応援コメント

唯物論に吹かれて」への応援コメント


  • 編集済

    諏訪野さま

    珠玉のエッセイだと思います。感動しました。放心しました。

    それとまた別に、私は
    『なぜ、このタイトルなのか?』
    という疑問の虜になりました。頭を離れません。

    むしろ唯物論とはおよそ遠いところに、あらゆる一文と筆者様の心情が吐露されているように思われたからです。
    いま、どう問いかけを投げていいか四苦八苦しているのですが、どうも変な文章にになります……。
    純粋に、『唯物論に吹かれ』ることと、本文に私では関連を見出せなくなりました。

    コメントとしては踏み込み過ぎた質問でありますし、まるで他者の心に土足で入る問いのようです。
    気が向きましたらどのようにこの、印象的なタイトルがついたのか示唆いただけると、魅了されたものとして幸いです。

    想像というか仮説は湧くのですが気になって……一方で直接のおたずねは僭越とも自覚はあります。
    ただ許されるならご示唆を伺いたいと、ガマンできずコメントに及んでいます。
    作品性に問題を及ばすようなら、ご放念ください。

    作者からの返信

    秋島歪理様、初めまして。
    タイトルですか! ネタバレすると……ボブ・ディランの「風に吹かれて」にインスピレーションを受けています(半分本当です)。

    マジレスしますと…物質と意識、どちらが根源的なものかについては今後も恐らく結論は出ないように思っています。拙作のタイトル、反応のない義理の兄や価値観が全くすれ違う妻を目の前にして唯物論に押しつぶされそうになる・傾きそうになる自分を「吹かれて」と表現したのだと思います…が、この辺りはかなり感情に左右されていて、きっちりと計算して付けたタイトルではありません。確かなものを見つけられないやるせなさや寂しさを感じた時に、風にぐらりぐらりと揺すられる自分というイメージがふっと浮かんできた、というのが正直なところです。
    意識のない義理の兄を前にして一方通行の気持ちしか送ることが出来ない、あるいは家族であろうとしてもお互いの心が分かりあえない、それならば唯物論に頼りそこに答えを見つけたほうが良いのか・楽になれるのか…唯物論に流され飛ばされそうになりながらも、どこかで心の存在を信じたいと考えているのは、秋島歪理様の、あるいは主催者の犀川よう様のご指摘の通りです。心があるかどうかそれ自体については、きっと大切ではないのでしょうね…「答えは風に吹かれている」ディランが歌ったように、「答え」とは何処にでもあるけれど、つかもうとするとすり抜けてしまうものかもしれません。

    ちょっと格好つけすぎましたね、申し訳ありません。改めて考える機会を与えていただき、ありがとうございました。あと、秋島歪理様は福岡市のご出身で現在は瀬戸内にご在住なのですね。市内ではないですが、私も福岡県民です。長文失礼しました!

    編集済
  • 義理のお兄様への思いと、奥様への思い。うまく言葉にできないのですが、とても胸に響きました。
    何をどう以って家族といえるのでしょうね。ただそばに居続ける、一緒にいる。それだけで、もっともっと深い部分ではもうすでに家族なのではとも思ってしまうのは、自分が家族というものを未だわからずにいるからなのかもしれません。
    素晴らしいエッセイを読ませていただきました。
    ありがとうございました。

    作者からの返信

    ゆげ様、こんにちは。
    私もゆげ様のように、家族とは何なのかいまだに定義できていません。ただ、血縁による家族の絆は尊いものだという価値観が周囲から当たり前のように提示されることには、幼いころから大きな違和感を感じていました。お父さんだから大好き、お母さんだから大好き…本当に? 何しろもの心ついた時から自分の家族五人はバラバラで、成人する前には崩壊してしまっていましたから…だから温かな家族というものについて、人一倍幻想を抱いていたのだと思います。こんなはずはない、自分は思いやりのある関係を築けるはずだ、と… しかし結局「家族」という言葉だけに引きずられて、お互いの気持ちというものについては理解していなかったのかもしれません。今考えてみると、集団に囲まれて安心しようとするなんて自分らしくなかったなあと思います。「家族」ではなく「あなた」と「わたし」。今回のことを機に、そこから再び始めてみたいと思います。
    温かなお言葉、本当にありがとうございました。

    編集済
  • 義理のお兄様の死への過程が細かく、時に淡々と、時に感情的に描かれていて、のめり込むように読みました。
    文章の力というものを改めて感じさせられた思いです。
    自身の家族にはそこまで愛情を抱かなくとも、義理のお兄さんには親しみを感じる。
    しかし、その親しみも妻にとってはどうでもいいように扱われてしまう。
    そんな人間らしいすれ違いが、これでもかと描かれていて、とっても読み応えがありました。
    事実であるからこその重みと、それを伝えるための文章力。
    学ばせてもらいました。

    作者からの返信

    月井 忠、こんにちは! 温かなお言葉、痛み入ります。もう少し私の方を見て欲しいなと思いながらも、犀川様がおっしゃられた様に人の心は変えることの出来ないもの。小さなことから自分を少しずつ変えていくしかないのかな、と暗中模索しているところです。
    ところで、私も筋トレ大好きです! 自分はマラソンランナーなので「箱根駅伝強豪校の体幹トレーニングメソッド」みたいな本を買って筋トレしてました! …が、何せメニューが30種類以上あるので(笑)1セットこなすのに1時間近く…あまりに時間がかかりすぎるので、現在は腕立てと腹筋・背筋のみに回帰したヘタレです…
    コメント大変励みになります、感謝です! 今後ともよろしくお願いいたします!

    編集済
  • 初めまして、この度は受賞おめでとうございます。
    所々ですが拝読致しました。

    本当にあったことだとは思いますが、私自体がまだ重い病気といった経験がなく、どう捉えていいのか戸惑いを感じました。

    それ故に、義理のお兄様の死に対して、お悔やみを申し上げるのはどうかと思い、ここでは敢えて言わないことにします。

    エッセイって、日記みたいに書いてもいいのですね。
    今後の参考に致します。

    作者からの返信

    淡雪様、初めまして。実は私も親しい身内の死というものは初めてで、それゆえに家族との関係について考えるきっかけになった、という経緯でした。私もそれまで自分の感情についてよくわからなかったので、淡雪様のご感想が正しい反応なのだと思います。
    知り合いの作家様に聞いたのですが、日記文学というジャンルもあるようです。これはフィクション・ノンフィクションを問わずなので、エッセイで日記調という組み合わせもアリのようでした。
    コメント、感謝申し上げます。

  • 拝読させていただきました。
    少し前のお話ということですが、御冥福をお祈りします。
    身近な人との別れについては、この年齢になるとなにかしら経験していくものですが、正しい態度だったのだろうかと考えることもしばしば。
    それぞれに、故人への想いがあり、それぞれに悼んでいるのですが少しずつ比重が違うのですよね。諏訪野さまの場合は医療関係ということで、お仕事でもそういった場面に遭うこともあるのでしょうし。
    拝読してて、パソコンで思わず検索してしまう場面が書かれていましたが、この複雑なお気持ちに胸が痛みました。
    読ませていただきありがとうございました。

    作者からの返信

    島本 葉様、お読みいただき感謝申し上げます。
    故人にはもう何もしてあげることが出来なくて、ただその方の死を何らかの形で自分の中に取り込みたい、というエゴというか我がままだけが残されてしまいました。ごまかしも忘却も解決ではなくて乗り越えなければいけない、とわかってはいるのですが…まだ半年ですのでいずれ自然に何かが変わってくるのかもしれません、時間が救ってくれることを期待して見ようと思います。
    と、拙作はともかく。ルービックキューブ、めちゃ凄いですね!1分の壁どころか世界記録3.13秒とか、これってスタート状態は完全ランダムでバラバラになったやつですよね!どうなっているんだ…むかしガチャガチャで八角柱みたいな色合わせパズルもあった記憶が…貴作タイトルも「冷やし中華はじめました」みたいで秀逸でした!
    大変温かなコメントと楽しい作品、ありがとうございました!

  •  衝撃的過ぎて読後、コメントを書けるまでに時間がかかりました。

     まずはお兄様のご冥福を謹んでお祈りいたします。私も20代の頃に父を亡くしたので亡くなる前に医学では説明できない奇跡が起こりうる事、それを現象として説明してしまう脳神経科学に腹を立てる気持ちもすごく理解できます。

     諏訪野さまが血の繋がりのあるご家族との関係性はこの話だけからは読み取れませんが、血の繋がりよりも心が繋がる事こそが大切だと思っております(私も実の母と姉と縁を切りたいぐらいです)

     そういう意味で『本当の兄弟を亡くされた』のだなと、でもそれを奥様には説明しても理解はされにくいことなのだろうなと思うと、切ない気持ちになります。どうか諏訪野さまが奥様と同じ様に笑ったり泣いたり感情を出して、家族として同じ気持ちで奥様と一緒に、お兄様の事を話せる日が来ることを願って止みません。

    作者からの返信

    川中島ケイ様、こんにちは。
    温かいお言葉に感謝いたしますとともに、私がまとめきれなかった自分の感情を正確な言葉にしていただいたことに大変驚いています。
    家族を愛し愛されることが当然の日常だった妻と、知識として家族は尊いものだと教えられつつもそれを信じられるような現実を得ることは出来なかった私、その違いはどうにも埋めようがありませんでした。生まれ育ちの違いというものはかなり決定的なものがあり、お互いに理解するという事についてはちょっとあきらめています。家族愛について書かれた小説を読むとクリスマスパーティを窓の外から眺める子供のような気持ちになってしまい、いまだに自分は家族についての小説は書けないでいます…
    感情を出す、確かにそうですね。自分より義理の兄の方が大切だと妻からはっきり言われることは怖いですが、私にとって妻と義理の兄が家族として等しく大切だという事はどこかで伝えないといけませんね。
    今回書いてみてよかったと思います、本当にありがとうございました。

    編集済
  • 悲しみも憤りもやり場のない思いもなにもかも。
    ひしひしと胸に迫ってくる作品でした。
    この作品を書かれたことで、すこしでも諏訪野さんの心が軽くなられたらと思います(ごめんなさい、うまく表現できなくて)
    諏訪野さん、ありがとうございました。

    作者からの返信

    未来屋 環様、こんにちは!
    ご心配ありがとうございます。かなり時間が経過しましたので、現在はほぼ平常を取り戻しております。
    心を軽くしようという意図はあまりなく、いままで自分が引っ掛かっていた「家族」というものを、死別を契機に一度言葉にして分析しておきたいな、というのが本作を書く契機でした。自分のルーツと家族という関係についての感じ方を「文学」として表現してみたかった、と言い換えてもいいかもしれません(オィィ、格好つけすぎィ…)。単なる文芸作品、としてとらえて頂けるとありがたいかな…感情の波が過ぎ去った今になって、ようやく少しは形に出来たかな、と感じてはいますが、もう少し突っ込んで深堀りしてみたいな、とも思っています。
    温かいお言葉、ありがとうございました。今後ともよろしくお願い申し上げます。

    編集済
  • まー起こった事に関して、その他諸々の感情については何も言えませんが、ともあれお疲れ様でした

    作者からの返信

    ご心配頂き、痛み入ります。コメント、誠に有難うございました。

  • こんばんわ、拝読させていただきました。2月ですから私や諏訪野さんの作家仲間の人たちが、カクヨムコンお疲れ〜と言い合っている間、こんな気持ちを感じていらっしゃったのですね。月並みな言葉しかかけられませんが、本当にお疲れ様でした。寂しいですね。
    この作品を書く間、凄くこう…吐きそうになったり、頭痛がしたりしなかったでしょうか? というのも、自分の辛い部分を直視して作品を書く時、そうなることが多いのです。ご体調にはどうぞお気をつけて。上手く言えませんが、こちらの作品から創作に繋がる後押しみたいなものをいただいた気がします。

    作者からの返信

    伊藤沃雪様、こんばんは!
    えへへ、「アイデンティティ・シンクロニシティ」をガリガリ読んでキャッチコピーを書かせて頂いた頃です~! もう本当、作品の中でクロエとヘレンと一緒に飛び回っている間は暗い日常を吹き飛ばせていました、彼らには感謝しかありません!
    これを書いているときに関わらず、時々大して悲しくないはずなのに涙ぐんでしまうことがあります…が、私は元気です! なんとなれば、ようやく「レ・ユエ・ユアン」を読み進められているからです!(周回遅れですいません…)なんというか、初期のグイン・サーガを読んだ時のような興奮があります、質の高いロードムービーというか。私の方こそ伊藤沃雪様の作品に後押ししてもらってます、本当にありがとうございます!
    暖かいコメント、重ねて感謝申し上げます!

    編集済
  • くたばれ、脳神経科学!で泣きました。(なぜかいつもスロ男さんと同じ箇所に言及してしまいます)

    心の整理の道筋のひとつとして、これを公開する、という意味合いがあるのだと感じます。

    この世は取り返しのつかない出来事ばかりで、命も人生も本来不可逆な定めを背負っているのに、私たち人間は取り返そうとあがきます。でも、あがくからこそ、私たちは人間なのだろうとも。

    動物であっても受け入れ難い現実を拒否することが往々にしてありますが、私たちにはさらに共有資産としての知識が思案の邪魔や後押しをする。

    とりとめがなくなってしまいましたが、日記形式での二月のほぼ全貌をみせてくださり、ありがとうございました。

    作者からの返信

    虹乃ノラン様。有難いコメントとレビュー、感謝申し上げます。ふふ、スロ男様とツボが同じだったのですね。
    取り返しがつかないもの、本当にそうですね。書き進めながら、どうやら私は「死別」を通して「家族」について自分の中で整理したかったようだ、と気づきました。そして行きつくところ、結局は幼少期の自分の肉親・家族関係というものに端を発していて、元からなかったのに知識として刷り込まれた「普通の家族」を取り戻そうとするところに苦しみがあったのかな、と考えつつあります。あきらめ、というと後ろ髪を引かれる思いですが…
    いままで私には「家族」という言葉は呪いでしたが、今後は少しずつ家族についての物語も書けそうな気がしています。ようやく私はハミングをファンタジーとしてではなく自分の物語として読むことが出来ます、早く手に取りたいと願っています。
    本当にありがとうございました、今後ともよろしくお願いいたします。

  • エッセイ企画から来ました。

    興味深く、引き込まれるものがありました。
    物語は人の生き死にに複雑な愛憎がからみ、最終的な部分へとたどり着きます。このような事態においても、どこかでご自身と現実を冷静に観察しておられる存在という意味合いで作者さんを強く感じます。

    人間というものは物体ではないのですが、様々な法則がはたらく物体であるからこそ救われるものがある。掴みがたい心というものも、その極であろう魂というものも、時に科学の屈辱をうけながらも、永劫に人ともにあり続けるのでしょう。

    闇のなかを掴まりどころがないままに、ゆっくり落ちていくような読後感があります。心地良い感じではないですが、これぞ読書がもたらしてくれる恩恵であると最高に敬意を表したいと思います。

    (心地良い感じではない=悪い作品 の意味では決してありません。深く考えさせられるが言語化できない、とか、自分で整理できる感情ではない等の意味があると思いますので、ご了承いただければ幸いです)

    作者からの返信

    月詠 透音様、コメントありがとうございます。
    読後感、月詠様が感じられている通りだと思います。私自身、自分の中で何かが大きく変わったというわけではなく、時間の経過とともに痛みが薄れていつか穏やかな日々が来るといいな、と何の根拠もなく膝を抱えることしが出来ません。それでも何かがそこにある・誰かがそこにいるという真実だけは大切にしなければならないと思っています。
    深くお読みいただき、感謝申し上げます。

  • 諏訪野 滋さま

    こんにちは。ためらいつつ拝読させていただきました。
    もちろん、感想として書き込める言葉なんてなにも思い浮かばず、ただ、文字を追いつつ動画のように目の前で繰り広げられる光景を眺めていました。その場に居合わせたかのような圧倒される臨場感でした。でも、考えていることは自分のことばかりなんです。
    どうして泣くことができるんだろう、どうして、そんなに人に尽くせるんだろう、どうしてそんなに優しいんだろう。
    私の中でもふたつの死(ほんとうはみっつ)がいまでもざわざわとうごめいていて、カクヨムを離れるまえにはそれを形にしておきたいなと思っています。

    作者からの返信

    佐藤宇佳子様、こんにちは! こんな作品を読ませておいて「!」はないだろう、と言われればお詫びのしようもございません…
    拙作はあくまで個人的な事情が複合してできた結果ですので、皆様それぞれのご事情に合わせて、ふとした時に周りに目を向けるきっかけになっていただけたならば、それでもう望外の喜びとするところです。自分の力でできることなどたかが知れていますので、ありのままに生きていけることに感謝しないといけないな、としみじみと思いながら暮らしています。そうそう、最近も素敵な百合小説を見つけて、天にも昇る心地で読み漁る妖怪と化しているのですよ。皆様の恵みに感謝です!(爆)
    エッセイ、やはり難しいな…医療エッセイくらいが私にはお似合いだな…と思いながら、カクヨムコンにも短編エッセイ一つくらい出してみたいな、とか考えていたりして。次は多分コミカル、絶対コミカル!私は基本ハッピーエンドが好きです、バッドエンドは好みではないのです!(ビターエンドは結構好き…ぼそっ)
    お読みいただき感謝です、ありがとうございました!


  • 編集済

    数年前、義理の両親が相次いで脳梗塞になりましたが幸運なことに、たいした後遺症もなく現在も日常生活をおくれています。

    『幸運なことに』、この言葉は本当なのだなと、こちらのエッセイを読んで改めて思いました。

    魂はどこに在るのか?そこはブラックボックスのままですが、最期の日にお義兄様の手足がわずかに動いたのは愛する人へのお別れの挨拶であったのだと私も思います。

    諏訪野さんの、奥様に寄り添われているお心は、きっと伝わっていると思いますよ。

    作者からの返信

    げんさん、おはようございます。寝落ちして皆様へのコメントが遅くなりました、申し訳ありません!
    KAC2024、ご一緒にいろいろ楽しく書いてましたねぇ…3日おきのお題とか地獄のような楽しさでした。あの時、私は本当に助けられていたのですよ。たぶん、今もそうなのだと思います。
    心…どうなのでしょうか。伝わっているのかどうかわかりませんが、そばにいるということは何らかの力、あるいは流れ・縁といったものがあるのだと信じたいところではあるのですが。あるいは、小説でのつながりもそうなのかもしれませんね。
    カクヨムコン、近づいてきてますね。またエモい奴を書きたいところでありますが、特に長編が難産…今後ともよろしくお願いいたします!

  • くたばれ、脳神経科学! などと言いながら、おそらく作者は現実とはそういうものだとわかっている。わかってしまう自分が、おそらく理不尽ながらも奇跡にすがってしまう妻とは違う自分が許せないのだと思いました。

    でも多分。そんなこというよりも、他人である私とかから「つらかったね、がんばったよ。でなけりゃ、こんなふうに気持を処理するために人様に晒すなんてことできやしないよ」というのが優しさなのかもしれません。
    そういう意味では、私も優しい人間などではなく、それどころか魂なんてあやふやなものも信じちゃいないんだよな、と反射する心で思うばかりなのです。

    作者からの返信

    スロ男様、おはようございます。
    がんばり…はまったく意識外で。義理の兄のことも、妻との関係も、自分の気持ちも、頑張ってどうにかなるものではないとわかってはいましたから…唯物論は本来哲学で、それを自然科学の分野にそのまま当てはめることは無理があるのですが、自分に都合のいいようにそれを受け入れたり否定したりしているな、とため息をついているのが現実です。まだ少し弱ったままなのだと思います。
    ご経験は皆様それぞれですので、相手に一方的にかける優しさというものはなくて、集合知ではないですが多くの方々の気持ちを持ち寄っていくのが全体的な優しさにつながるのかな、と漠然と感じています。
    コメントありがとうございました、感謝いたします。

    編集済
  • お邪魔します。

    数年前実兄がガンで往きました。歳の離れた兄で最期まで私のことを心配してくれていました。

    「意識があってスマホがあれば贈り物ができると気づいた!」
    と毎週私にネットで注文した各地の名産品を送ってくれました。

    ある日「医師にそろそろだと言われた。今までありがとう」とメッセージが来た日の夜中旅立ちました。

    その後…2ヶ月ほど続いた兄からの贈り物。受け取る度に涙が止まりませんでした。

    兄がこの世からいなくなって数年。まだ冷凍庫の中には兄のプレゼントが残っています。


    義理のお兄様とは言え、心は家族。
    きっとアチラから見守ってくださっていると思います。

    作者からの返信

    @to-sanka-3様、いつもコメントありがとうございます。
    読ませていただきながら涙が出ました。別れるまでの時間があったほうがいいのか、突然の方がいいのか…義理の兄ともっといろいろなことを話しておけばよかった、とそれが心残りです。なかなか気づきにくいですが、今をしっかり生きて行かないといけませんね。
    おつらいご経験をお話しいただき、感謝の言葉もありません。今後ともよろしくお願いいたします。

    編集済
  • 想像では書けない密度がありました。
    所詮人間には、最適解など分からない。だとしたら飛び続けるしかない。
    質量には重力が宿り、力には作用が返る。それが唯一の慰めかもしれない。
    そんな風に感じました。

    作者からの返信

    蒼井シフト様、おはようございます!
    仰る通りですね、期待をしすぎるから失望が大きいのかもしれません。
    周囲が自分を映す鏡だとすれば、与えた以上のものが返ってくるはずはないのですから…だとすると自分の心の持ちよう一つだな、と思ったりもしています。
    いつも温かなコメント、ありがとうございます!

    編集済