犬その他


私が脚を悪くしているせいで散歩に出られず、犬が実に恨めしそうな眼でこっちを見てくる。ため息をつきながら私の周りをウロチョロし、わざとらしく離れて行って、向こうをむいて寝る。




どうしても『subverse』について語りたい。しかしこういった作品は、誰かが後で万一プレイすることになった時に、紹介者の観点に引っ張られて無粋な気持ちになってしまうことがある。こういった引きこもるための作品では、褒める言葉さえ障害になる。



この『毎日ナンカカク』プロジェクトも半ばを過ぎたのに、かんじんの文学について全然喋ってない。酔っ払ってる場合ではない。

とわいえまぁ、文学についてはもう書いたようなモンだ。作品そのものを居場所とするか、もしくは作品によって我に目覚めるか。この2つの間で右往左往しているのが今の文学だろう。まだバッチリな答えを出した人は居なそうだ。しかも文学の世界地図というものは、他のメディア形式ゲーム映画マンガなんかと比べてやたらと広く、全貌を語るなんてのは本来あまりに馬鹿げている。


もともとをいえば私は、川端康成の『千羽鶴』やアンリ・ミショーの『みじめな奇蹟』みたいな、孤独に追い詰められた生命の臨界を書くような文学が好きなのだが、こういった作風は表現への規制が大き過ぎて、どうあがいても退屈さを振り払えない。好きだが、一つも良い所が無いんである。退屈さのうちに意味を見出す、なんてことをしてしまうと、物事にはなんの基準も性癖もなくなってしまう。基準と性癖でゴチャゴチャやるのが文学だ、ということに、こちらとしても同意するしかない。一二三スイや有沢まみずみたいに同様の問題を頑張った人も、それがいかに実現不可能かを雄弁に唱えるに終始した。


孤独の彼方に居心地良くとどまる小説。もしも小説を書くならそういうものを書いてみたい。そんな小説に言葉は有るだけ邪魔そうだけど。

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