第二十話 大翔の心

 川品大翔が去ってから暫くの事。

 ようやく落ち着きを取り戻した美玲が口を開いた。


「私……何か、粗相を働きましたか……?」


 目元を涙で真っ赤にしながら言う美玲の言葉に、宏紀は美玲の頭を優しく撫でながら口を開いた。


「確かに、彼が断っているのにも関わらず、礼をしようとしたのは恩の押し売りだ。だが、美玲の行動が間違ったものだとは、私は思わない」


「ありがとう、ございます……」


 優しげに、冷静に紡がれた宏紀の言葉に、美玲は肩を落としながら礼を言った。だがそこには、「やはり自分の行動は誤りだったのか」という自責の思いがありありと浮かんでいる。


「……彼のあの行動は、客観的に見ても過剰すぎる。……だが、お陰で彼の本質が見えた」


 そんな美玲に、宏紀はそう前置きしてから口を開く。


「彼は誇張抜きに、人から善意を向けられたことが無い。それどころか、常に悪意を向けられてきた。故に、関わる人全員から害される事を当たり前だと思っているんだよ。……分かりやすく言えば、究極の人間不信……かな」


「そんな……」


 宏紀の言葉に、美玲は絶句した。

 自分を助けてくれた大翔が、それほどのものを抱えていたなんて、思いもしなかったのだろう。


「そして、それらを拒絶する為にダンジョンを求めた――強さを求めた……って感じかな。私も彼を見ただけだから、これらは全て推測でしか無いが……」


 宏紀はそんな事を最後に付け足すが、宏紀の人を見る目が確かな事は、美玲自身がよく分かっている。

 そんな彼の見解を踏まえ、美玲は――


「そんなの……酷い、です。何か、してあげたい……です」


 大翔の境遇に同情し、何かしてあげたいと心から思った。

 そんな美玲の優しさを、宏紀は微笑ましく思い、微笑する。


「それが美玲の美徳だ。ただ、美玲の方から近づくのは止めておきなさい。そうしなくても、またいずれ彼の方から接触してくるだろうから……まあ、こっちはただの勘だけどね」


「どういうこと……ですか?」


 宏紀の言う意味が分からず、美玲は不思議そうに首を横に傾げた。

 そんな美玲に、宏紀は言葉を続ける。


「彼は優しいという意味だよ。あんな彼が美玲を助けたのが、その証拠さ」


 そう言って、宏紀は美玲の頭を撫で続けるのであった。


 ◇ ◇ ◇


 もやもやするような、イライラするような――何とも言えない気分になりながらも、俺は持ち前の精神力で即座に平常心を取り戻すと、ネカフェに戻った。

 そして、さっさと部屋を出払うと、アルフィアたちに買う土産物を買いに行く。

 何にしようか、何が喜ぶかと悩みつつも、何とか土産を決めた俺は、それを先ほど貰った金で買うと、人目が無い事を厳重に確認してから《空間転移ワープ》で第600階層に戻った。


「あ! マスター~~~~!!!!!」


 夜の帳が下りた平原に、ポツンと佇む家の前へ転移した直後、ルルムが家から跳び出してきたかと思えば、俺の胸に突撃してきた。


「おおう。ただいま、ルルム」


 上手くルルムの勢いを殺した俺は、手をルルムの背中に回すと、優しく包むようにして抱きしめながらそう言った。すると、ルルムは心地よさそうに俺の胸に頬擦りする。


「えへへ~マスターだぁ~」


 そして、上目遣いで俺を見ながら、にへらっと笑った。

 無邪気に笑うルルムを見て、俺も釣られて笑みを浮かべると、よしよしと頭を撫でてあげる。


「お~ご主人様。お帰りなのじゃ」


 すると、遅れて家からアルフィアが出て来た。


「ああ、ただいま。無事、用件は終わらせてきたよ。少し、休みたい」


 最後の一言だけ目尻を下げて口にすると、ルルムと手を繋ぎながらアルフィアと合流し、家の中に入った。その時、アルフィアが妙に意味深な表情をしていたような気がしたが……気のせいだろう。


「……あ、ロボさん。俺が居ない間、《拒絶領域レジェクトフィールド》の管理をしてくれててありがとな」


 よっこらせとベッドの淵に腰掛けた俺は、ルルムを膝枕しながら、茶の準備をするロボさんに礼を言う。俺の固有魔法である《拒絶領域レジェクトフィールド》の半永続展開の管理が出来るのは、展開した調本人である俺と、精密で安定した魔力操作能力を持つロボさんだけだからね。


「イエイエ。コレクライ、タイシタコトデハアリマセン。デハコレイツモノ、セイレイジュノハヲセンジテイレタオチャデス」


 そう言って、ロボさんは俺に淡い緑色の茶が淹れられたティーカップを手渡してくれた。これは精霊樹という近くの森で生えている木の葉っぱを煎じて淹れたお茶で、飲むとなんだか落ち着いた気分になる。


「ああ。ありがとう」


 そう礼を言って、俺はロボさんが淹れてくれたお茶を飲む。

 うん。地上のお茶よりは薄味だが、この何とも言えない感覚は、これでしか味わえないね。


「ふぅ……まあ、取りあえず人間は上に置いてきた。細かい事は明日話すから、今日はもう寝よう」


「分かった。マスター~~~」


「リョウカイシマシタ。マスター」


「……うむ。分かったのじゃ。ご主人様よ」


 、話す気力が湧かなかった俺は、やる事を明日に回すと、さっさと寝る準備に入る。


「は~……疲れた」


 戦闘衣バトルクロスを脱いだ俺は、そのままゴロリとベッドに寝転がった。

 すると、ルルムがいつものように俺の横に寝転がる。


「ましゅた~……」


 そして、ゴロリと俺の左半身に抱き着いた。

 ロボさんはベッドの上に寝るよりも、ロボットのように立ったまま寝た方が楽という事で、まるで電池の切れたロボットのように、部屋の隅で動かなくなっていた。


「では、妾も寝るとするかの」


 そう言って、アルフィアは同室にもう1つあるベッドにゴロリと横たわった。そして、すやすやと寝始める。


「……やはり、寝れんか」


 だが、俺は寝付けなかった。

 俺に限らずここに居る全員、別に寝なくたって10日ぐらいは普通に行動できる――何なら、エネルギーさえあれば不眠不休も可能だったりする。

 だが、やはり寝て身体を休めた方が、多少なりともコンディションが良くなる故、毎日こうやって寝ているのだ。


「……夜風でも浴びる、か」


 そう言って、俺はルルムの拘束からするりと抜けると、家の外に出た。

 偽りの月と星が浮かぶ夜空。

 その下にある平原で、俺はそっと腰を下ろすと、小さく息を吐いた。


「……何だろう」


 嫌でも思い出してしまう今日の事件。

 あの状況で、美玲を疑ったのは間違いじゃない。

 ただ……少し、暴走してしまった感は否めない。


「……何だよ。あの顔は」


 ポツリと言葉が零れ落ちる。

 俺に更なる礼をしようとした美玲の顔。

 あれは……何なんだよ!


「分かん、ねぇよ……人間って、何なんだよ……」


 だか、これだけは分かってしまった。

 魔法を極め続けたからこそ――悪意をよく知っているからこそ――他者の魂魄こころが、分かるんだ。

 あれは――彼らの言葉は、嘘じゃ無い。


「何故だ。人間の善意なんて、ただの幻想だろうが……っ! 何でルルムたちあいつらみたいな顔すんだ! ……もしや、俺の能力では見通せない程、腹黒いクズなのか?」


 行き場の無い、名状しがたい感情が、俺の中で渦巻く。

 そんな時だった。


「やれやれ。もしやと思ったが、予想通りじゃったか」


 背後から聞こえて来た聞きなれた言葉。

 はっとなって後ろを振り返る。

 すると、そこに居たのは――


「アルフィア……」


 赤い髪をたなびかせながら、悲痛な顔持ちで佇む、心優しき龍の女王だった。

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