第9話 クラブ創設
目が覚めると私はベッドの上で、出かけていたのは夢だったのかと思ったが、左手にブレスレットのチャームが揺れているのを見て安心した。どうやら私は民用馬車の中で眠ってから、今の今まで眠っていたらしい。
今朝は疲れからか、バルコニーに向かわずにフレッドが来るまでの時間、布団から出ることが出来なかった。
今日は午後の一時間のみ授業があり、学園に向かう。
相変わらず校門前で三人と待ち合わせた後、授業までの時間を過ごそうと、ラウンジに来ていた。
「あぁ、ひつこい」
そう唸っているのはクイニー。その横でミンスくんがなだめようとしているが特に効果は無さそう。
なぜクイニーの機嫌がいつも以上に悪いのか。それは周りに集まっている女子が原因だろう。
ここに来たのは、せっかくだから行ってみようという軽いノリだった。
それは良いもののクイニーやミンスくん、そしてザックくんと少しでも仲良くなりたい女の子達が、自分から行かずともやって来た好機を見逃すはずもなく彼らを捕まえた。私はと言うと、同じ席に座っているはずなのに、見物人状態。
だけど、遠くに座りこちらをチラチラと眺めていた男二人組が歩いてくると私に向かって話しかけてくる。
「ねぇねぇ、こんな所にいても暇でしょう?俺たちと一緒しない?」
はぁ、またか。そうウンザリとしているとすぐにミンスくんが気がついてくれる。
「ダメダメ、アンリちゃんは僕たちと一緒にいるの」
「チッ」
そう言うと男達は去って行く。今日で三度目だ。ここに来るまでの間にすでに二度、同じように声をかけられていた。
ただ男が簡単に去ったとしても、肝心の女子は消えない。
徐々にクイニーの機嫌が悪くなっているのが雰囲気だけで分かる。それでも周りの女子達は気がついていないのか、それとも気がついていても気にならないのか、かなり強気だ。
「そろそろ去らないと、クイニーが噛みつきますよ」
そうザックくんが溜息とともに忠告するが、「でもぉ」と言いながら女子達は私を指さしてくる。
「どうしてこの子は一緒にいても良いの?」
その一言で周りにいた女子はみんな「うんうん」と頷いている。
正直に言うと、みんな化粧が濃くて威圧感がすごいから、なるべく関わりたくないし、こういう話には特に入れて欲しくなかった。
「アンリ様はクイニーの幼馴染みですし」
「えぇ、幼馴染みだったら側に居て良いの?なんかズルくない?」
「そうだよぉ。それにクイニーくんとは幼馴染みだったとしてもザックくんやミンスくんとはそう言うのじゃないでしょう?」
そんな女子のグチグチが続くと、しばらく黙り続けていたクイニーがついに爆発した。
「あぁもう!うるせぇなぁ!いいか?アンリはお前らと違ってうるさくねぇし、わざわざ媚びを売ってこないんだよ」
「じゃあ私達も静かにしていれば良いの?」
「めんどくせぇ、さっさと消えろ」
そう言うと女子達は「わぁ、クイニーくんが怒ったぁ」とはしゃぎながら離れていった。一体あのメンタルの強さはなんなんだろう。普通、こんなボロクソに言われれば砕けないだろうか。
でもクイニーのおかげでようやく静かになった。
「ああ言うのってよくあるの?」
「えぇ、特に授業後が大変ですね。すぐに教室から出ないと、あっという間に囲まれてしまいますから」
「うわぁ、人気者ってすごっ」
「人気者な訳じゃない。あいつらは俺やザックのことを爵位でしか見てない」
「クイニーに対しては顔が目的の者も多いと思うが」
「でも大抵、そういった俺らに元々あるモノしか見ていない」
「そっか」
「アンリ様もそんな呑気に言ってないで、気をつけてくださいね?」
「私?」
「アンリ様だって伯爵家なんですから」
「そうだよ?それにアンリちゃんは可愛いからすぐに人が集まっちゃう」
「アンリの力じゃ男の力になんて到底勝てないしな」
「大丈夫、アンリちゃんのことは僕たちが守るよ~」
「そんなこと言って、ミンスが一番お気楽者ではないか」
「お気楽者でもやる時はやるもん」
「まぁ、危ない目に遭わないためにも、あまり一人で動き回らないことだな」
「そうですね。今も何人かがこちらを伺っていますし」
「チッ、こんなんじゃゆっくりも出来ねぇ」
「何か私達だけが使える部屋があれば良いのですが」
「あはは、さすがにそんな都合の良い部屋があるわけないよ~」
そんな三人の会話が最近の、いや昨日のフレッドとの会話で何か引っかかる…
「あっ!」
「うわ、なんだよ。急に大声出して。心臓に悪いだろ」
「ごめん」
「どうかしたの?」
「あるよ!そんな都合の良い部屋!」
「どこに?」
「なんかクラブを作ると部屋がもらえるんだって。あ...でもさすがに、そのためにわざわざクラブなんて作らないよね…」
「よし、作ろう」
「え?」
「いいね、面白そう~」
「そうと決まれば、まずは理事長室に行ってみるか?」
「それが良いでしょうね。理事長はオーリン伯爵なのでしっかりと聞いてくれるでしょうし」
「え?ちょっと…?」
そのまま理解の追いついていない頭のまま、三人の変な団結力に何も口を挟むことが出来ず理事長室に向かった。理事長室がある辺りには、人はほとんど通っていなくて静かだ。
理事長室の扉は大きな二枚扉でなんだか仰々しい。それでもクイニーはノックをすると「失礼します」と声を張り重たそうな扉を押した。
これまで聞いてはいたが、実際にお父様のことを大学内で見かけることが無かったため半信半疑でいたが、理事長室の椅子に座っていたのは本当にお父様だった。
お父様は私達が来たことに驚いたような表情を一瞬見せたが、それでもすぐに笑顔を向けて来客用の椅子に座らせてくれた。
「一体どうしたんだい?四人揃って」
「それが一つ、相談があるんです」
「クイニーが私に相談に来るなんて珍しいね。言ってごらん」
「この四人でクラブを作りたいんです」
「クラブ?それは構わないが、一体何のクラブを作るんだい?」
「あっ、それはえっと…、おいザック、俺たちは一体何のクラブを作るんだ」
「それは、…そう言われると決めてない」
「へ?何かやりたいことがあったんじゃないのかい?」
「いえ、それがクラブを作ると部屋がもらえると聞きまして」
「確かに部屋は与えられるけど、それが理由かい?」
「はい。実はですね、かなり困っていることがありまして、このままではアンリが良くない男に捕まってしまうかと」
なんて言いながらクイニーは私に哀れむような目を向けてくる。
いくら馬鹿だったとしても分かる、これはあたかも私を守りたい風を装って完全に利用している。このままではまるで私の我儘じゃないか。
「違うでしょ。クイニーが女の子達に迫られるのが嫌だったからでしょう?」
「そうだよー。確かにアンリちゃんの男関係にも問題はあったけど、第一にクイニーが女の子達に対して爆発したのが原因でしょう?」
「ねぇミンスくん。私の男関係に問題って何か変な意味に聞こえちゃうよ」
「え?そうだった?ごめんね」
「おい、お前ら…」
そんな風に言っているとザックくんは「あらら…」といって呆れている。
「あはは」
突然、それまで静かに私達の様子を見ていたお父様が笑い出すものだから私達の言い合いは止まり、お父様のことを全員が見ている。おそらくこれは、期待させておいてダメというパターンだろう。
「そんな理由でクラブを作りに来たのかい?ふふ」
「やはりダメですか?」
「いや、いいよ。でも本当に面白いね。そんな理由でクラブを作りたいと言われたのは初めてだよ」
「本当に良いのですか?私達からお願いしに来たとは言え、クイニー達のこんな勝手な理由で」
「うん、いいのいいの。クラブの部屋は別館にあるんだけどね、やっぱりそう言う部屋として作られてるから、教室としては使えない構造なんだよね。その上、ワーキングクラスの利用は禁止されてしまっているから、クラブに一つずつ部屋を提供すると言っても、使われていない部屋がかなりあるんだ」
「なるほど。そういうことですか」
「でもクラブを作ると言った以上、形だけでもクラブを作ってもらうよ。とりあえず、この紙を書いておいで」
「この紙は…」
「このクラブがどんな活動をして、誰が所属しているのか。所属するための条件はあるのか、そんなことを簡単に書くようになっているんだ。理由故に難しいかもしれないけど、一応書類として残さないと行けない決まりがあるからね」
「わかりました」
「急がなくて良いからね。それから鍵はこれ。今は二本しか無いけれど、申請すれば人数分の用意も出来るから、後二本の申請も進めておくね」
「ありがとうございます」
「アンリの大切なお友達だからね、私も大切にしたいんだ。アンリのこと、よろしくね」
「はい」
「任せてください」
なんて、お屋敷にいるときと変わらないお父様はあっさりと受け入れてくれて、理事長として本当にそんな簡単に認めてしまって良いのかと不安にもなるけど、それでもやっぱりお父様の気持ちに胸が温かくなった。
その後、理事長室を出ると、まだ時間があったため部屋の下見を兼ねて別館に向かう。そう言えば別館に行くのは今日が初めてかもしれない。
本館は八階ほどあるにも関わらず、別館は三階建ての建物。貴族しか立ち入ることが出来ないからなのか、本館とは違った趣をしていて、外観や廊下は完全に豪華なお屋敷だ。
そんな見た目だが、開けっ放しにされた部屋の中からはワイワイとしたこの年代特有の活気が廊下まで溢れ出していた。
そんな部屋の前をなるべく静かに気配を消して通り過ぎるも、中の女の子達が廊下を歩く私達に気づき、飛び出してくる。
どうして先程まで夢中になっていたはずなのに、影を殺して歩いていた私達に気がつくのだろう。
「クイニーくん!どこに行くの?」
「ザックくんはどこかのクラブに所属なさるの?」
「私達のクラブにご入会なさらない?まだまだメンバー募集中なのよ?」
そんな声に振り向くことなくクイニーはスタスタと歩いて行く。どうやら、ここで何かを返してしまえば女の子達にとって興奮する十分な理由になってしまうことが分かっているらしい。そりゃあそうか、毎日こんな目に遭っていれば、どんな天然だったとしても分かるか。
そして私も変に彼女たちを宥めようと声を出したところで、悪影響になることは十数年の経験から分かっている。
だから私もクイニーに合わせ静かに、まるで何もないところを通っているかのように歩いた。
するとつまらないと思ったのか、女子達は少しずつ去って行く。最後まで諦めずに声をかけてきていた子も、部屋の中から出てきた無愛想な顔を向けた男に捕まり、戻っていった。
「よく我慢したな、クイニー」
「でも眉間の皺、すごいよ~?」
「あいつらを相手にするのはかなりの労力を使うからな。こんな顔にだってなる」
「クイニーの女嫌いは相当なものだな」
「下級の奴らを相手にすることと同じくらい、面倒だ」
「そうか。お前にとってはそんなに苦痛か」
「そんな風に言って、どうせお前らだって面倒だと思っているんだろう?」
「私は面倒と言うよりも時間の無駄だと思っているだけだ」
「それはほとんど面倒と同じ意味じゃないか?」
「はいはーい、僕はね別に面倒じゃないよ?もちろん一気に話しかけられたら大変だなって思っちゃうけど、一人一人なら、全然話す〜。まぁでも、クイニーが一緒の時は、被害が僕のせいで飛んできた、って怒られそうだから、話さないけどね」
「お前は、そうだな。どちらかと言うと、相手が誰だろうと話すことが好きなんだろ?」
「うん!でも今はこのメンバーで一緒にいるときが一番楽しいよ」
階段を上り、鍵に刻印されていた3-Pまで向かう。三階は他の階に比べて、廊下が短く、そもそも他の階よりもスペースが少ないらしい。
そんな三階にある扉はたった一つのみだった。重厚感漂う木製の二枚扉にはpremium roomと刻印がされている。下の階で見た部屋には1-1や2-3といった部屋の階数の後ろに部屋番号が掘られていたのに。それにも関わらず、この部屋には部屋番号がない。
まさかお父様、鍵を渡し間違えたんだろうか。そんな風に不安になっている間にもクイニーはすでに鍵を開け、ミンスくんが「一番は僕!」といって思い切りドアを押している。
開けられたドアの先はまるで時が止まっているような静寂で、大きな窓にはカーテンが掛けられているため薄暗いが、その隙間から入ってくる光に反射して宙を舞う埃がキラキラと踊っているようにも見える。
私達が室内に入り、扉を閉じてしまえば、外の音は一切聞こえず、ここだけ別の空間。
カーテンを一斉に開けると部屋中に光が差し込み、止まっていた部屋の時間が進み出した。
室内の真ん中にはソファーやカウチ、一人用の肘掛け椅子がローテーブルを囲むように置かれている。他にも全員で座ってご飯を食べることが出来そうなダイニングテーブル、空っぽの大きなシェルフが並べられ、暖炉まで設置されている。さらに、隣の部屋にはチラッとベッドが見える。これはクラブの活動部屋と言うより、屋敷の縮小版だと説明された方が納得がいきそう。
「すごい、ここ本当に僕たちが使って良いのかな」
「鍵はここのもんだし、良いんだろ」
「そうだよね」
「ここで全然暮らせちゃうよね」
そう何気なく思ったことを言うと、説明するようにザックくんが口を開く。
「実際、クラブの活動だと言って、お泊り会の様なことをしているクラブもあるらしいですよ」
「面白そう!私達もやりたいね」
「え!僕もやりたい!昼間からたくさん遊んで、夜はみんなでお話しするの!うわぁ、楽しそう~」
そんな風にミンスくんはどんどんと妄想を広げ、私も私でテンションが上がっていると、盛大な溜息がクイニーの方から聞こえてくる。
「正気か?」
「なんで?お泊り会、楽しそうじゃない?」
「いや、そこじゃなくて、一応俺ら男だぞ?そこの所、分かっているのか?」
「だから?」
「色々と問題があるだろ」
「だって別に私のこと、襲わないでしょ?」
「は?襲うかよ、この馬鹿」
「馬鹿じゃないもん。でもほら、これで出来ない理由はないよ?」
「あぁ、もう好きにしろ」
「やったぁ、ミンスくん、良かったね」
「うん!」
「じゃあいつ頃にする?」
「善は急げだよアンリちゃん。ってことで、明日は?」
「多分予定はなかったと思うから、大丈夫!」
「じゃあそういうことで決定ね!ちゃんとオーリン伯爵にも許可、もらってきてね」
「うん!わかった」
「ザックとクイニーは強制ね」
初めてのお泊り会。今までやってみたいという願望は持ち続けていたけれど、それでも一緒に出来るような人はいなかった。
それなのに、それを実際に出来るなんて。この世界に来てからというもの、これまで憧れを抱いてきたことをたくさん経験させてもらっている。
「嬉しそうだね、アンリちゃん」
「うん!ずっとやってみたかったんだ」
「そっか!なら良かったね!」
「うん!」
「ほらクイニー、こんなアンリちゃんを見たら嫌だなんて言えないでしょ」
「はぁ分かった。俺も参加する、それでいいんだろ」
「では、明日のためにも、このプリントは早めに提出した方が良さそうですね」
そう言ってザックくんは先程、お父様から受け取っていたプリントをローテーブルの上に出す。それはお父様の言っていたとおり、クラブについてのことを一通り書くようになっていた。
そんなプリントを囲むようにそれぞれ腰掛ける。クイニーが肘掛け椅子、ザックくんがカウチで、私とミンスくんが二人でソファーに並ぶ。
プリントの記入はザックくんがしてくれるというので任せることにした。
「所属メンバーは私達四人だとして…後は一から考えないとだが、あくまで提出書類、どんな不純な理由だったとしても、あたかも純粋な気持ちでクラブを作ったと思ってもらえる内容じゃないとダメだろうな」
「活動はどうするの?迷惑な人達から逃げる活動?」
「…。いくら本当のこととは言え、そんなの絶対にダメだろうな。もういい、活動内容は後回しだ」
「じゃあ次は、所属条件?」
「これはクイニーが決めた方が良いだろう」
「それなら、所属条件はなしだ」
「なし?全員受け入れるの?」
「違う、その逆だ。誰一人、所属を許可しない。例外はなく」
「あはは、クイニーらしい」
「なんか文句か?」
「違うよ。クイニーので良いと思うよ」
「あぁ、一人受け入れてしまえば、私もと多くの人が殺到するのが目に見えている。それこそ本末転倒だ。だったら条件なしに受け入れない方が良い」
その後、他の記入箇所も埋めていき、最後まで唸ってようやく活動内容についても、まとめることが出来た。その欄に書かれた文を見て、改めて本当にこれでいいのかとも思ってしまうが、でもきっとお父様なら許してくれるかな。
「よし、とりあえずこれでいいな」
「じゃあそれは私から今晩、お父様に渡しておくよ」
「ではお願いしますね」
「…って俺ら、そろそろ移動しないとまずくないか?」
「あっ、次って全員一緒の必修授業だっけ」
「じゃあ急ごう」
口では焦っているが、一応時間はある。だから歩幅はゆったりと大講堂まで歩いて行く。
大講堂は入学式に来て以来。
あの日は初対面のクイニーと二人、二階まで上がりボックス席に座っていたっけ。あの時はクイニーのことは怖いという印象ばかりで、その上、この世界のことすら何も知らない状態で不安も多かった。
まだ大して時間は経っていないのに、こんな風に思えるのは少しでもこの世界に慣れてきたからだと思う。
大講堂の入り口から入ると、あの日のようにクイニーに続いて階段を上ろうとする。だけど階段を上る足音が後ろから聞こえないことに不自然に思い振り向くと、二人が一階の扉から入ろうとしている。
「二人は上に来ないの?」
「私達は子爵家ですから。二階席に自分たちのボックス席は用意されてないんです」
「アンリちゃん、また後でね」
そんな風に二人は笑うけど、なんか嫌だなぁ。お友達同士でも階級のせいで離れることになるなんて。
そう思っているときだった。私の前にいたはずのクイニーが二人の元まで歩いて背中を押している。
「お前らも来い」
「だが…」
「いいんだ。俺とアンリでボックス席を使ったとしても、他にスペースがたくさん空いているんだ。それに俺が決めたことだ、文句でもあるか?」
「クイニーがそう言ってくれるなら…、なぁミンス」
「うん!ありがとう、クイニー」
ボックス席に入ってしまえば、再び四人のみの空間になる。それが他の目を気にせずに話せることもあって居心地が良い。
一階席の方を見てみると、まだ時間があるからかチラホラと人が座っている程度。
クイニーは慣れているからか、キョロキョロと周りを見回したりする事なく、静かに腕を組み座っている。そんなクイニーとは対照的にミンスくんはキョロキョロと辺りを見回しては感動の声を上げる。
「うわぁ、やっぱりボックス席って広いんだね。まさか一人一人の席にボトルまで用意されているなんて、至れり尽くせり」
「確かに、一階席は肘掛けがあるくらいだからな。しかも気をつけていないと、隣が肘をぶつけてくる」
「うんうん。…ねぇ待って、ザックっていつも端の席に座るから、その肘が当たるって言う横の人って僕じゃん!」
「そうだが?」
「もぉ!ザックの意地悪。僕とザックの仲じゃん」
「それでも迷惑なモノは迷惑だ」
そんなやりとりを苦笑いで眺める。
これから行なわれる授業は貴族階級必修の観覧という授業。貴族は必修とされているが、その他の階級はこの授業を受けることが禁止されているらしい。
主にこの授業では、その名の通り演劇や歌、オペラなどを見るだけらしい。舞台に立つのは時々有名な劇団を呼んだりもするようだが、主は二年生以降の学生。
この学園では勉学はもちろんのこと、芸術面にかなり力を入れているようで、一年次からこうしてたくさんの芸術に触れ合い、二年次からは自分の興味ある選択科目を選ぶ。
選択科目には舞台、歌、オペラなどこのステージに立つ授業もあれば、絵や彫刻などかなりマニアックなモノまで用意されているのだとか。
確か今日のステージは演劇。演劇と聞くと私は少しソワソワするような、嬉しいような感覚に包まれる。
というのも中学の部活動では演劇部に所属しており、そこで音響担当のチーフまで務めていた。初めは中学の文化部が演劇部か吹奏楽部しか無かったため、何となく入ったが、それでも私にとっては良い思い出。
だから懐かしいような、あの時の緊張感を思い出す。
「本日もお疲れ様でした」
「今日もお迎え、ありがとう」
一時間の演劇鑑賞を終え、三人と別れた後、すでに校門前には馬車が止まっていた。それに乗り込むとあっという間に馬車はお屋敷までの道を進んだ。
演劇の感想と言えば、ここであの照明の入れ方をするんだ、ここであの音を使うのかと、経験者だったこともあり他とは別の視点で楽しめた。中学の頃、私達が全員全力で取り組んでいたとはいえ、やはり演技、照明、音響、舞台装置、どれもが別格だった。
馬車から手を引いて下ろしてくれたフレッドに向かって呼びかけるとすぐに「なんでしょうか」と反応が返ってくる。
「これからキッチンって使えるかな」
「キッチンですか?あぁ先日仰っていた件ですね。そうですね…、今の時間なら下ごしらえはすでに終わっているでしょうし、だからといって夕食を作り始めるには早い時間なので、おそらく大丈夫かと」
「ありがとう。じゃあ私これからしばらくキッチンに居ると思うけど、良いよって言うまで入って来ちゃダメね?他の人にも伝えておいて?」
「かしこまりました」
もう一度「絶対だよ」と念を押し屋敷に入る。真っ直ぐに食堂に入り、キッチンに入るが今日はルエしか居ない。
ルエは休憩中だったのか、紅茶を飲みながら読書をしていたが私に気がつくと慌てたように本を畳み、机の上に置くと私に向き直る。
「えっと…シーズさんなら今は外に出ています」
「ううん。あのねキッチンを使わせてもらいたかったんだけど」
「フレッドさんから伺っていましたが、一体何を?」
「秘密…と言いたいところなんだけど、ルエにお願いがあるの」
「なんです?」
「私、ここのキッチンを使ったことがないから、どこに何があるのか分からないの。だからちょっとだけ手伝って欲しいのだけど」
「いいですよ。僕も丁度暇していたので」
「ありがとう。じゃあまずは手、洗わせて」
シンクに近づき蛇口を秘めると水が一気に流れ出し、念入りに洗うとルエが持ってきてくれたタオルで手を拭く。
「そう言えば私の材料ってどこにある?」
「それでしたら、パントリーの方に…」
そう言うと、ルエはキッチンの奥にある小さな部屋に入っていく。その後ろをついて行くと、小さな物置のような場所には野菜やパン、卵といった食品達が綺麗に並べられている。この部屋には窓がなく薄暗いからか、他の部屋に比べて随分と涼しい。
ルエは端っこに置かれたカゴを持つ。
「これがアンリ様の買われてきたモノです。それからシーズさんからは、キッチンにある食材などは好きに使って良いとも言われています」
「わぁありがとう。じゃあ早速作ろう」
「聞き忘れていましたが、一体何を作るんですか?」
「それが実は迷ってて、ポルボロンかミエルを作ろうと思ってるんだけど、どちらにしようか決まらないの」
「それならどちらか一つではなく、二つとも作ったらどうですか?まだ時間にもかなり余裕がありますし」
「そうだね、そうしよう!じゃあまずはポルボロンの下ごしらえかな。えっと、オーブンってある?」
「それならこちらにございます。すぐに使うようなら急いで温め直しますが…」
「うん、お願いできる?まずは小麦粉を焼かないといけないんだ」
「小麦粉をですか?変わった調理法ですね」
ルエがオーブンを温めてくれている間に私は黒い天板に小麦粉を薄く敷いていく。オーブンはあっという間に温まりそのまま天板を突っ込んだ。
それを待っている間にルエに手伝ってもらいながら、他の材料の計量をする。バターに砂糖、アーモンドプードルなどを二手に分けるが毎日パンや焼き菓子を作っていることもあって、ルエの計測は手際が良い上に正確。
それらの計量が終わると丁度釜の方も良さそう。ミトンをはめた手で慎重に天板を取り出すと、真っ白だったはずの小麦粉は肌色ほどの色になってくれている。
その小麦粉をドバッと計量していた材料と共にボウルに入れ混ぜ合わせれば、初めは卵を入れていないからボソボソとしてまとまらないが、次第に一つの生地にまとまってくる。そしたら生地を棒状にして生地を落ち着かせるために冷蔵庫…は無いからパントリーにある冷蔵庫のように食品を冷やしておける不思議な箱に入れさせてもらう。
「名前も聞いたことの無いお菓子ですが、作り方も面白いですね」
「でしょう?私の一番の得意料理なんだ」
「そうなんですか。ですがアンリ様は一体、いつの間にお料理なんてしていたんです?」
「あっ、えっと…それは…、そんなことよりほら!生地を寝かせている間に、もう一つの方も作ってしまおう?」
「ミエル、でしたっけ」
「うん、やっぱり聞いたこと無い?」
「いえミエルという名前のお菓子が存在するということは知っています。今、流行を気にする女性方の間で流行っている様ですので」
「そうなんだ」
「はい。でも肝心の作り方は知らないんです」
「そっか、まずはクッキー部分を作っていくんだ」
今度はミエル用の材料を一通り計量し、バターに砂糖を入れてよく混ぜる。その後卵を入れ混ぜたら小麦粉も追加してよく混ぜ合わせる。そしたら天板上に麺棒を使って平たく伸ばしていく。
「これはクッキーですよね?こんな風に天板の上で伸ばしてしまって良いのですか?」
「うん、これはこの段階で形成はしないの。とりあえずこの状態で軽く焼きたいのだけれど…」
「分かりました、ではオーブンに入れてきますね」
「ありがとう。じゃあ私はフライパンとヘラを借りてもいい?」
「いいですよ。フライパンはそこの壁に掛かっているモノを使ってください。ヘラはそこの引き出しの一番上に入っていますので」
フライパンに火を掛け、バターを丸々一本突っ込む。デローンとゆっくり溶けていくのを見計らってグラニュー糖と蜂蜜、それから水飴を入れる。
「ヌガーですか?」
「うん、よくこの段階で分かったね」
「一応毎日キッチンに立っていますので、それくらいなら分かりますよ」
「そうだよね。でもね、これはまだ未完成。最後にこれを入れるの」
先程カップに計量しておいた生クリームを取り、跳ねないようにゆっくりフライパンに注ぐ。そして沸騰したフライパンに今度はアーモンドスライスを入れる。焦げ付かないように時々混ぜながら、サラサラとした状態から、混ぜるのが一苦労になるまで根気よく待つ。
そして先程軽く焼いておいたクッキー生地にヌガーを掛け、平らに伸ばしもう一度、オーブンに入れて焼く。
「なるほど、ヌガーを掛けて焼くことで表面をパリパリにするんですね」
「そういうこと。両方とも一度火が入っているし、すぐに完成すると思うから、今のうちに寝かしておいた方の生地の成形もしちゃおう」
その後、ミエルが完成し、続いてオーブンに入れたポルボロンもしばらくして完成した。
それらの粗熱が取れたタイミングでラッピングしていく。上手いこと出来ない私の隣のルエはお店に並べても普通に商品として扱えるほど綺麗。そして手際まで良い。
「すごい上手。ルエって手先が器用なんだね」
「ありがとうございます。アンリ様のは…、えっと…心がこもっていて良いと思います」
「下手って言っていいよ」
「ノーコメントでお願いします」
「あはは…、それが一番辛いよ。…どうやったら綺麗に出来るのかな、何かコツとかある?」
「コツ、ですか?うーん…、とりあえず折り目にはしっかりと折り目を付けることです。多分、それでなんとかなります」
「ねぇ、なんか適当じゃない?」
「だってよく考えてみてくださいよ、この僕が誰かに何かを教えることがあると思いますか?」
「ない」
「つまり、そういうことです。…でもアンリ様は、僕と違って誰かに教えること、上手そうですよね」
「え、そう見える?」
「はい。なんというかアンリ様は、人と喋るときに楽しそうに話されているイメージなので」
「うーん、人と話すのが好きでも、実際に話せるかって言われたら別の話だよね」
今はこうして私と一緒に居て、話して笑いかけてくれる人がいる。だからって、全く話したことが無い人とは喋りたいとは思わないし、どちらかと言うと警戒してしまう。
沢木暗璃として暮らしていたときだって、数少ない友達と常に行動を共にしたりしていた。
自分で言うのは何だが、昔から私の付き合いは狭く深くなのだ。
「アンリ様?どうかしましたか?」
「ん、ううん。何でも無いの。そんなことより手伝ってくれてありがとう」
「こちらこそ、良い勉強になりました」
「じゃあこれプレゼント」
今、ラッピングを終えたばかりの包みを手渡すと目を見開く。
「いいんですか?」
「もちろん。いつもありがとうって事で。…って言ってもルエにも手伝ってもらっちゃったんだけど」
「ありがとうございます。後ほど、大切に食べますね」
「そうだ!実はポルボロンにはおまじないがあるんだ」
そんなことを話しキッチンを出ると屋敷中を歩き回る。外で洗濯をしていたり、廊下で床掃除をしているメイドさん達のもとに向かい、ルエと一緒に作った包みを一つずつ渡していく。みんな初めはルエと同じように驚き、そして喜んでくれた。
ちょうどタイミング良く外出していたシーズさんも帰宅したため、一つ渡すと「素晴らしい」と言って褒めてくれた。
最後にフレッドが居そうな場所は……
思考を巡らせてたどり着いたのは書庫。
フレッドはどうやら本を読むのが好きらしく、暇な時間が出来ると大抵書庫で分厚い本を読んでいることが多い。そのため今回も、ここではないかと当たりを付けてやって来たわけだ。
私の予想は見事的中。書庫のドアを開けると、いつもの席に座り本を読んでいた。昨日読んでいた本よりかは薄いモノのように見える。
よっぽど集中しているのか、ジッと見つめていても、一向に気がついていない。
「今日は何を読んでいるの?」
「アンリ様!いつの間に、いらしていたのですか」
「丁度今来たところ。そんなことより、今回は何の本?」
「これは戯曲です」
「へぇ、そう言うジャンルの本も読むんだ。なんか珍しいよね」
フレッドがいつも読んでいるのは、法律や化学、数学、芸術、歴史、園芸についてなど多岐に渡り、どれも私には理解できない内容のモノばかりを好んで読んでいる。そんなフレッドが、戯曲を読むことがあるのだと知ると、どこか親近感が湧いてくる。
「いつも難しい本ばかりを読んでいては疲れてしまいますから、たまにはこういった趣向の本も読みますよ。…それで、用事というのは終了したのですか?」
「うん、終わったよ。それでね、これフレッドにもプレゼント」
「私にですか?」
そうして隠し持っていた包みを一つ手渡すと、中に入った二種類の焼き菓子を眺め、微笑んでくれる。
「これは今流行になっている焼き菓子ですね。名前は確かミエルでしたか」
「うん!さすがフレッド、やっぱり知ってるんだね」
「もう一つのクッキーは、見た目からしてホロホロとしていそうですね。これはアンリ様の世界の焼き菓子ですか?」
「うん。ポルボロンっていうんだ」
「随分と可愛らしい名前ですね。ありがとうございます。折角ですし、アンリ様の下さったものでアフタヌーンティにでもしましょうか」
「うん!」
「では準備をしてくるので、お部屋でお待ちください」
言われた通りに部屋で待っているとフレッドがポットと二人分のカップをワゴンに乗せて持ってくる。
私は最初にアフタヌーンティをしてから、この時間が大好きになっていた。美味しい紅茶やお菓子を食べながら、ゆったり色々な話しをする。
フレッドは私がどんな話をしても頷いて反応してくれるから、話していて不安になることは何も無い。
もちろんクイニーやミンスくん、ザックくん、ルエと話しているのも楽しいが、時々気をつけていないと向こうの世界でのことを口走りそうになる事がある。その点、フレッドなら事情を知っているから、何かに気を付けて喋らなくて済む。
「では、アンリ様が下さったモノを食べてみてもよろしいですか?」
「もちろん、食べてみて?あっ、そうだ!ルエにも教えたんだけどね、ポルボロンにはおまじないがあるんだよ」
「おまじないですか?」
「うん。口の中に入れたらね、心の中でポルボロンって三回唱えるの」
「それだけですか?随分と簡単そうですが…」
「簡単に聞こえるけど、このお菓子すっごい脆くてすぐに口の中で溶けちゃうの。だから結構難しいんだよ」
「なるほど、そういうことでしたか」
「でも、出来たら幸せになれるんだって」
「フフ、私はそのおまじないをする前から十分幸せですよ」
「んー、じゃあもっと幸せになれる!」
「私はいつか幸せに埋もれてしまいそうですね」
そう笑いながらフレッドはパクッとポルボロンを口に放り込むと、私の言ったとおり素直におまじないをしてくれた。
そんな姿を見てルエもフレッドも私に関わってくれている全ての人が幸せで溢れると良いなと思った。
「とっても美味しいです」
「本当?」
「えぇ。今まで食べてきたクッキーとは随分と違った食感で、なんだか優しい感じがします」
「えへへ、喜んでもらえて良かった」
「ですが、私は貴族の方がキッチンでお料理をしているなんて初めて聞きましたよ」
「それ、ルエにも言われた。でも料理は貴族もそれ以外の階級も関係ないよ」
「そうですね。アンリ様を見ていて、よく分かりました」
その後、フレッドは食べてしまうのが勿体ないと言いつつも綺麗に完食してくれた。フレッドは一つ一つ口に放り込むたびに美味しいと伝えてくれて、こっちまで心がポカポカしてくる。
お菓子を作って、こんな風に喜んでもらえたのはいつぶりだろう。向こうの世界では、与えるだけで終わっていたはずで、それが当たり前だと思っていた。
…いや、言い聞かせていた。だから自分の作ったモノに対して、感想を伝えてくれるのはとっても嬉しい。
と、しばらくして落ち着いてきた頃、何かを思い出したようにして「そう言えば…」と向き直ってくる。
「本日は学園で何か良いことがあったのですか?」
「良いこと?どうして?」
「勘違いだったら申し訳ないのですが、本日馬車で学園までお迎えに上がった際、歩いてくるアンリ様がとても笑顔でしたので、何か良いことでもあったのかと…」
「あぁ、なるほど。えへへ、実はね、クラブを作ったんだ」
「クラブ…。本当に作られたのですか。昨日の今日で行動が早いですね」
「まぁって言っても何か特別やりたいことがあったわけじゃないんだけど」
「そうなのですか?」
そうして今朝、ラウンジであったこと、そしてそのままクラブを作った経緯を全て話した。すると、聞き終えたフレッドは苦笑いを浮かべている。
「それは…、なんと言いますか、随分と不純な理由ですね」
「だよね。だけど、お父様もそれで許しちゃうんだもん。それになんか普通と違うお部屋らしくて、部屋もとても豪華なの」
「それはご主人様がアンリ様に甘いからだと思いますよ。溺愛している愛娘のお願いなら、出来るだけ叶えて差し上げたいし、お喜びにさせたいのだと思いますよ。それが親心ってものです」
そう告げるフレッドが面白くて笑い出す。すると不思議そうに見てくるが、だっておそらくほとんど私と年齢が変わらないフレッドに親心、なんて言われると…。しかも真顔で。
「そんなに私の言ったことが面白かったですか?」
「ふふ、うん。…でもさ、これで私達の学園生活も少し落ち着くのかな」
「どうでしょう。ですが、皆様だけのお部屋が確保できた分、変にストレスが溜まる場面も減って良い時間が過ごせるのではないですか?」
「うん、そうだといいね」
そうしてあの部屋でこれから過ごすであろう未来を想像してみる。あの広いソファーに並んでお話ししたり、ゲームをしたり…。
「でも、フレッドも一緒だったらもっと良かったのになぁ」
「私はそもそも学園に通っていませんし、そもそも通える年齢だったとしてもアンリ様のお友達は許さないのでは?」
「んー、ミンスくんとザックくんは許してくれると思うけど、問題はクイニーか…。でも、クイニーがなんて言おうとフレッドは私にとってみんなと同じくらい大切な人だからね!」
「ありがとうございます。その気持ちだけで私は幸せですよ」
そう言って微笑むフレッドの顔は、大人っぽいような、でもどこか幼い子どもの表情をしていた。
「…そういえば、フレッドって何歳なの?」
「言っていませんでしたっけ。私はアンリ様の一つ下ですよ」
「……!!えっ、私より年下だったの?!」
「年上だと思っていましたか?」
「うん。えっ、本当に?」
「そんなに疑います?」
いやだって、言葉遣いは丁寧だし、周りへの気遣いとか所作だって完璧。その上、いつも読んでいた本が私には到底理解できないような難しいモノばかりだったから、すっかり私よりいくつか年上だと思い込んでた…。
…そう考えると私は年下のフレッドに色々とお世話をしてもらっていた訳で…。
「なんだかすごい申し訳ない気がしてきた。これじゃあまるで部活の後輩を都合良く使う先輩みたいじゃん」
「部活?…はよく分かりませんが、いいんですよ。私はそれがお仕事でもありますし、何よりアンリ様のお側に仕えていると新しい発見に毎日が溢れていて、とても充実しています。ですから気になさらないでください」
「そんなこと言われても気になるよ」
「私はご主人様達がこのお屋敷においてくれなかったら…」
その続きはずいぶんと小声で聞き取れなかった。だが、何となくフレッドの表情が暗く、聞き直す気にはなれなかった。
だから話を変えるために「あれ?」と呟いてみる。
「どうなさいました?」
「フレッドが私より年下って事は、ルエも私より年下?」
「いいえ、ルエさんはアンリ様の三つ年上ですよ」
「あっ、そこは年上なのね」
そうしてまた新たなことを知った。ほんの些細なことかも知れないけど、それでも知った後と知る前では、やっぱり何かが違う気がする。
でもやっぱりまだまだ知らないことの方がたくさんあるんだと思う。だからって急いで聞くような事でもないし、時間はたっぷりある。焦らなくていい。
オーリン家では朝、お父様とお母様は早くから家を空けてしまうため大抵朝食は別々で取っている。その分、夕食の時間は余程の事が無い限り、全員揃って取るのが決まり。そこではいつも二人は私の一日の話しをニコニコしながら聞いてくれる。それが嬉しくて私は、夕食の時間になると学園であったちょっとした話だったり、出かけたときに見つけたモノなんかを話していた。
今日も夕食の時間になると、食堂の定位置に座り食事に向かう。フレッドやジーヤさん、そしてディルベーネさんは今は壁際に立っている。
黙々と手を動かし食事を口に運ぶが、内心では隣の席に置いておいた“それら”のことを考えながらウズウズしている。
「アンリ、どうしたんだい?今日はずいぶんとソワソワしているね」
そう言うお父様は私の事なんてお見通しのようで、一度持っていたフォークやナイフを置くと私に話を促す。だから、ありがたくこのタイミングを使わせてもらうことにする。
「実はプレゼントがあるの」
緊張で手を震わしながら隣の椅子に置いておいた包みを四つ、テーブルの上に優しく乗せる。それに二人は嬉しそうに「何かしら」と言い合っている。そして中身が焼き菓子だと分かると、お母様はテンションが上がったように「まぁ!」と声を上げる。
「これ、もしかしてアンリが作ったの?」
「うん。ルエにも手伝ってもらったのだけど」
「すごいわ!アンリにはお菓子作りの才能があるのね。ありがとう」
「あぁ、本当にすごい。アンリにこうして何かを貰うのは初めてだな」
「えぇ、そうね」
そして壁際に立っていたジーヤさんやディルベーネさんにも一つずつ手渡すと、初めは戸惑っていたようだが、お父様が促したことによって受け取ってくれた。
「いやぁ、本当に楽しみだ」
そんな風にお父様が言うものだから、私は自信を持ってこう返す。
「フレッドのお墨付きだから楽しみにしていて」
「おっ、それなら余計に楽しみだな」
と、食卓に笑顔が溢れる。いきなり名前を出されたフレッドも、「とても食べきるのが勿体ないほど、美味しかったですよ」なんて味の感想を告げている。
そしてしばらくして落ち着いた頃、私は隠し持っていたプリントを机の上に出し、お父様に向ける。
「そう言えばお父様。これ、書き終わったのだけど今渡してもいい?」
「あぁ、構わないよ。思っていたより早く書き上げたんだね」
「あの後、みんなで考えたの」
「そうか、でも大変だっただろう?特に活動内容のところは」
「うん、他はすぐに書けたのだけど、どうしてもそこだけは決まらなくて、でもようやく決まったの」
そんな会話をしていると、そのプリントが何なのか知らないお母様はかなり気になっている様子。
「ちょっと、二人で話し込んじゃって何の話?お母さんにも教えて」
「あぁ、実は今日アンリ達が私の部屋に来たんだ。そこでクラブを作りたいと言ってきてね」
「クラブ?素敵じゃない。それで、どんなクラブなの?」
「それが、その時はやりたいことは決まっていないと言ってきたんだ」
「え?」
「ほら、君も知っての通りクラブを作ると別館の部屋が一つもらえるだろう?それが目的だったらしい」
「まぁ!面白い理由ね。それを言い出したのはクイニーくんかしら」
「うん、よくわかったね」
「クイニーくんとは私達も長年の付き合いだもの。それくらい想像が付くわ」
そうクスリと笑うと、書類に目を通していたお父様の手元をお母様も覗き込む。
「それで書類上に残すためとはいえ、どんな活動内容にしたのかな」
そんな風に言いながら、丁度お父様の視線はプリントの中間辺り、活動内容を一通り追っている。
読み終えたのか、プリントから目を離したお父様の目は弧を描いている。正直私も本当にそんなので良いのだろうかと、内心では不安だったが、その表情を見る限りだと大丈夫そう…?
「”やりたいことをやる、やりたくないことは無理強いしない”、か。…いいじゃないか」
「本当?具体的に何をやるのか書いてないけど…」
「これでいいさ。本来クラブはそこに所属する仲間が、自分たちの好きなことを極める場だからね。って事で、この書類は預かってしまうよ?」
「うん!ありがとう」
「それで、ちなみになんだが、初めにやりたいことは決まったのかい?」
「え?…あっ、えっとね、その…私達の貰った部屋ってとても広いでしょう?」
「そうだね。別館で一番広い部屋だからね」
「それでね?折角だし、みんなでお泊り会しようかってなったの」
「お泊り会?」
やはりこんなことを言ってみたものの、いくら友達だとは言っても、さすがに男女が一晩過ごすなんて許してくれないだろうか…。
「素敵じゃないの!」
「え?いいの?」
「あぁ、行ってきなさい」
そんな風に言う二人は私の心配なんて吹き飛ばすほど優しい表情をしている。
「そのお泊り会はいつあるの?」
「それが、明日なの」
「まぁ、明日?結構早いのね」
「それなら急いで準備して、今日は早めに休んだ方がいい。それで明日は思いっきり楽しんでくること、いいね?」
「うん!ありがとう。そうと決まったら早く準備しないと。フレッドも一緒に来て」
バッと席を立つと食堂を飛び出す。
あぁ、何を持って行こうかな。早く明日にならないかな。
そう幼い子のようにはしゃいでいる間に、私が飛び出した後の食堂で会話が続いていた。
「フフ、アンリったら」
「フレッド、アンリのことを手伝ってきてくれるかい?」
「はい、かしこまりました。では、失礼します」
そうフレッドが食堂を後にすると、お父様とお母様は目を見合わせ微笑み合う。
「アンリが楽しそうで良かったわ」
「あぁ。これまで親馬鹿だったとはいえ、色々と制限を掛けた日々を過ごさせてしまったからな。これからは自由に過ごして欲しい」
「えぇそうね。それに、あの子も最近楽しそうよ」
「それは、フレッドのことかい?」
「えぇ」
「そうだね。二人が楽しそうで何よりだよ」
部屋に戻りガサゴソと引き出しを漁っていると、遅れてやって来たフレッドは大きめの鞄を抱えやって来た。
「それに荷物を詰めればいいの?」
「はい。こちらは明日、私がお部屋までお運びします」
「えぇ?私が頑張れば自分で持てるよ?」
「いえいえ、アンリ様の手を煩わせるわけには行きませんよ。それに、アンリ様のようなご令嬢が、このようなお荷物をご自分で持って歩かれていたら周りの方に笑われてしまいます。なのでお任せ下さい」
「わかった。じゃあお願い」
「はい、かしこまりました」
「じゃあ明日は荷物を運んだら一日、フレッドはゆっくりお休みしてね」
「お休みですか?」
「うん。ほら、いつも私の側に居てくれてるから、フレッドには全然お休みがないでしょう?だから明日くらいは休んで?フレッドが体調崩して倒れたら嫌だもの」
「ありがとうございます。ではお言葉に甘えさせて貰いますね」
「うん!」
そしてその後、ようやく準備を終わらせるとお父様に言われた通り、早くに布団に入った。
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