謎肉謎麺謎汁



美食家、北大路魯山人は、家庭料理こそが料理の正道であると述べた。料理屋で出されるオアツラエ向きのオ食事はあくまで料理の"芝居"に過ぎず、生活と一体になった日常の食事のうちにこそ《旨く食う》ことの秘術を確かめなければならない、という。

ブロッコリーを何もつけずに食べること、炊き立ての御飯にたちのぼる香気に全身を満たすこと、あるいは蕎麦アワビ山菜、真の美食道とは素材の味を追い求めること、魯山人はそう語る。


魯山人が健在であれば、カップヌードルのことをどう評価しただろうか?




カップヌードルの開発者、安藤百福。あくまでも食糧を国中へ行き渡らせることをミッションとした彼は、魯山人の言う美食道とはおおよそ無縁の生涯だっただろうが、彼の掲げたインスタントラーメンの理念には《毎日食べても飽きない味であること》という不気味な一節があるのだ。


安藤百福は料理人ではない。この一度の食事が人生の思い出となることを、安藤百福は始めから捨ててしまっている。食の工業化を計った安藤百福が格闘した"飽きない"ことの問題・・・。一般の料理人がそんな問題に悩まされることはまず無いだろう。料理人とは当然、目の前のこの料理をより美味くすることを考えるものだ。料理人によっては、インスタント麺やらファストフードやらなんやらの世界は本当の美味しさとは無関係だ、と考えている人だって居る。しかし、魯山人によれば、この2つの道はどこかで必ず合わさっていくはずなのだ。なぜなら、真の美食は家庭料理のなかにあるんだから。日常生活の食事のうちにこそあるんだから。


おそらく安藤百福のカップヌードルは、家庭料理の真髄を何かしら掴んでいる。魯山人の思想と照らし合わせながらカップヌードルを考え抜けば、そこには美食のヒントが、量産ということの意味が、そしてなによりも『生活』の真髄についての思いもよらない観点が明らかになると、私は睨んでいる。


カップヌードルは近頃の私の人生にとって、最も深刻な謎として立ちはだかっているのである。


















・・・もう3分経ったかな


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