の部長に呼ばれて東京方面の尾行調査の打ち合わせ中に、久しぶりに真鈴からスマホメッセージが飛んできた。
「合格したよ!お祝いに何かご馳走してよ」とメッセージにあり、クマが万歳をしているスタンプが届いていた。
打ち合わせを終えてT社を出てから真鈴に電話をかけてみると、待っていたように彼女はすぐに出た。
「すぐに電話をくれると思っていたのに」
「仕事の打ち合わせ中だったんだ。それでどこの大学に合格したんだ?」
「何だよ、言ってたでしょ。K大学だよ」
私はしばらく絶句した。
K大学を受けるとは言っていたが、まさか合格するとは思ってはいなかった。
すべり止めで、どこかの私立大学に受かるだろうと推測していたのであった。
「ホントにすごいな、見直したよ」
「だから、何かご馳走して。それとも何かプレゼントくれる?」
真鈴は当たり前だが上機嫌だった。
「明日から東京方面に尾行の仕事が入ったんだ。おそらく土日の二日で終わると思うから、帰って来たら好きなものをご馳走するよ」
「絶対だよ、約束ね」と言って、真鈴は電話を切った。
彼女の狂喜乱舞している様子が手に取るように分かり、私は素直に嬉しかった。
東京方面の尾行の案件は複雑な内容だった。
依頼人は内科医の妻、夫の尾行なのだが、土日の調査である。
土曜日に東京都内で医師会の学会があり、日曜日に帰って来るというのだが、依頼人は夫にはきっと女がいるに違いないと確信を持ち、どこかで合流するはずと言う。
学会は日比谷公園の近くのビルで行われ、宿泊先は決まっていないと夫は言っているらしいが、おそらく予約をしているはずだとのこと。
いずれにしても、依頼人が確認しているチケット情報により、同じ新幹線に同乗してずっと尾行することになるのだが、ひとりでは難しい調査で、しかも一発勝負だから、T社の調査員とふたりで行うことになった。
事務所に帰って翌日の準備を終え、律子さんに土日は東京方面へ出張になる旨を伝え、可能ならどちらか一日だけでも出勤して欲しいと伝えると、両日オッケーだと言う。
「大丈夫なの?東京方面の仕事だから、尾行中に緊急で何か調べてもらったり、確認してもらったりをお願いすることになると思うんだけど」
「暇だし、大丈夫です」
「彼氏とデートとかないのかな?」
「そんなのあるわけないですよ。岡田さんが彼氏なんですから。去年の夏の約束をまだ守ってもらってないんだからね」
いつものように丁寧語とため口を混ぜて、彼女は恐ろしいことを言った。
昨年の夏、安曇野に立ち寄ると律子さんがいて、ふたりでハシゴ酒となって私が完全に酩酊し、彼女に自宅まで連れて帰ってもらったことがある。
男女の関係には突入しなかったが、その時の私の「順序を経てからだ」という言葉をまだ憶えているのだ。
「律っちゃん、君はまだ若いんだから、こんな中年の冴えない男のことなんか真剣に考えたら変だよ」
「奥さんがお亡くなりになったし、喪に服したあとは律子のことを考えてください。両親も岡田さんには恩を感じているし、良い人だねって言ってるのよ」
私は言葉が出なかった。
有希子の四十九日を終えたあと、関さんといい律子さんといい、いったい私のどこが良くていつまでもこだわるのだろう。
今回の土日の案件が終わったら、キチンとした態度を示さないといけないと思った。
翌日の土曜日、私は新大阪駅の新幹線ホームでT社の若手、A調査員と待ち合わせをして、事前に聞いていた車両付近で依頼人の夫を確認し、尾行を開始した。
そしてこの東京行きをきっかけとして、私のこの先の人生が大きく変化していくことになるとは、この時はまったく予測だにしなかったのである。
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