第11話 忘れられない過去
「ねぇお母さん。これ、どっちが良いと思う?」
「…」
「ねぇってば」
「うるさいわね、そんなのどっちでも良いじゃない!それくらい自分で決めなさい!あなたの優柔不断なところ、本当に悪い所よ」
グサリと胸の辺りに透明の刃が突き刺さる。痛みを無視し、持っていた二つの服を力強く握ると、愛想笑いを貼り付け自室に戻っていく。
マンションのくせに壁が薄いこの家では、自室に居てもリビングの声なんて丸聞こえ。お母さんと妹が楽しそうに話している声もバッチリ聞こえる。
「ねぇ、お母さん。見て、私の好きなグループがCD出すんだって」
「誕生日は来週でしょ。その時にお願いすれば良いじゃない」
「ダメだよ。誕生日には新しいゲームをもらうんだから」
「もう、しょうがない子ね。分かったわ、お母さんの方からお父さんにさり気なく伝えてみるわ」
「わーい、ありがとう」
なんで?どうして?同じ姉妹なのに、こんなにも対応が違うの?
あの優しい声が私に向けられたのは、いつだっけ。それすらも思い出せない。
何が悪かったんだろう。今までずっと、お母さん達の機嫌を損ねないように、我儘だって反抗だって一度もしたことがないのに。
私のこの声が、聴力がなくなってしまえば良いのに。この声がなければ、無性に話を聞いてもらいたくなることはないし、聴力がなければ妹とお母さんの会話を聞いて自分と比べることもないのに。
それか感情そのものが無くなったら楽なのかな。いちいち苦しむことも、悩むことも無くなるのかな。
どこに行っても私は、ありのままの姿で居られない。
学校に居ても、みんなはすでに受験に向かって努力しているのに私だけ、まだ何も決まっていない。
先生は急かすだけ急かしてくる。早く決めないといけないことくらい分かってる。でも想像できない未来のことを、どうやって決めたら良い?決めるだけ決めて、自分の道に迷いを持ってしまったら?一度入ったら、二度とやり直すなんて出来ないのに。
はぁ、どうしてこの世界は、こんなにも生きづらいんだろ。どんなに居場所のない空間だったとしても学校に通うのが当たり前。真面目に通ったとしても、だからといって将来が安心できるものになるのかと言われたら、そうはならない。
小さい頃から良い高校に行くために今は勉強を頑張るんだよと育てられ、高校に進学した途端、良い大学に入学するためにと言われる。
いつもいつも未来のため。そんな風に言われて、きっと大学に入学したところで、今度は将来良い企業に就くためなんて言われるんだ。
そして就職できた後も、歳を取ったときに困らないため。そんな風に言われる。
じゃあ結局、いつまで頑張れば良いの?そんな風に思っても誰も答えなんて返してくれない。
「あぁダメだ」
こんな部屋に籠もっていても、どんどんマイナス思考になるだけ。
確か今日は半年間待ち続けた漫画の最新刊が発売されているはず。いちいち着替えて駅前に向かうのは面倒だけど、家に居るよりかはマシ。
急いで身支度を調えると最低限の荷物をまとめ、廊下に出る。
だが、玄関で靴を履いていると、偶然リビングから出てきてしまった妹が私にゴミを見るような目を向ける。
「うざ」
そんな幼稚な悪口を廊下に残すと、自分の部屋に入っていく。
一体どうして私の姿を見ただけで、そういった発言が出てくるのか理解できないが、そんなの考える方が無駄。
私と妹は姉妹なのに、どこも似ていない。顔の作りも、雰囲気も性格も考え方だって、何を取っても正反対。どれも妹の方が、今の世の中で得をする。
諦めて家を出ると、汚いドロドロとした感情を吐き出そうと深呼吸する。
「よし、もう大丈夫」
だがその後も、私にはどんどん悪いことばかりが降りかかる。
住宅街の細い道を歩いていると、向かい側から女子高生三人組が道の端から端まで広がって歩いてくる。邪魔だなと思いつつも、仕方なく壁ギリギリに避けた。なのに「邪魔なんだけど」と人を馬鹿にしたようにジロッと見られる。
その後、なんとか駅前にたどり着くが、こんな昼間から金髪やら赤髪など、どう見ても自分たちが世界の中心だと思っていそうな陽キャ共が周りの目なんて気にせず大声で騒いでいる。
うるさいなと思いながら、静かに近くを通りかかる。するとなぜかその集団は目の前を通った私を指さすと、ふざけたような、揶揄うような口調で話しかけてくる。
「ねぇねぇ、君高校生だよね?こんな昼間から、そんなネガティブオーラ全開で歩かれると気になるんだけど」
「ってか、この辺りの高校生って顔面偏差値高いイメージだったんだけどなぁ」
明らかに馬鹿にしている。そんな自分が可愛くないことくらい、言われなくても分かってる。
とりあえずひたすら無視。こういう人間は構ってもらいたくて話しかけてくるだけ。
そんな風に自分に言い聞かせると、スタスタと目的地まで足を動かす。それでも男達の足は私よりも長いから、残念ながら簡単に追いついてくる。
あぁもう、どうして私なんかに構うのかな。明らかにノリの良さそうな女の子なんて駅前にたくさん居るのに。
「君、つれないねぇ」
「君みたいな陰キャは人の言うことを聞いて過ごしていれば良いんだよ?俺らの引き立て役以外に、君みたいな子が役に立つ場面なんて無いんだから」
無視無視。まるで何も届いていない、聞こえていないかの様に無表情で足を動かす。
はぁ、こんなことならイヤホンでも持ってきていれば良かった。
男達は私の言動が気に入らないのか、「チッ」と舌打ちをすると、強引に腕を掴んでくる。男の無駄に長い爪が腕に食い込んで痛い。
私は足を止め男を睨む。
それが気に入らなかったのか、男は機嫌を悪くすると「来い!」と腕をそのまま引っ張って歩いて行く。
抵抗しようにも、男の力に叶うはずも無く、引きずられる。
周りは気がついてるはずなのに、誰一人助けには来てくれない。
引かれるまま、駅前の賑やかな空間から、猫一匹すら歩いていない静かな路地裏に連れ込まれてしまった。
そろそろ本気でまずいかも知れない。そう心の中で分かっているが、心臓が変なリズムで鼓動を打つだけで打開策なんて何も思いつかない。
路地裏の中、その脇道を男達が曲がると行き止まりで、かなり前に閉店したのか古いバーのドアに押しつけられる。
男達は私が逃げられないように囲み、ニヤリと気持ちの悪い笑みを浮かべる。
その笑みが気持ち悪く、背筋に一気に寒気が走る。
「おっ、ようやく君も怖くなってきたのかな。折角俺たちが話しかけてあげてるのに、無視する君が悪いんだからね?」
「でもさ、この子の顔、本当に微妙だよな。折角ここまで連れてきたのに」
「だな。でもだからこそ、男慣れとかしてねぇんじゃね?ほら、俺らに囲まれただけで固まっちゃってる」
「あはは、受ける」
閑散とした路地裏に下品な男の笑い声が響き渡る。
私は一体この後、どうなってしまうんだろう。
そんな風に思っているときだった。丁度男が私の肩に手を乗せようとしたところで、背後のドアがギィと錆び付いた音を立てる。ドアを開けたのは白髪が綺麗に整えられたおじいさん。
おじいさんは私の置かれている状況をすぐに察したのか「おい、君たち!」と見た目に見合わない声を上げる。
すると驚いて固まっていた男が「やべっ」と声を出すと、慌てたように一気に走り逃げていく。
「待ちなさい!」
男が逃げていったことで安心したのか、一気に足の力が抜けてしまう。
するとそれまで怒りの声を出していたおじいさんが、目の前にしゃがみ込む。
「君、大丈夫だったかい?」
そんな優しいおじいさんの声に余計に安心したのか、一気に涙が溜まり、喉からはヒューヒューと空気が通る音が鳴っていて、体にも全くと言って良いほど力なんて入らない。
「もう大丈夫だから、落ち着きなさい。ほら、ゆっくりと私の真似をして呼吸してごらん」
そう言っておじいさんはわざと大袈裟に深呼吸してみせる。
だから私も、荒い呼吸を少しずつおじいさんの呼吸に合わせていく。
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