『帝国の真実』
「何故陛下のご病気を隠していたのです!?」
異口同音の批難の矢が、バフォメットに浴びせられた。首席執政官という重責と寵臣という立場で皇帝の病を知っていながらこの緊急事態が起こってしまうまで秘密にしていたことを槍玉にあげられて、バフォメットは沈黙していた。批判の声が響く間は頑なに口を開かないバフォメットを見て、バフォメットが秘密にしていたことを共有していたスカーレットは肝を冷やしていた。だが、やがてバフォメットがあまりにも言葉を発さないので、議会の方が意味を噛んで含めた静寂(しじま)に発言をやめる。
バフォメットは昏い瞳に千年の月日を経た蛇のようなどろりとした光を灯して、低い声を腹の底から響かせた。
「言いたいことは――それだけか?」
いつもの飄逸は欠片もない白面は力の入った眉目が隆起し、重々しい口ぶりで議員たちを調伏する。
のしかかるような言葉に一同は固唾を飲む。迫力の声音に黙る議員に混じって、スカーレットとメリルも今までに見たことがないバフォメットの様子に目をしばたたく。
一転、しかるべきときを待っていたとでも言うようにバフォメットはいつもの掴めない口調で説明をはじめる。
「陛下から、病のことは固く口止めされておりましたゆえ……殿下にも、喋るなと」
アルフレッドは式典で意識を失ってからそのまま昏睡、今に至る。侍医の見解では命はもって数日とのことであった。
再びざわつきはじめた議員たちや各国の使節たちを見て、スカーレットは発言を求めた。バフォメットを擁護する。
「皆様方、首席執政官を責めるのは筋が違うと思いますが、いかがかしら。陛下のご意思に従ったまでのことです」
「……ハークネス中将の仰るとおり、今は責め合うときではない」
此処で少将ミゼルの父で次席執政官のクロードが尤もらしいことを言った。ミゼルが鼻先で白けたような息をつく。
バフォメットはクロードをちらと見やったが、クロードはあくまでもバフォメットを擁護するのではなくスカーレットの意見に賛同するという姿勢であった。
バフォメットが目を細める中、クロードは落ち着き払った声音で続けた。
「問題は陛下のご意思がない現状で……次期君主を誰にすべきかということ」
台詞が終わった瞬間に、視線が目視できそうな鋭さを描いて、メリルとロックハーティアに集まり――最終的にバフォメットを貫いた。
メリルの美貌には緊張がにじむ一方、ロックハーティアの方は自信たっぷりな態で構えている。対照的な、薔薇の血脈――
王位継承の序列は男子が優先であるが、現在のところ王族にはメリルとロッハーティアという女性しか居ない。そして出自の優劣に拘わらず年功序列に継承順位は高くなる。メリルとロックハーティアはそれぞれ皇帝を父に、皇帝の姉を母に持つ従姉妹だ。
エリク公国併合講和の人質として降嫁されたのがロックハーティアの母、アルフレッド王の姉にあたる。ロックハーティアの方がメリルより年上なので、半分が百合の公国の血であるロックハーティアに、同盟国の王女を妃としてアルフレッドとの間に生まれた年少のメリルは正当ながらも順位は二位に甘んずることとなる。
公国併合の歴史、アルフレッド王の併合しか考えていなかった戦争の愚かしさが招いた王位継承問題であった。典範に従えば、皇帝の愛娘メリルは即位できない。
誰もが予想していた範囲の流れで、ロックハーティアが発言する。
「あたくしは王位を主張します。正当な典範に、あたくしの王位は裏付けられているわ」
ロックハーティアの主張は事実上正しいばかりに親帝国派の貴族たちはロックハーティアを擁立する声をあげる公国派に反発する。
そこでスカーレットが、喚きだした一同を静かな一喝で威圧する。腕を組んだままメリルの隣で呟いた言葉は、一人言ちたようでいて力強いハスキーな声。周囲のざわめきとは違う音響で響く。
「迂遠(うえん)の空談ですわね」
スカーレットに視線が集中すると、スカーレットは傍らのメリルを見つめた。目線で呼吸を合わせてから、メリルはきりりと表情を改める。薔薇の王女の誉れ高き美貌からは、由緒正しい血筋が匂い立つようである。
スカーレットは親帝国派の代表として、メリルの正当を謳った。
「例え一位がエリク公でも、純血の薔薇はメリル殿下。混血の薔薇に、この国を統べる資格などはなからありません」
ロックハーティアは細い目をぎりりと吊り上げた。ロックハーティアの姿に一瞥さえくれることなく、スカーレットは言い放つ。
「劣った薔薇の血脈に花冠(かかん)を戴こうなどと、よくそのような恥知らずなことが言えたものです――流石は紅百合と申し上げるべきでしょうか」
紅百合――その単語に、ロックハーティアの眉間が青筋で歪んだ。
「紅百合ですって……? ハークネス、あんた――」
「確かに、この争いは迂遠だ」
バフォメットがロックハーティアの怒りの抗議を遮ってしまうと、ロックハーティアは仕方なく閉口した。
睨み合いと腹の探りあいを打ち切って、指先をぱちんと弾く。するとバフォメットが用意させていたらしい大きな花瓶が運ばれてくる。
花瓶にささっていたのは、白薔薇と白百合であった。
「今回はこれで散会と致しますゆえ、一つお遊びを」
「「お遊び?」」
バフォメットは胡乱げな顔の一同に、ゲームのルールを説明するように言った。
「簡単なこと。メリル殿下を支持するならば白薔薇を、エリク公を支持するならば白百合を取る――それだけの意思表示です」
鼻白んでいた様子のロックハーティアが、傲慢な疲労のこもった息をついた。花瓶が一人一人に回っていく。
「……面白そうね」
ロックハーティアは自分の番が来ると、白百合の茎を摘まんで、花びらの匂いを吸った。ロックハーティア側、公国派の貴族たちも白百合を取る。
メリルは自身の家の象徴を思わせる大輪の白薔薇を瓶から抜き取った。帝国派、メリル以下スカーレットたち高位軍人やクロードたち執政官も白薔薇を取る。
此処までは綺麗に二分された。最後に発案者であるバフォメットの元に花瓶が戻ってくる。バフォメットはある意味に於いて、自分を候補としてあげることが明らかなメリルとロックハーティアよりも、動向に注目される人物だ。
長らく帝国に仕えてきた魔物――〝帝王製造機(キングメーカー)〟は、どちらをとるか。
バフォメットが手にしたのは、白百合の方であった。
親帝国派の者たちが俄かにざわめき、公国派は予想を大きく裏切ったバフォメット、帝国の重鎮にどよめきを起こした。
メリルが眉をひそめて金色の目をかっと開くと同時に、ダズマールが声を荒げた。バフォメットの選択は事実上の、メリルへの不支持表明であったから、理解に苦しむ声が出る。
「どういうつもりだ首席執政官……売国行為を働く気か!」
公国派のどよめきが次第にしたり顔に変わる中で、バフォメットは目で笑わずに口元だけで笑っている。
「お遊びと、申し上げたはずですが。ローランド大将――ただ」
バフォメットは一度言葉を切った。白百合を持つ反対の手で白薔薇を抜き取ると、鋭い棘もろとも茎を手折る。指先のみ露出している黒手袋をした指の腹は出血して、赤く濡れていた。血が出た指で白い花びらを一枚摘み、赤黒いしみがついたひとひらに口付ける。
「臣はメリル殿下を推さない、というだけです。今は流れを見守るだけ」
「……決まりですわね」
バフォメットのメリル不支持を自分への支持として、ロックハーティアはほくそ笑んだ。祝福の言葉を聞いて満足したように、ドレスのスカートをつまんで退出する。
残された帝国派はバフォメットを不審げに見やった。バフォメットは何処吹く風でしれっとしている。
この混沌に近い場で一人、スカーレットは別の疑問を抱いていた。ロックハーティアが〝決まり〟と断言できるほど、バフォメットが決め手になるとは思えなかったのである。
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