第8話 楽しい一時を共に(フレッド視点)
アンリ様はしばらくどこを見るのか迷っていたようだったが、しばらくすると「あのお店、見てみても良い?」と聞いてきた。
そこはご令嬢で賑わった店舗ではなく、お客さんが誰もいないレトロな雰囲気が漂う場所で、レジ前に座るおじいさんが一人で切り盛りしているようだ。
商品を見てみると髪飾りやピアス、指輪などの金属製品が売られている。店舗の外観からは想像できなかったが、全ての商品が複製品のない唯一無二のものを揃えているらしく、かなりこだわっている。
アンリ様は一つ一つを大切そうに眺めているものだから、あんまり近くにいても邪魔になるだろうと少し離れたところで別のものを見ている風を装った。
しばらくそんな風にして過ごしていると、アンリ様が一カ所で止まっていることに気が付く。
「何か気になるものがありましたか?」
そう言ってアンリ様が見ていたであろうものを見ると花やハート、鍵といった小さなモチーフが付けられたブレスレットだった。どちらかと言うとシンプルで、貴族令嬢が付けるデザインにしてはシンプルだが、アンリ様が持ったら素敵だろうなと想像がついた。
「とてもお似合いになると思いますよ」
「うん、とっても可愛い。でも…」
そう言って悩んでいるのは、おそらく値段を見ているからだろう。ブレスレットの横に置かれた値札には金貨三枚。
アンリ様がご主人様から受け取っていた金貨を使用すれば簡単に買える値段、それでもきっとアンリ様の中で金貨一枚の価値が相当なものと考えているのだろう。だからきっとためらわれている。
私はふと、自分の持ってきたお金を思い出す。確か今日の分の買い物をしたとしても、かなりの余裕があったはず…。
「よければ私からプレゼントしましょうか?」
「え?いいよ、そんな」
「昨日も頑張っておりましたし、迷われているようなら」
「ううん。私が自分で買うから大丈夫」
そう言うとアンリ様は眺めていたブレスレットを手にすると、真っ直ぐにレジの方まで歩いて行ってしまった。
正直、私から何か差し上げたいと思っていたから残念だ。後で他のものを考えるしかない。
アンリ様がレジをしているおじいさんと会話を交わしていることを確認すると、新たに入店してきた老夫婦と入れ替わるように外に出た。
しばらくするとアンリ様は笑顔で店内から出て来る。
「気に入ったものが見つかって良かったですね」
「うん!」
嬉しそうに返事をすると、次はどこを見ようかとキョロキョロとし始める。
その後もアンリ様が気になられた店舗を見て回った。そして百貨店を出ると休憩がてら近くのコーヒー・ハウスに入った。ここのお店は裏通りにあるような寂れた雰囲気ではなく、比較的新しいのか店内も明るく、若い方々で賑わっている。
席に着くと、目の前ではワクワクとした様子でメニューを開いている。
「この世界にもコーヒーってあったんだね」
「えぇ、紅茶ほど有名ではないので家庭で飲まれることは少ないですが、こうして専門店のような形で楽しまれていますよ。アンリ様はコーヒーがお好きなんですか?」
「うん。いわば私の相棒だったね」
「相棒ですか?」
「そう、テスト一週間前は夜中まで勉強したくて、それでも眠気が襲ってきたときは普通より濃いコーヒーを作って耐えてた。あとはカフェとか周りの女の子達は甘い飲み物頼んでキャッキャしていたから、コーヒー頼んで私は仕事が出来てカッコいいって妄想して、一人でいることに耐えたりもしてた」
「それはなんと言ったら良いのか。随分と大変だったんですね」
「まぁ全部、私が勝手にやってたことだから」
「そんなにお好きなら後で買っていきますか?お屋敷でも飲めるように」
「うーん、でもこういう所で飲むのを楽しみにするっていうのも良いよね」
「確かにそうですね。ところで、注文するものは決まりましたか?」
「うん。私はアイスカフェオレにする」
「分かりました。では注文してきますね」
「私も行こうか?」
「いえいえ、ここで休んでいてください」
そのままカウンターに向かうとアイスカフェオレと紅茶、それからプリンを注文した。代金を払うとすぐに品物が渡され席に戻る。アイスカフェオレとともにプリンをアンリ様の前に置くと不思議そうな顔をしている。
「嫌いですか?」
「ううん、好きだけど、私にくれるの?」
「はい。丁度甘いものが食べたい頃かと思いまして」
「フレッドは食べないの?」
「私はお腹が空いていないので」
「じゃあ遠慮無くもらうね?」
「えぇ、どうぞ」
「いただきます」
プリンを一口分すくい、口に運ぶと一気に頬が緩んでいる。アンリ様は甘いものを食べるとき、本当にいい顔をしている。見ているこちら側が幸せな気分になる。
私も自分の紅茶を一口、飲んでみる。ここはあくまでもコーヒーをメインに取り扱っている場なのだからと、あまり期待はしていなかったが香りはしっかりと生きているし、風味も良い。無駄な苦みも出ていないし、美味しい。
「美味しい?」
「はい、美味しいです」
「そっか、フレッドが美味しいって言うなら本当に美味しいんだろうね」
こんな風にのんびりとしていて良いのだろうかと不安になってしまうほど、私はリラックスしている。それがとても心地良い。
「そういえば、アンリ様はクラブには入られるのですか?」
「クラブ?うーん、どうしようかなって今は迷ってるところ」
「せっかくの機会ですから、何か興味があられるところに入ってみても良いかもしれませんよ」
「確かに面白そうだなとは思ったんだけどさ、そうすると今私が関わっている人以外とも関わらないとダメだよね」
「そうですね」
「それが嫌なんだよね」
そう言うアンリ様の顔が一瞬曇った様な気がした。多分気のせいでは無いと思うけど、アンリ様のいた世界でまさか何かあったんだろうか。
今までも何度か、色々な経験をされ、それに耐えてきたと思われる節の話しは何となく聞いてきた。それに聞いている限りでは交友関係は少なかった様子だ。
これは単なる想像に過ぎないが、もしかしたら、どこかのタイミングで数少ないご友人から何かされてしまった、もしくは言われてしまった過去があるのかもしれない。
「でも考えてみるよ」
そう言って一瞬にして笑顔に変わった。それでもその笑顔が貼り付けたものだと言うことは見ていれば分かる。でもここでそれを指摘するのは違う気がする。
「でしたら、自分で作ってみたらどうです?」
「作る?クラブを?そんなこと出来るの?」
「出来ますよ。ソアラ様や仲の良い方を誘ってお作りになるんです。そして自分の好きな活動をするんです」
「でもそれなら友達として遊んでいれば良いんじゃない?」
「あっ、確かに。ですがクラブを作ると活動部屋として大学内にある部屋を一つ、もらうことが出来るそうですよ」
「へぇ、すごい。でも私だけでは決められないから明日みんなに聞いてみるよ」
「それが良いと思います」
そう言うと今度は作り笑いではなく、心からの笑顔に変わってくれた。良かった。
そんな風に安心していると、アンリ様は何気なくこう呟いた。
「もし本当にクラブが作れたら、フレッドも一緒に入れたら良いのにね」
と。私は冗談だと分かっていても、なぜだか胸の辺りがギュッと締め付けられるような感覚がして何も返すことが出来なかった。
しばらく世間話をした後、私の買い物の用事でマーケットに向かうことになった。本来、そういった場にご令嬢であるアンリ様を連れて行くのは間違っているのかもしれないが、アンリ様が行きたいと仰るため断る理由もなく一緒に向かうことになった。
様々な野菜やブロックのままで売られた肉、そして捌かれずに並んでいる魚が珍しかったのか隣に立つアンリ様は普段以上にキョロキョロして、どこか楽しそう。
マーケット内は基本的に貴族の方が来る場所ではないことから、店内を見ていた方達は見るからに貴族であるアンリ様を目にすると驚いたような、時々訝しむ様な目を向けている。
だが、そんな視線に気がついていないのか、それとも気がついていながら無視しているのか分からないが、当の本人は特に気にする素振りは見せなかった。
「フレッドはここで何を買うの?」
「基本的にはシーズさんに頼まれている食材ですね。後は紅茶がなくなりそうだったので紅茶も」
「私も買いたいものがあるんだけどいい?」
「えぇ、良いですよ」
とりあえずシーズさんに頼まれていた野菜や魚を見て回った。一通りカゴに入れると今度はアンリ様が欲しいものを見に向かう。
場所が分からないアンリ様は「粉物ってどこにあるかな」と呟いているのが聞こえ、案内した。でも粉物を買って一体なにをするのだろう。
「もし食べたいものがあるのなら、シーズさん達にお願いしますが」
「ううん、自分で作りたいんだ」
「アンリ様がご自分でですか?」
「お菓子作りが好きなの。って言ってもシーズさんやルエみたいに上手に出来るわけじゃないんだけど。私がキッチンを借りる事って出来ないかなぁ」
「きっと大丈夫だと思いますよ。私の方からもお願いしておきますから」
「ありがとう」
小麦粉や砂糖、バターといった材料を一通りカゴに入れると買い物は終了し、レジへ。
帰りの民用馬車の車内は行きとは違って荷物で溢れていた。なんとかアンリ様の邪魔にならない場所に荷物を並べると、御者にお屋敷までの道を伝える。
馬車は心なしか、行きに比べてゆっくりと走っている気がする。
「あの、そっちに座っても良い?」
そう聞かれて特に何も考えることなく頷くと、元々向き合って座っていたアンリ様が私の隣に座った。
もしかして荷物が邪魔で移動したのだろうか。それなら申し訳ない…。
「これ、あげる」
そう突然差し出されたのは、水色の包みに可愛らしいリボンが付けられたもの。
「フレッドにプレゼント」
「そんな…、よろしいのですか?」
「うん!良ければ開けてみて?」
ゆっくりと包み紙を開くと、小さな箱が顔を出す。
「時計、ですか?」
箱を開けると、ピカピカと輝く懐中時計。彫刻が細かく、丁寧に作られていることが分かる。
「でも、私なんかがもらうなんて」
「私なんかって言わないで?フレッドはいつも私を助けてくれたり、側で支えてくれるでしょう?だからそのお礼。…気に入らなかったかな」
「気に入らないなんて、そんな。とても嬉しいです」
「そっか!良かった」
「でも一体いつの間に?」
「私がブレスレットを買ったお店、覚えてる?あそこでお会計してもらってる時にレジの横にあったショーケースに並んでいたの。デザインが素敵だったから、フレッドが見ていないのを確認して、その間に買ったの。はぁー、バレて無くて良かった」
そう言うと嬉しそうに笑っている。本当は私から何かをプレゼントしようと決めていたのに。私はあの後も何を買うのか決められずにいたのに、アンリ様からまさか貰うことになるなんて。
「大切にします」
そう言っても何も返事が返ってこない。不思議に思って横を見ると目がウトウトしている。その口が開いて何かを言おうとしているけれど、眠気には逆らえないのか何を言っているのか聞き取れない。
「今はゆっくりと休んでください」
そう言うと頑張って開こうとしていた目を閉じ、気持ちよさそうに寝息を立て始めた。
きっとここ最近、色々な事が立て続けに起こった上に、今日もはしゃいでいたようだったから、気が抜けて疲れてしまったのだろう。
馬車が揺れるたびにカクカクと揺れる首が危なくて、私は自分の肩にアンリ様の頭を置いた。すると何か夢を見ているのか微笑んでいる。
アンリ様は周りの方と違う。普通以上に気を遣われているように見えるし、私はこれまで色々な貴族の方を見ていたが、こんなにも分け隔て無く人と接している方は見たことがない。
元いた世界に階級制度がないと仰っていたが、それでも急に上の立場になったとしたら手のひらを返して偉そうにしてもおかしくないと思う。
扱いようによっては自分の思うままに動いてくれる人がたくさん手に入る訳だから。それでもアンリ様はそのような素振りを見せない。むしろ、私やお屋敷で働いている人達を手伝おうと動いてくれたりもする。自分一人で出来ないことだとしても、誰かの助言を聞きながら頑張っている姿を何度も見た。
そんなアンリ様のおかげなのか、最近は前よりも屋敷の雰囲気が良くなったと思う。
もちろん初めからご主人様方がお優しい方だから雇用体系は良いものだった。
それでも私たち同士の間に会話や笑顔が生まれることは少なかったし、最近入ってきたばかりのルエさんにおいては人見知りや人間不信の面があったようで私たちと会話をすることはほとんど無かった。
それでもアンリ様は知らず知らずの間に私達との関係を築き上げ、ルエさんの心まで開いて見せた。最近では屋敷で笑っている方をよく見るようになった。
誰もそれがアンリ様のおかげだとは気がついていない。おそらくご本人でさえ、気がついていないだろう。
だからこそ、私は思ってしまう。もしかしたらアンリ様はいつか、何か大きな事をしてしまうのではないかと。
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