第5話 あなたは優しい方(フレッド視点)
「フレッドさん、こっちのお皿もお願いします」
「分かりました」
舞踏会が終わり、さっきまであんなにも人で賑わっていたのが嘘みたいに温室内には私とメイドの事務的な会話だけが流れている。
ご主人様やジーヤさんは来客された方のお見送りに向かわれ、奥様は早くからお部屋で休まれているはず。そしてアンリ様には先程お風呂に入るように勧めたから、今頃は大浴場にいるだろう。
手は無意識に食器を重ねたり、ゴミをまとめたりと動いているが、頭はさっきのことで埋め尽くされていた。
結局、アンリ様のことを守ることが出来たのはソアラ様やシェパード様、レジス様のおかげだった。私はあんなにも早くに気づいていたのに、男達をヒートアップさせてしまうだけで、余計に怖い思いをさせてしまった。
やはり、使用人という立場の私には無力すぎてアンリ様を十分に支えて差し上げることは出来ないんだろうか。どうすれば良いのだろう。階級という壁がある中で、どうしたらアンリ様を守って差し上げられるのだろう。
「フレッド!」
脳内に浮かんでいた人の声に驚いて反射的に振り向くと、大浴場に向かったはずのアンリ様がなぜかドレス姿のままで立っていた。もしかして石鹸の補充を忘れていたのだろうか。
「お願いがあるの、聞いてくれる?」
「えぇ、もちろんです」
「あのね、私と一緒に踊って欲しいの」
「踊る?私とですか?」
「本当は舞踏会の時に一緒に踊りたかったんだけど、色々あったし、あなたは身分を気にして踊ってくれないでしょう?だから今なら良いかなって思って」
もちろん私はアンリ様のお願いを出来るだけ叶えて差し上げたい。でもいくらお願いとは言われても良いのだろうか。私はアンリ様に仕えている身であって、ダンスの練習に付き合うのとでは意味が変わってくる。
「お願い、ね?」
そんな風に首をかしげられてしまえば私から断るという選択肢は消えてしまう。「一回だけですよ?」と念を押すと、もう一人のメイドに片付けを任せ、嬉しそうに笑っているアンリ様を連れてホールに向かった。
階段横には舞踏会の間中、ずっと演奏をしてくださった方々がいる。不思議そうに見つめていると、アンリ様が私に丁寧に説明してくれた。
どうやら帰る支度をしていた彼らに無理を承知で後一度だけ演奏して欲しいと頼んだらしい。そんなアンリ様に彼らはファーストダンスで感動したからぜひに、と快く受け入れてくれたらしい。
アンリ様とホールの中央に立つと、片方の手でアンリ様の手を取り、もう片方の手は腰に添えた。それを見計らったように演奏が始まると、アンリ様は一週間のみの練習とは思えないほど丁寧に、そして一つ一つの動きを大切そうに踊っている。
そして演奏が中盤にさしかかった頃、アンリ様が口を開いた。
「さっきはありがとう。助けに来てくれて」
そう言ってアンリ様は満面の笑みを向けてくださる。おそらく男爵三人に囲まれていたときのことを言っているのだろう。でもそんな風に感謝されるようなことを私はしていない。
「私は何も出来なかったです。ですからそんな風に言ってもらう資格なんてありません。それに私の方が謝らなければなりません、申し訳ありませんでした」
「謝らないでよ。私は嬉しかったんだよ?不安でいっぱいだった時にフレッドが来てくれて。すごく安心したの。だからそんなに自分のことを責めないで?」
アンリ様のそんな言葉が何よりも温かくて、さっきまで悶々として渦巻いていた胸の中のモヤモヤが薄れていく。本来なら私のことを罵倒しても文句は言えない立場の私なのに、やっぱり優しい方だ。今まで出会ってきたどんな方よりも。
だからこそ、守って差し上げたいと心の底から思った。これ以上、傷ついて欲しくはない。
「あっ、そういえば私のダンス、見てくれてた?」
「はい、見てましたよ」
「私、フレッドのこと探したんだけど見つからなかったの。どこにいたの?」
「階段から見てましたよ」
「え!そうだったんだ。全然気がつかなかった。私のダンス、どうだった?」
「とても素敵でしたよ。よく一週間でここまで頑張りましたね」
そう言うとアンリ様は嬉しそうに、そして照れたように頬を緩める。
私はこの一週間、教えられることは伝え、練習に付き合ってきた。それでもアンリ様がコッソリと部屋で練習していた事も知っていた。だからこそ、本人には伝えないけど、今日のダンスには余計に色々な思いが溢れてくる。
「私ね、今まで嫌なこととか、出来ないだろうって思ったことからはトコトン逃げて来たの。それでも逃げてる自分を情けない、悔しいって思っている自分もいた。だから、どうしても今回は頑張りたかったんだ」
そう言うアンリ様は一瞬、何かを思い出すような目をした後、また笑った。
きっとこちらの世界に来る前、一言では表すことが出来ない体験をされてきたのだろうと、何となく分かった。
だから私はそんなアンリ様にできる限りの笑顔を向けて「本当に頑張りましたね」と言った。
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