第4話 恐怖襲来

 無事に踊り終えるとホール中の人が拍手をしてくれる。こんなに大勢の人に拍手をしてもらえるのは初めてで嬉しいけど、なんだかくすぐったい。それでも悪い気はしなかった。


 周りの人に応えながら、ぐるりと周囲を見回してみるがフレッドの姿を見つけることが出来ない。ちゃんと見ていてくれただろうか。


 しばらくするとホールは落ち着き、また演奏が始まった。


 私は横に立っていたクイニーに用事があると言ってそのまま温室に向かった。


 ちなみに用事があると言ったのは嘘だ。


 そんな嘘をついたのも、私は今踊った曲以外、何一つ踊ることが出来ないから。万が一にでも、あの場に残り誰か一緒に踊るように誘われても棒立ちになることは目に見えていた。そんな醜態をさらすわけには行かない。


 それにルエやシーズさんが折角舞踏会用にと準備してくれた軽食をみすみす逃すわけに行かない。


「オーリン様、ダンスお上手でした」

「ありがとうございます」


 そんな風に応えながら温室に入ると、お父様くらいの歳の方がほとんどだった。


 どれにしようかなぁ。そんな風にキラキラして見える軽食達を眺めながら迷っているときだった。後ろからトントンと肩を叩かれた。


 私はフレッドか、もしくはクイニーが追って来たのだと思って振り向いた。


 でも立っていたのは、フレッドでもクイニーでもなく全く面識のない男の人達だった。こうして背中を叩かれ声をかけられるのはミンスくんに続いて二度目だが、あの時と違ってなぜだか、心の奥底から逃げた方が良いと言う予感がする。


「えっと…何か?」

「アンリ様だよね。こんな所にいないで俺らと一緒に踊らない?」

「そうそう。俺らすっごい踊るの上手なんだよね」

「ごめんなさい、今日はもう私踊らないんです」


 そう丁寧に、はっきりと断ったつもりだった。変な期待を持たせてしまうような言葉だって言っていない。


 それなのに目の前に立つ男の人達はまるで何も聞いていなかったかのように、とてもしつこい。


「良いじゃん、踊ろうよ」

「あっそれかさ、今から抜け出して一緒に遊びに行かない?」

「それ良いじゃん、ね?そうしようよ」


 そう言って腕を掴んでくる男。その手がとても気持ち悪く思えてしまって、思わずギュッと拳を握りしめてしまう。


「困ります…」


 一緒に踊って欲しいというお願いから、いつの間にか要求がかなりエスカレートしてきた時だった。


 丁度、私と男達の間に壁ができ、一瞬のうちに詰め寄ってきていた男達が見えなくなった。それと同時に腕に感じていた生暖かい感触も消えていた。


「失礼ですが、アンリ様が困っております。そろそろおやめになって下さい」


 そのいつもの温かい声を聞いた途端、私の目には自然と我慢していたはずの涙が溜まる。


「フレッド…」


 普通に呼んだつもりが涙を我慢しているせいで声が掠れて、その上とても小さな声になってしまった。


 それでもしっかりと聞き取ってくれているフレッドは私の方を振り向くと「大丈夫ですよ」と一際優しく言う。そんな声を出されてしまったら安心して我慢していた涙をうっかりとこぼしてしまった。


 すると突然、視界から消えていた男の低く唸ったような声が頭に響いてくる。


「ふざけんじゃねぇ」


 そんな声で足はガクガクして、手の指先まで震えてくる。怖い、止めて。


 男の声が、どうしても過去の出来事とリンクして無意識に、すがるようにフレッドの背中にくっついていた。


 どうしても私は男の人の怒った声が苦手。その声を聞くと理不尽に怒られた記憶や、色々な記憶が蘇ってくるから。


 どんなに聞きたくないと願ったとしても男達の声は止まるどころか、ヒートアップしていく。


「お前、なんなんだよ!」

「俺たちが楽しんでいるのに使用人の分際で邪魔するとか、貴族様のこと舐めてるんじゃねぇの?」

「アンリ様を守ることも私の仕事の一つです。このような場、しかもアンリ様にとっては初めての特別な場で、このように恐怖を与え苦しめるのであれば、貴族様だからといって許しません」

「は?お前みたいな奴に何が出来るんだよ」

「そもそも使用人のくせに出しゃばって正義のヒーロー気取りとかウザいんだよ。お前みたいな奴は皿洗いでもしてろ」


 フレッド一人に対して、男達は散々馬鹿にする言葉を投げつけている。


 嫌だ。そんなこと言わないで。


 そう言いたくても、震えきった喉からは声が出てこない。本当はフレッドは誰よりもいい人なのに、どうして言い返せないんだろう。


 それにどうして周りにいる人は助けてくれないんだろう、そう思って辺りを見回すと、私たちに向かっている男達より年上の人ばかりなのにも関わらず、みんな見て見ぬふりをして、さっきまで近くにいたはずの人ですら、少し距離を取るように離れている。


 パチンと乾いた音が響く。直後「痛っ」と言いながらフレッドが頬を押さえている。


「えっ、大丈夫?!」

「えぇ、大丈夫です。そんなことよりも今のうちにどこか別の場所に」

「でも…」


 そんなことを言われても、もしここでフレッドのことを置いていったら…。


 今まさに手を上げた男は息を上げ、目を光らせながらフレッドのことを睨んでいる。もし私が離れている間に、叩く以上の事をされるかもしれないと思うと怖い。この男の気の悪さからすると、何をしてもおかしくない。


 だからといって私に何が出来るわけでもないし、そもそも私のせいでこんな状態になってしまっているんだ…。


 そんな風に落ち込んでいると、この場には似合わない足音と男の子にしては高い声が聞こえてくる。


「アンリちゃーん」


 そう私の名前を叫びながら走ってきてくれたのはミンスくんだった。私たちの元にたどり着いたミンスくんはいきなり抱きついてくる。


「こんなに震えちゃって、怖かったよね。もう大丈夫だよ~」


 新たに登場したミンスくんに驚いた男達だったが、それでも勢いは変わらなかった。


「だからさ、俺らが何をしたって言うわけ?ただ単にアンリ様が暇そうにしてたから声をかけただけじゃん」

「そうだよ。別に悪いことはしてねぇじゃん」


 その声に反論したのはミンスくんの走ってきた道を後から歩いてくるザックくんとクイニーだった。


「このような場で嫌がる女性を無理矢理、連れていこうとするのは紳士ではありませんね。それにあなた方は相手が使用人だろうと手を上げているわけですし、それが悪いことだと判断できないなんて、随分と可哀想な方々です」

「ザックくん…」

「アンリはお前らみたいな奴が楽しむためにいるんじゃねぇんだよ。それにお前ら、確か他でも相当女遊びがひどいんだろ。それをもし上が知ったらどうなると思う」


 そのクイニーの一言で男達の顔色が変わった。さっきまで堂々としていた表情は何かを恐れるかのような顔に変わり、小声で「こいつって確かソアラ伯爵の…」なんて話しているのが聞こえる。


 すると男達は「フン、今回だけは勘弁してやる」と言いながら足早に消えていった。そんな男達にクイニーは「何が勘弁してやるだ」と文句をグチグチと言っている。


 やっと終わったんだ…。みんなの顔を見るとそんなことを実感して、一気に体の力が抜ける。


「危ない!」


 そして崩れ落ちそうになる所を私に抱きついていたミンスくんが支えてくれる。


「ごめん、ありがとう」


 心配そうにこちらを見つめるフレッドの頬は、よく見ると少し赤くなっている気がする。もしかしてさっき叩かれたときの…。


「ねぇ、ここ赤くなってる」

「え?本当ですか?」

「痛くないの?」

「はい、大丈夫ですよ」

「でも冷やしてきた方が良いよ、ね?この後、痛みが出てきちゃうかもしれないし」

「…分かりました。ではしばらく食堂の方にいますので、何かあったらすぐに呼んでください」


 そう言うとフレッドはクイニー達にお辞儀をして温室を出て行った。それと同時にミンスくんは抱きしめていた力を強める。


「アンリちゃん、大丈夫だった?」

「うん、私はみんなが来てくれたから大丈夫」

「とりあえず、本当に無事で良かったよ〜。あっ今日のドレスと髪型、とっても可愛いね」

「ありがとう。私、ミンスくんとザックくんが来てるなんて知らなかったから、ビックリしちゃった」

「実は我々もオーリン伯爵に招待されていたんですよ。ですが変な緊張を与えないようにと秘密にしていたんです」

「そうだったんだ」

「ダンスすごかったね!僕、すっごい感動した」

「ありがとう。二人はもう踊ったの?」

「ううん、僕たちずっとアンリちゃんのこと探してたから」

「そうなの?」

「だって僕たちの所にクイニーが来たと思ったら一人なんだもん」

「アンリ様は、どこかに消えたと適当なことを言うので探していたんです」

「おい、俺のせいみたいに言うな…アンリが勝手に離れていったんだからな?」

「あはは、ごめん」

「でもまさか、こっちに来ているとは思わなかったな。よっぽど食い意地が張ってるようで」

「違うもん」


 そう私が言うと、さっきまでの喧噪が嘘みたいに温室に笑い声が響いた。そんな姿に周りの人達もホッとしたのか、こちらを伺っていた人達も元通り会話に戻っている。


 しばらく笑い合っていると、一つ単純な疑問がわいてくる。


「どうしてあの人達は私にしつこく絡んできたんだろう」

「そんなのアンリちゃんが可愛いからだよ~」

「だって私よりもノリが良さそうな女の子達だっていたのに」


 そんな疑問に答えてくれたのはザックくんだった。


「それはアンリ様に婚約者がいないからだと思いますよ」

「婚約者?」

「えぇ、伯爵家のご令嬢で婚約者が決まっていないのは珍しいですから。アンリ様の歳でなら、なおさら」

「そうなんだ。私の歳で婚約者かぁ」

「アンリちゃんはこれから婚約する予定とかないの?お見合いとかさ」

「うーん、ないんじゃないかなぁ。それに私、お見合いとかじゃなくて一回でも運命の恋って言うのをしてみたいんだよね」

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