『皮肉な頃合いの魔術』

 四日後の朝早く、メリルの姿は着替えの為だけにある部屋にあった。そこには侍女だけでなくスカーレットが居て、メリルの身の回りの雑務をこなしている。

 スカーレットは慣れた手つきでメリルの編み上げコルセットの紐をきゅっと縛ると、スカートにボリュームを出すためにパニエと、網状の器具を纏っているメリルに、青い小花柄のドレスを着せた。メリルが椅子にちょこんと座ると、白いタイツに包まれた足に青いリボンのついたヒールを履かせてやる。

 このような身の回りのことは日頃は侍女がしているが、特別な日にはスカーレットが、軍人でありながら侍女に代わる。スカーレットはというと、すでに長い赤髪をクラウンブレードに結わいて、正装の将校服で身を固めていた。薄化粧であるが凛々しい美貌からは、高貴が匂い立っている。

 今日は勲章の授与式。メリルは父王の傍らに臨席することとなっている。

 着替えを済ませたメリルにひらりと前掛けをして、スカーレットはメリルの愛らしい顔に薄く化粧を施していく。


「口紅は何色がいい?」

「薄紅色がいいですわ」


 リップブラシにとった口紅で唇をほんのり色づけると、メリルは微笑み、スカーレットもまた口元を綻ばせた。メリルははにかみながら言った。


「今度……街へ行って、一緒にお化粧品のお買いものがしてみたいです」

「ふふ、お忍びで買いものも悪くないわね」

「お化粧、教えてくださいます?」

「勿論」


 スカーレットはメリルの前掛けを取ると、立ち上がったメリルの前に立って扉をそっと押した。


 部屋を出て式典会場の方へ向かうと、準備に慌ただしい空気が程々に肌に触れる日常があった。メリルとスカーレットが並んで歩いていると、さっそくダズマールとミゼルの二人に出会う。正装の軍服に、過去に授与された勲章で左胸を飾っている二人の将校とスカーレットの三人は、今日新たに勲章を授けられることとなっている。ダズマールはメリルに敬礼したが、ミゼルは敬礼した手を口へ運んで欠伸を飲んだ。ダズマールが几帳面なのはいつものことで日頃と礼装姿も変わらなかったが、ミゼルの方は癖毛の金髪についた寝癖をそれらしくごまかしている以外は軽薄そうに見えても将校らしい出で立ちではある。


「メリル殿下、おはようございます。本日の式典ではよろしくお願い致します」

「此方こそよろしく、ローランド大将」


 メリルと、同僚のダズマールが挨拶を交わす様子を見ながら、スカーレットはぼんやりと考えていた――王の病のことを、メリルに伝えるか否かをである。

 王の病についてバフォメットから聞かされて数日、このつつがない日々にスカーレットは妙な気分でいた。宮廷には多くの者がいるのに、王の病を知る者は自分を含めたわずか四人……秘密はいつか明るみになるから秘密なのだと思うと、平衡が崩れる時を思い、今の平穏に肌が粟立つようなのだ。


「そうそう、ハークネス中将……公国の貴族共が噂してましたよ」


 いつの間にか自分の話になっていたらしい。スカーレットはミゼルに呼ばれて我に返った。ミゼルを遮ってダズマールが忠告する。この数日、ダズマールとミゼルは公国との合同軍事遠征のために公都へ行っていたのだ。


「スカーレット、お前が殿下に取り入って高い地位を狙っていると奴らは勘ぐってた」

「私が?」

「中将は殿下と親しすぎるんだ」


 口先を尖らせたミゼルの片袖を、メリルがそっと掴む。赤銅色の瞳を仰ぎ、眉尻を下げて、


「クロード少将、中将がではなくわたくしが勝手に親しくさせているだけなの、だから」

「殿下も中将も立場をわきまえた方がいいですよ、侍女みたいにして……」

「やめないか、ミゼル。殿下にそんな口を利くな」

「だって」

「ダズの言うとおりだ……ミゼル、口を慎め」


 じっと見上げてくるメリルの心許なさそうな愛らしい目の光から、ミゼルは目をそらした。メリルの小さな手を不躾にならない程度の力で振り払って、つかつかと歩いていく。


「先、行ってます」


 ダズマールが溜め息をついて、メリルに詫びた。


「申し訳ありません、殿下……あいつにはよく言い聞かせておきます」


 メリルは何も言わず相槌もなく、ミゼルの遠ざかる背中を見つめていた。

 スカーレットはそんなメリルを何となしに見ていたが、メリルの瞳の中に、敵を見つけてしまったようなある種の悲しみが映っていることを見出して、口をつぐんだ。


 式典には同君連合国の軍人や、来賓として君主や使節たちも多く来ていた。

 勲章の授与式には王にして皇帝であるアルフレッド、その娘王女メリル、首席執政官バフォメットが壇上に立ち、勲章を授けるアルフレッドに紋章を手渡す役目が、メリルの仕事であった。下位の軍人から順に呼ばれていき、それからは武勲の位に応じてミゼル、ダズマールと勲章を受け取る。スカーレットは最後であった。


「スカーレット・ハークネス中将」


 バフォメットに名を呼ばれ、スカーレットは一歩踏み出すと、軍靴の響き高く壇上への低い階段を上がった。横分けの赤い前髪が、ふわりとなびいた。アルフレッドとメリルが待つ壇の中央へ、厚い絨毯を踏みしめる。

 スカーレットがメリルを見やると、メリルはこれからスカーレットの胸に輝く勲章を載せた小さな盆を手に微笑んでいた。スカーレットはメリルに笑み返して、すぐにアルフレッドの方へ目線を移した。アルフレッドはいつだって、自分に会うときには悲しげな顔になる。尤も、君主と一介の軍人として時々会うことしかないのであるが……

 アルフレッドに会うときや、こういった謁見の場になると、スカーレットは決まって様々な思いと共に跪く。慣れた感傷に身を噛まれながら、スカーレットは長い睫毛の間で宝石のような赤い瞳を暮靄(ぼあい)に煙らせる。メリルがアルフレッドに、勲章を渡す気配を頭上に感じながら。

 スカーレットが立ち上がろうとしたとき、ぱたり、と水のようなものが滴る音が聞こえた。

 音はぽたぽたと続き――赤い絨毯に、紅く、染みた。血だ。

 スカーレットの目線の先、血が滴った場所の近くに、アルフレッドは勲章を落として、うずくまって咳き込み、喀血する。


「父上!」


 メリルが叫びと共に父王を支えたところで、周りの軍人や貴族たちも何が起こったのかを悟り、動揺が走った。


「父上、しっかりしてくださいませ……誰か、侍医を呼んで! 早く!」


 メリルの叫ぶ声と周囲のどよめきが、スカーレットには遠く聞こえた。自分でも驚くほど無感動に、絨毯の上に転がった勲章を拾って、立ち上がる。

 血を吐いているアルフレッドを見下ろした数秒――医師が集まる壇上から、一人そっけなく降壇していく。スカーレットはそのまま、式典の会場からも出て行った。

 スカーレットの後ろ姿、赤いクラウンブレードの後ろ髪に、アルフレッドは濁った血のような目をすがらせるようにして、倒れた。


 スカーレットが退出するのを動けずに見送ったバフォメットの唖然とした呟きが、壇上に落ちる。


「何という、皮肉な…………」


 皇帝アルフレットの公然の秘密を知る一握りの重臣たちは、バフォメットと同じ思いでいた。

 アルフレッドがスカーレットの前で倒れたという――頃合の魔術に。


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