第13話 感謝しても仕切れない(ザック視点)

「ザックくん」


 本を読んでいるときだった。それまで静寂に包まれていたはずの空間に突然私の名前が呼ばれた。まるで心臓が飛び出るのでは無いかと思うほど驚いたが、それでも平静を装って声のした方向を向くと、枕を抱えたアンリ様が立っていた。


 私達がそれぞれ布団に入ってから二時間は過ぎただろうか。怖い夢を見たと言うアンリ様にはひとまず座っているように促し、お茶を淹れるために立ち上がる。


 だがそれにしても、先程からアンリ様は無理に話を続けようとする。よっぽど怖い夢だったのだろうか。さっき席を立つときに目にしたアンリ様の目元には薄らと涙が溜まっているように見えたし。


 しばらく話していると、詳しくは話そうとしないが、大まかな夢の内容を教えてくれた。それを聞いただけで、確かに嫌な夢だなと聞いている側まで思う。


「うん。その夢はもちろん怖かったし、何より世界に私の味方は誰一人居ないんじゃないかって」


 そう言いながら、枕を抱える力を無意識に強めている。


 私はアンリ様のことを大して知っているわけでは無い。これまで社交界に出てくる事が無かったため、色々な噂話として聞いていただけで、実際はどんな人なのか知る機会は無かった。


 そして学園に入学し、実際にこうして関わるようになって知ったのは、彼女が頑張り屋でとても優しい人だという事。そしてその優しさ故に、時に自己犠牲に走る事があるということ。


 アンリ様が育って来た過程を知らない私には、アンリ様が今まで何を感じて、何を考えながら生きてきたのか知ることはできない。


 そうだったとしても、分かることはある。


「じゃあアンリ様は、今もこの世界に独りぼっちだと感じるか?」

「ううん。だって今はザックくんがいるから」

「そうか、それなら良かった」

「それにクイニーにミンスくん、屋敷に帰ればお父様とお母様、それにフレッドやルエもいるから」

「あぁ、アンリ様には味方がたくさん居る。楽しいことを共に共有するのはもちろん、怖い思いをしているときに守るのも私達の役目だ」

「私、いっつも守られてばかりだね」

「そんなことはない。みんな、いつもアンリ様には助けられている」

「でも私、何もしてないよ?」

「何か特別なことをしなくても、そこに居てくれる。それだけで大きな支えになってくれていることもある」

「そっか。それならいいな。私にはみんなを物理的に守れるような力は無いから」


 そう言いながら枕を抱える力を緩めると、安心したのか目が垂れている。


 それでも一人で眠るのは怖いのか、この狭いカウチで眠ろうとする。それを断ると、今度は明かりを付けて眠ると言う。でもそんなことをして寝ても、疲れは十分に取れないだろう。


「仕方ない。今日は特別に寝かしつけてやるから。それなら怖くないだろう?」


 本当はそんなこと、ただの友達である私がするのは良くないことなんだと分かっているが、このままでは大人しく眠ってはくれないだろう。だから、眠りにつくまでだと自分に言い聞かせ、隣の部屋に向かう。


 暗闇の中でもアンリ様が夢で起きて、そのまま抜け出してきたんだと分かる形跡が残っている。アンリ様が布団に入ったことを確認すると、ベッドに腰掛ける。


「ちゃんといる?」


 目が慣れてきた頃、そんな声にアンリ様の顔を見ると、私がどこにいるのか分かっていないのか、不安そうにキョロキョロとしている。


「ここに居る。まだ目が慣れないのか?」

「うん。お願いだから、私が眠るまでどこにも行かないでね」

「分かっている。ほら、ゆっくりと目をつぶって」

「うん。…ねぇ、背中トントンして欲しい」

「背中?ほんとアンリ様はミンスにそっくりだな」


 ほんと、ミンスにそっくりだ。


 幼馴染みだったミンスとは家も近かったこともあり、幼い頃から二人でお泊り会なんて事をしょっちゅうしていた。と言っても、大抵はミンスが勝手に泊まりに来ていたのだけど。


 二人で並んで眠りにつくと、ミンスは良くない夢を見る度、決まって私のことを起こし、泣きながら夢の内容を話していた。


 そして眠るときには決まって、背中をトントンしているように頼まれた。


 ゆったりとしたテンポで布団越しにトントンと振動を与える。それが落ち着くのか、自然と顔をほころばせると、すぐに小さな寝息が聞こえ始める。


「…もう寝たのか。今度は良い夢を見られると良いな」


 すぐに手を止めては目を覚ましてしまうかも知れないな。


 しばらく手を動かし続けると、本格的に眠りについたのか何か寝言を話している。それは小さすぎて聞き取れないが、表情からして悪い夢では無いらしい。それが分かると一安心だ。


 アンリ様には本当に色々な事で感謝している。特にミンスのことを大切にしてくれていることには感謝しても仕切れない。


 これまでミンスは私にべったりで、どんな時でも常に二人一緒が当たり前だった。


 それなのに、学園に入学し別の科への進学だったため強制的に短時間でも離れるようになった。


 ミンスは昔から誰とでも話せる奴だったから、その面では心配していなかったが、人を信じやすい分、傷つく姿を何度も見てきた。それによって一時期は塞ぎ込んでいたこともある。


 だからミンスの側にはミンスのことを絶対に傷つけない人に居て欲しかった。


 ミンスが初日、私の所にアンリ様を連れてきたとき、まさかオーリン伯爵のご令嬢を連れてきた事に驚いたが、その後交わした会話で、アンリ様が悪い人では無いと確信し安心したのを覚えている。


 アンリ様がミンスやクイニー、そして私のことを大切にしてくれている、と言うのが関わっていて伝わってくるからこそ、私も大切にしたいし、力になりたいと思う。

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