第14話 私は君のことを何も知らなかった

 季節は進みようやく照りつける様な暑さが収まってきたある休日の朝、今朝も食堂でフレッドと二人、のんびりと朝食を取っていた。


 突然、何の前触れも無く背後でドアが開く音がして、私達二人の会話も必然的に止まる。フレッドはドアの方を見ると、驚いたような、困ったような顔をする。私も振り返ると、立っていたのはお父様とお母様だった。


「ご主人様、申し訳ありません」


 フレッドはそう謝ると、席を慌ただしく立ち上がり自分のまだ食べ終わっていない食器をまとめ始める。私は必死になって言葉を探す。


「フレッドは悪くないの。私が無理を言って、一緒に食べているだけだから」

「いえ、アンリ様のせいではありません。私の気の緩みが原因です」


 二人でそんなことを言っていると、お父様達は怒るどころか微笑みを向け口を開く。


「フレッド、その片付けようとしているお皿を置きなさい」

「そうよ。あなたがアンリと朝食を一緒に取る事がダメだなんて決まり、無いわよ」

「ですが…」

「アンリには普段、一人で朝食を取らせてしまっているんだもの。ご飯を食べるときは、一人で食べるより楽しんで食べた方が良いわ」

「ほら、分かったら席に座りなさい」

「はい」


 フレッドは迷いながらも席に着く。


 それを確認すると、お父様達は特に何かをするわけでも無く、部屋を後にしようとする。それでも何かを思い出したのか「あっ」とお母様が振り返る。それはどうやら私では無く、フレッドに向けて。


「後で私達の部屋にいらっしゃい」


 それだけ言うと二人は部屋を出ていった。


 お父様達がフレッドのことを認めていることを改めて分かって安心したが、一気に気を張った分、朝から疲れた。


 フレッドは何を考えているのか分からないが、その後は一向に黙り込んでいた。


 今日一日、私は書庫で過ごすことを前々から決めていた。特にやることがあるわけでは無い。ただ活字を見たくなった。


 そして慣れてきたとはいえ、フェマリー国の文化を知るためにも本を読むのは良いことだと思う。


 朝食の後、フレッドに「書庫に行ってるね」と声を掛け真っ直ぐに書庫に向かった。


 もちろん初めはフレッドのことも誘ったが、今日はやるべき事が溜まっているらしい。


 書庫内はフレッドの一番のお気に入りの場所でもあり、丁寧に掃除してくれているから埃一つすら漂っていない。


 今日はどんな本を読もうか。歴史、文化、それとも小説?


 迷いながら本棚の前を歩いていく。


 一瞬、いつもフレッドが読んでいる本の辺りも通るが、それはかなり難しい書物だらけ。一応、私は学園に通って勉強はしているし、フレッドよりも年上ではある。それでもフレッドの方が頭が良い。それは悔しいと言うより、潔いくらい。時々、分からない勉強を教えてくれることもあって感謝している。


 でもそれは、もちろんフレッドの地頭が良いと言うこともあるんだろうけど、フレッド自身が努力している姿を私は見ている。


 しばらく悩んで、ようやく一冊の本に決めた。


 本当ならこの国の歴史や文化を学べる本を読んで、少しでも吸収出来れば良いのかもしれないが、やっぱり自分がお話の主人公になって疑似体験することが出来る小説が好き。


 窓から入る陽に照らされた席に着くと、本の世界にしばらくの間旅立つ。


 どれくらいの時間、本の世界に居たのだろう。キリの良い所まで読み進めた私の体はガチガチだ。休憩がてら、少し散歩でもしようか。そう考え、屋敷内を散歩することにする。


 書庫を出ると特に何も考えずに歩き回る。一階に降りてみたり、温室に入ってみたり。キッチンに入って新作の焼き菓子を作るルエを眺めてみたり。


 ルエはいつも通り、焼き菓子が焼き上がると温かい状態のモノを一つ分けてくれる。シーズさんも、そんな私達の様子を遠くから眺めては微笑ましそうに笑う。


 その後も外で洗濯物を干しているメイドさんの手伝いをしてみたり、のんびりと水を飲んでいる馬を眺めたり。


 そんな風に過ごしていると、時間はあっという間に過ぎていく。


 そろそろ本の続きでも読もうか、そんな風に書庫に向かっているときだった。


 お父様達の部屋のドアが少しだけ開いていて、中から話し声が聞こえてくる。


「本当にこのままで良いの?」


 どうやらお母様が誰かと話しているらしい。私は立ち聞きなんて無礼な真似をするつもりなんて無かったが、お母様の雰囲気がいつもと違う事がどうしても気になってしまい、足を止めていた。


「来年になれば、あなたも爵位を継げるようになるのよ?」

「私は…」


 そう返してたのがフレッドだと、声だけで分かる。


 でもどうしてか、それ以上は勝手に聞いてはいけない気がして早足に書庫に向かった。


 二人のそれまでの会話を聞いていたわけじゃ無い。だからどんな話の流れだったのかは分からない。けどお母様は確かに「爵位を継げる」と言っていた。一体何の話だったのだろう。


 その後、お母様はもちろんのこと、フレッドもまるで何も無かったかのように過ごしていた。


 そんな姿に、私も何も聞くことは出来ない。


 だが、それをすぐに後悔することになるなんて、その時の私は思ってもみなかった。


 次の日の朝、いつもフレッドが部屋に訪れる時間になっても、部屋にフレッドが現れない。寝坊しているのかと思い一人、食堂で待っていても、いつまでもやって来る気配が無い。


 ルエやシーズさんに聞いてみても、今日はまだフレッドには会っていないと言う。


 なんだか、胸の奥がザワザワと嫌な音を立て始める。


 大人しく座っているなんて出来なくて、使用人達の部屋が立ち並ぶ三階に初めて足を踏み入れる。そして真っ直ぐにルエに教えてもらったフレッドの部屋に向かう。


 ドアをコンコンとノックしてみるが、いくら待ってみても返事が無い。


 勝手に開けても良いのかと悩むが、仕方ないと言い聞かせドアを開ける。


 フレッドの部屋は机とベッドがあるだけで、とてもシンプルな部屋。だが、結局肝心のフレッドはいない。


 布団は皺一つ無くピシッと整えられていて、まるでこの部屋で初めから誰も生活していなかったかのような感覚になる。


 その後、書庫に向かってみたが誰も居ない。一階、二階と全ての部屋を回ってもどこにも居ない。ワインセラーや食料保管庫のある地下にも行ってみたが、やはり居なかった。途中ですれ違うメイドさんやジーヤさんに聞いてみたりするも、誰も見かけていないと言う。


 どうしよう。この屋敷内に居ないのだとしたら探しようが無い。


 これまでずっと側に居たはずなのに、私はフレッドのことをほとんど知らない。それはフレッドがいつも私の話を聞いてくれるあまり、私がフレッドの事を聞けていなかったから…。


 唯一、心当たりがあることと言えば昨日のお母さんがしていた会話。どうしてあの時、最後まで聞かなかったのだろう。


 いくら後悔しても時間は戻ってくれない。私は急いでお父様達の部屋に向かった。


 ノックを忘れてドアを開けると、いつもは二人揃ってくつろいでいるとこが多いのに、お父様の姿は無く、お母様は椅子に座り頭を抱えていた。


 お母様のそんな姿を見るのは初めてで、話しかけても良いものかと迷っているうちに、お母様は私の存在に気がついた。


「お母様、私聞きたいことが…」

「アンリ、外の空気を吸いたいわ。付き合ってくれる?」


 まるで私の言葉を遮るようにそう言ったお母様は、私の返事を聞く前に部屋を出ていく。


 それ以降、何も話そうとしないお母様の後ろを続いて歩くと、お母様が向かったのは私が毎朝のように訪れているバルコニーだった。


 外に出た途端、お母様は大きな深呼吸をする。


「それでお母様…」

「聞きたいことって言うのはあの子、フレッドの事でしょう?」

「え?うん。フレッドがどこを探してもいないの」


 そう言うと、全てを知っているかのような表情をした後、「ごめんなさい」と一つ謝ってくる。


 お母様は一体何を知っているの?それに一体何に対して謝っているの?


「フレッドがいなくなってしまったのは、私のせいかもしれないわ」

「それって昨日、お母様とフレッドが二人で話していたことと関係あるの?」

「あら、聞いていたの?」

「偶然通りかかったときに、二人が話しているのが聞こえてしまったの。でも全部は聞いていなくて、お母様がフレッドに爵位がどうのって」

「…そうね。こうなってしまった以上、あなたにも話しておかないといけないわ」

「話すって何を?」

「フレッドと私達の過去の話よ」

「それが今、フレッドがいないことと関係があるの?」

「えぇ、おそらく」

「お願い、聞かせて」


 そしてお母様から聞かされた内容は想像を超えた内容のモノだった。


「私には昔、姉がいたの。とても優秀で、それでいて誰に対しても優しい人だった。だから自然と誰からも好かれていたの」

「どうして過去形で話すの?」

「私の姉は丁度十年前、屋敷の火事で亡くなったのよ」

「え…」

「その火事で亡くなったのは姉夫婦、それから屋敷に仕えていた何人もの人達。お屋敷があったのが、この辺りとは違って田舎の方だったから、火事が発見されてもすぐに消火活動なんて出来なかった。私は姉が亡くなったという知らせを受けて、お父様と共に向かったわ。到着してすぐ、悲しんでいる暇も無く彼女たちのお葬式に参列した。周りには姉夫婦と親交が深かった人達が大勢参列して、みんな涙を流していたわ。だけど、ただ一人一番前に立つ、まだ十歳にもならない男の子は一人、涙を押し殺していた。その男の子とは、それまで会ったことはなかったけれど、お姉様との文通で子どもが出来たと聞いていたから、すぐに息子さんだと分かったわ。…あなたもここまで聞けば、想像が付くでしょう?」

「…その生き残っていた息子さんが、フレッドなの?」

「えぇ、そうよ。あの子の後ろ姿を見たとき、あの子のことは姉に代わって私達がしっかりと育てるって誓ったの」

「え?待って、お母様のお姉様って事はフレッドも貴族の息子でしょう?だけど今、フレッドは私の執事として…」

「えぇそうね。…実はお葬式が終わった後、あの子の事を引き取ると決めて話しかけたの。そしたら父上や母上が亡くなったのは僕を助けてくれたから。僕が居なければ、二人とも助かっていたと私達に話したの。もちろん、フレッドはまだ十歳にもならない幼い子だったし、姉夫婦はあの子だけでも生き残ったことを喜んでいるはず。そう話しても一向に話なんて聞いてくれない。それどころかあの子は、これからは自分への戒めとして、働かせて下さいって言い出すの」


 フレッドがまだ幼い頃、両親を亡くし、お葬式の場で私のお母様達にそう言っている場面を想像すると胸がギュッと痛くなる。


「もちろん初めは断ったわ。お父様もあの子には貴族教育をアンリと共に受けさせようとした。だけど、あの子は自分の決めたことに突き進む性格だから、私達の話も聞かずに洗濯やら料理をしようとした。そんな姿を見て私とお父様は、諦めて本人の気が済むまでは好きにさせようと決めたの。その代わり、普通の家事は危ないから、アンリのことを任せたの。とは言っても、私達はアンリの遊び相手になってくれれば良い、位にしか考えていなかったわ。だけどあの子はまるで執事のようにあなたに関わるようになった。でも本人もそれを楽しんでいるようだったし、止めることも出来なかった」

「じゃあ昨日の話は…」

「アンリはこの国の貴族制度、爵位の受け継ぎについて知っている?」

「ううん、分からない」

「この国ではね、学園に入学できる年齢にならないと爵位の受け継ぎは出来ないの。だけど来年になれば、爵位を受け継ぐことが出来る。あの子は、昔から勉強をすることが好きだったから、私達は当然爵位を受け継いで、学園に入学すると思っていたの。それで昨日呼び出したのだけど、あの子は学園には入学しないし爵位も放棄すると言ってきて…。どうしてか聞いたら、詳しくは教えてくれなかったけど、やはり火事のことに責任を感じているみたいだった。それでもあなたのせいでは無いのだから、もう一度考え直して欲しいと伝えたのだけど、もしかしたらそれがあの子にとって負担になってしまったのかも知れないわ」

「…どうして今まで教えてくれなかったの?」

「あの子に口外しないように言われていたの。それを正直に守っていた私達が正しいのかと聞かれたら、私にも分からないわ。ごめんなさいね、アンリにもこうして迷惑を掛ける形になってしまって…」


 そんな過去を知っているお母様達だから、フレッドが私と踊ったときも、朝食を取っていることを知ったときも、どこか嬉しそうにしていたんだ。


 きっとお母様達はフレッドにのびのびと過ごして欲しかった。それでも変にこだわりを持つフレッドを尊重しながら考えると難しかったのだろう。


「お母様、私どうすれば良い?」

「私も分からないわ。あの子がどこに居るのか見当も付かない。今、お父様が色々な場所に駆け寄ってくれているけど…。あの子には身寄りだって他に無いはずだし…」

「そう…」

「でも、あの子が帰ってきたら、あなたはあの子の側に居てあげて」


 その日、一日中フレッドがいつ帰ってきても良いようにと玄関の前で待ち続けた。


 途中、一人で座り込んでいる私を見て、ルエが横に並んでくれたりもした。


 だが、いくら待ち続けてもフレッドが帰ってくることは無かった。


 次の日はほとんど眠っていない体で、街中を歩き回った。だが、それまで外をほとんど出歩くことが無かったため、あまり遠くまで行くことも出来ずに、収穫は全くなし。


 そしてフレッドが居なくなって三日目。今日も学校はお休みした。そのことについて、お母様やお父様は一切怒る事は無い。むしろ、ほとんど食事や睡眠を取ろうとしない私を心配している。


 私は今日も、玄関の前で丸くなって座っている。


 昼頃、眠気に負けウトウトと首を振っていると、突然ドアが開く。一瞬で目が覚めて、目の前に立つ人物に泣きそうになる。


「うそ、本物?」

「もちろん本物です。…どうしてこんな所に座っているんです?」

「そんなの、フレッドをずっと待っていたからでしょう?」

「すいませんでした。急に姿を消してしまい」

「ううん、戻ってきてくれてありがとう」

「私は失格ですね。アンリ様に、そのようなお顔にさせてしまって」

「そんなことない」


 そうしてそれまでギリギリ溢れ出すか、出さないかで堪えていた涙が勝手に溢れ出す。


 私は涙なんて拭わずに、目の前に立つ彼をもう二度と離さないように抱きしめる。


「アンリ様…?」

「私、お母様からフレッドの事全部聞いた」

「そうですか…。迷惑を掛けないようにと黙ってもらっていたのですが…」

「話してよ」

「え?」

「勝手に私の迷惑になる、だなんて決めつけないで」

「アンリ様?」

「私、この三日間ずっと後悔してた。今まで私は自分の話ばっかりで、ろくにフレッドの事を知らなかったんだって。私はたくさん助けてもらっていたのに…」


 そう泣きながら一気に喋ると、黙って聞いていたフレッドは私の頭を優しく撫でる。


「ごめんなさい。私は勝手なエゴでアンリ様を巻き込まないようにしていたのですが、そのエゴが逆に苦しめていたんですね…」

「ねぇ、フレッドも来年から学園に通えるのでしょう?」

「えぇ、一応」

「じゃあ一緒に通おうよ。フレッドは勉強すること、好きなんでしょ?」

「ですが執事としてのお仕事が…」

「私は執事としてフレッドに側に居て欲しいわけじゃ無いよ。ただ、側で一緒に笑っていたいの。私のためにって、フレッドの道を閉ざすのは絶対に嫌!それにフレッドが爵位を継いでこそ、出来ることだってあるでしょう?」


 フレッドはその言葉に押し黙る。そしてしばらくすると、一つ深呼吸をしている。


「一度、ご主人様方と話してきます。三日間、屋敷を開けてしまったことも謝らなければなりませんし」

「うん。二人とも心配していたから、会ってきてあげて」


 抱きついていた体をフレッドから離すと、彼は一度お礼を言ってお父様達の部屋に向かっていった。


 どれくらいの時間が経っただろうか。自室のドアをコンコンとノックする音が聞こえ、現れたフレッドの表情は明るかった。

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