全身のありか
幻想的な作風のイラストレーターとかが昔好きで、よくpixivの作家達を布団の中で流し見ていた。異世界、想像の世界、そういった場所を楽しげに描く、感傷たっぷりのアーティスト達だが、ある日にそのうちの1人の個展に行ってみたことがある。その日のガッカリ感は印象深い。
寝転がって、身体性を失った状態で流し見るイラストは苦しいほど感動的なのに、ちょっとピシッとして行ってみると、スッカラカンのはりぼてにしか見えなかった。観る姿勢、特に、この自分の全身をどう面倒みてくれるのかというポイント。幻想的なイラストを率先して自分の居場所にしようとすると、それらの魅力がまたたく間に萎んでいくのだ。
反対に抽象絵画なんかはサイズ感や質感もとても大切で、結局は現物を観ること、人生の途中にて作品と『出会う』という感覚がなければ始まらない。太陽の塔なんかやっぱり、あのデタラメな実物と会うと内臓が震え上がる思いだ。
JH科学というイラストレーターの世界観を舞台にしたアプリゲームがあったけど、その世界観が現前したとたんに、幻想ではなく単なる事実だという感じがしてきてめっちゃどうでもよくなってくる。そのゲームは結局すぐにサービス終了になってしまった。ゲーム自体が煩雑でふつうに面白くなかったというのも要因ではあるんだろうけど、真の要因はその"全身のありか"の問題だと思う。『黄昏ニ眠ル街』とか『アークナイツ』とか『GRAVITY DAZE』とか、いざプレイすると幻想が滅するというこのパターンは例に事欠かない。実に不思議だが、胸をつまされる幻想的な異世界の情感が、その世界に踏み込んだ途端さーっと退いていく。
作品が生活へと関係を持つことの難しさがここら辺にうかがえる。
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