最終話 ぼくの最高の彼女



 後日談──というのには語弊があるので、あのお兄さんの車から脱出して数時間が経った話ではあるけれども。

 ぼくは今、バイクを運転するコーちゃんの背に相乗り(ちゃんと予備のヘルメットを装着して)させてもらいながら、海沿いの道を走っていた。

 まだ距離はあるけれど、横手には見慣れた街の夜景が見える。

 つまり、今度こそ元の世界に戻ってこれたってわけだ。

「まったく、君って人は本当にオカルト絡みの事件に縁がある男だよね」

 と。

 お兄さんの暴走車からどうにか逃れて、その後は脱兎のごとく猛スピードで愛車を走らせていたコーちゃんが、街が見え始めたあたりで法定規則通りに速度を合わせたのち、唐突に口を開いた。

 それまでずっと無言だったので、きっと怒っているのだろうなと思いきや、意外にも落ち着いた口調──呆れてはいるのだろうけど──言葉を発したコーちゃんに少しホッとしつつ、ぼくは「ごめん」と一言謝った。

「いやまあ、君は巻き込まれただけなのだから、そこまで罪悪感を抱くほどのものでもないけれどさ……」

 よほど気落ちしたように見えたのか、コーちゃんは若干戸惑うように言葉を濁した。

「けど、どうして私の言いつけを守らず、駅から離れてしまったんだい? さすがにあれに関しては愚行としか言い様がないよ?」

「周りに誰もいなかったら……。それでだんだんと不安になってきちゃって……」

「それでひとまず駅から離れようと?」

 こくりと首肯すると、コーちゃんは呆れたような口調で「あのねえ」と声を漏らした。

「君は知らなかったから仕方がないかもしれないけれど、『きさらぎ駅』という都市伝説は駅から離れてからが本番なんだ。つまり駅から離れようとすると、怪現象に次から次へと遭遇する羽目になってしまうんだよ。歩いている途中に祭囃子が聞こえてきたり、片足のお爺さんに呼び止められたり、親切を装った男にどこかへ連れて行かれそうになったりね。

 そうなる前に、祭囃子が聞こえてきたら気を付けてと伝えたつもりだったのだけれど……」

 あ。

 あの通話が切れそうになった間際に言っていた『まつ』なんとかって、祭囃子の事だったのか。

「ごめん。あの時電波の調子が悪かったせいで、全然気が付かなかった……」

「まあいいけれどね。こうして無事君を救出できたんだから。本当は君が危険な目に遭う前に、異界から連れ出すつもりだったんだけれどね」

「異界……」

 コーちゃんの言葉をオウム返しに呟いたあと、ぼくはちょっと前から気になっていた事を訊ねた。

「そういえばコーちゃんって、どうやってぼくの所に──きさらぎ駅に来れたの? いや、トンネルを抜けたあとだからきさらぎ駅付近って言うべきかもしれないけど、ともかく異界には変わりないわけで。それなのに、どんな方法でぼくの居場所を突き止めたの?」

「ああ、その事かい。それなら単純明快さ」

 言って、コーちゃんはいったん道の端によってバイクを止めたあと──ちなみにほとんど車は通っていなかったので、追突される心配はない──ミニバッグからスマホを取りたり出して、何やらちょっといじってから「ほら」と画面をぼくに向けた。



「GPSさ。これで君の居場所を逐一把握していたんだよ」



 GPS。

 人工衛星の電波で人物などの居場所を測り知る装置で、全地球測位システムとも呼ばれる。

 というのは、無知なぼくでもよく知ってはいるけれど──

「GPS? でもぼく、GPSのアプリなんてスマホに入れてないよ?」

「……あー。それはなんていうか、前に君の部屋に遊びに行った時に、こっそり君のスマホに追跡アプリを入れまして……」

「えっ」

 思いっきり初耳なんですけれど?

「だって君、すぐオカルト絡みの事件に巻き込まれるから……今日だってアプリを入れていなかったらどうなっていたかわからなかったし……」

「それは、まあ……」

 実際その追跡アプリとやらでコーちゃんが来てくれたおかげで、こうして無事にいられているわけだし、強くは言い返せない。場合によっては訴えられても仕方ない所業ではある。

「でも、勝手にアプリを入れる前にちゃんと君に相談すべきだったね。本当にごめん……」

「あ、いや、ぼくを怖がらせないようにしてくれた事なんでしょ? びっくりはしたけど、別に怒ってはないよ」

「そ、そっか。よかった……」

 と、ホッと安堵の息を零すコーちゃん。よほどぼくの反応が気になっていたようだ。

 なんていうか、コーちゃんはぼくの事になると途端に弱気になるところがあるよなあ。そこがまたコーちゃんの可愛いところでもあるんだけど。

「……ん? あれ? でもあの時圏外だったのにどうやってここの場所がわかったの?」

「圏外でもGPSを表示できるアプリがあるんだよ」

 主に登山などで使われるアプリだけどね、と付け加えるコーちゃん。

「もっとも、最初GPSで表示されていたのは君がいた山の山頂だったけれどね。しかも地図で確認してみたら絶対人が入れるような場所じゃない所の」

「えっ。でもぼくがいたのは駅のはすわだったんだけれど……そのあとも移動はしたけれど、山頂に行った覚えなんて……」

「さっきも言ったけれど、『きさらぎ駅』は異界の話だからね。通話ができた事を考えると、次元の歪みとか言うよりは、君の感覚の方を狂わされていたんじゃないかな。もしくは空間ごと何かしらの力で偽っていたのか──要は幻のようなものを見せられていた可能性が高いね」

「幻……じゃあ、あのお兄さんも?」

「彼は私も視認できたから、たぶん本物だと思うよ。まあ彼も感覚を狂わされていたか幻を見せられていた可能性があるけれどね」



 ──もしくは、紛れもない異界の住人だったか。



 口調こそ軽いものの、その言葉の奥底に見え隠れするおどろおどろしい何かの存在に、ぼくはぶるっと身震いしてしまった。

「……コーちゃんはよく平気だったね。ぼくと同じ異界に行ったはずなのに……」

「んー。私がGPSで君を追った時は、駅のようなものは見かけなかったから、君が車に乗った時点では異界から離れていたんじゃないかな。実際所々でGPSを確認してみたら、徐々に山頂から下へと移動していたからね」

「という事は、最初こそ街を目指して車を走らせていたけど、途中でまた山を登り始めたって事か。なんでまたそんな面倒な真似を……」

「さあね。さっきも言った通り、精神を狂わされていたか、何者かの指令だったのか。何にせよ、無事きさらぎ駅から抜け出せてよかったよ」

「きさらぎ駅……。ねえコーちゃん。『きさらぎ駅』って元はネットで流行った都市伝説なんだよね? 最後はどうなったの?」

「最後かい? 一応君みたいに知らない男の車に乗ったあとに、途中でケータイのバッテリーが切れるからとだけ言い残して掲示板のレスが途絶えるんだけど、その数年後に本人と思わしきレスが出来て、なんとか様子がおかしくなってしまった男から逃れて無事に済んだと書き込んでいるのだけれど、真偽のほどは不明だね。まあこの『きさらぎ駅』という話自体、創作だと思っている人がほとんどだけど」

「そっか……」

 じゃあ、助かったとも助からなかったとも言えないのか……。

「はあ〜。ぼく、本当に色々危ないところだったんだね……」

「そうだよ? だからこれからは、ちゃんと私の言いつけを守って、無茶な真似はしちゃダメだよ? それから今後は電車で眠らない事! いいかい?」

「はい……」

 正論過ぎてぐうの音も出ない。

「はあ。今後はぼくも、コーちゃんみたいに催涙スプレーを持ち歩いた方がいいのかなあ」

「いや、あれは普段持ち歩くのは法に触れる可能性があるから、基本的には自宅に置いていくか、緊急時にだけ外に持っていった方がいいね。私の場合は君用に前もって準備していたものだけれど」

「じゃあ、あのハンマーみたいなのも? なんか普通のハンマーとはちょっと形が違うけど」

「車の窓を割るためのハンマー……脱出ハンマーとかレスキューハンマーとか言われる類いのものだね。これもいざという時のために用意していたのさ。車に閉じ込められて崖に落ちそうになったり、ブレーキが効かなくなるなんてオカルトはごまんとあるからね。備えあれば憂いなしさ」

「わあ〜。コーちゃんって準備に余念がないね」

 ぼくもコーちゃんと見習わらないと。今回の件にしても、犯罪や災害に前もって備えるという意味でも。

 ただまあ、さすがに脱出ハンマーは準備が良すぎというか、そこまで用意するのはどうなんだろうという気もしなくもないけれど。

 なんて感心(?)していると、コーちゃんはぼくをじっと見つめながら、



「まあ君に何かあったとしても、私がまた必ず助けるけどね」



 その凛々しい表情とセリフに、ぼくは思わずドキッとしてしまった。

 ぼくの彼女、ほんとイケメンすぎる。

「ん? どうしたんだい? 急にポーッとしたような顔をして」

「あ、いや、ほんとコーちゃんはカッコいいなあって思って」

 コーちゃんに見惚れていたのを誤魔化すように視線を横に逸らしながら、ぼくは語を継ぐ。

「それに比べて、ぼくなんて毎回助けられてばかりだし、今日だって、花火大会の約束を破っちゃうし……」

「人には長所短所があるし、私は私のしたい事をしているだけさ」

 それに、と言いながらコーちゃんはヘルメットを外し、そのいつ見ても綺麗な長い栗色の髪を掻き上げてこう続けた。

「花火大会なら、どうにか間に合ったみたいだよ」

「え? それってどういう」

 意味なの? と続けようとしたところで──



 パァン──と目の前の景色がカラフルに爆ぜた。



 それは次から次へと空に上がり、一瞬にして爆ぜて消えてを繰り返しながら真っ暗な夜を鮮やかに彩っていく。

「花火……花火だ」

 約束していた河原じゃないけれど──海を挟んだ遠くからの景色ではあるけれども、それは正真正銘の花火だった。

「でもなんで……時間はとっくに過ぎたはずなのに」

「今日は夜近くまで風が強かったからね。この時間になるまで延長されていたのさ」

「そ、そうだったの? けどコーちゃん、どうやってそれを知ったの?」

「ん? 普通に友達から教えてもらったよ? 今日用事が出来て恋人と一緒に花火を見れそうにないってメッセージ機能で愚痴ったら、友達から『強風で開始時間がズレるみたいだから、まだ間に合うかもよ?』って返事が来てね」

「愚痴っちゃったんだ……」

「しょ、しょうがないじゃないか。君を責めるわけじゃないけれど、せっかく浴衣まで着て楽しみにしていたのに、ライダースーツに着替え直したあげくに花火も見れそうになかったんだから」

 拗ねたように唇を尖らすコーちゃんに、「そ、そっか。そりゃ愚痴りたくもなるよね」と同意を表す。

「まあ、花火自体はこうして君と一緒に見られてよかったけれどね。欲を言えばもっと可愛らしい姿で君と一緒にいたかったところだけど」

「大丈夫。ライダースーツ姿のコーちゃんも十二分にステキだから」

「……君って奴は、ほんと不意打ちでそういう事を言ってくるよね……」

 そう言って顔を逸らすコーちゃんに、ぼくははてなと首を傾げた。

 本当の事を言っただけなんだけど、何かダメだったのかな?

「こほん。しかし君、どうして私を今日の花火大会に誘ったんだい? いや、君からデートに誘ってくれるのは珍しくもないけれど、大事な用があったのなら無理して時間を作らなくてもよかったのに。花火大会なんてこの先も何度かやるだろうし」

「あー、それね。どうしても今日じゃないとダメな理由があったんだよ」

 今日じゃないとダメな理由? と目をパチクリするコーちゃんに対し、ぼくはズボンのポケットをまさぐって、とある物を取り出した。

「小箱……? なんだい、これ?」

「開けてみて」

 ぼくに言われ、コーちゃんは訝しそうに眉根を寄せながらも、ヘルメットをいったんハンドル部にかけ、空いた手で小箱を開けた。



「これ、ネックレス……」



 小箱の中身。

 それは月の形を象ったネックレスだった。

「だって今日、ぼくとコーちゃんが付き合ってからちょうど二年目でしょ。だからそのお祝いにと思って」

「君、覚えてくれていたのかい?」

「当たり前だよ。だってずっと大好きだったコーちゃんと付き合えた記念日だもん。ただ、本当はもっとロマンチックな雰囲気で渡せたらよかったんだけど……ほんと、ぼくのせいでごめん……」

「ううん。十分嬉しいよ」

 そう首を振って、コーちゃんはネックレスを優しく胸に抱き締めた。

「ほんと、すごく嬉しい……」

「そっかあ。よかった〜」

 大切な記念日が嫌な思い出として残らなくて心の底から良かったよ。

 まあそれも、機転を利かしてくれたコーちゃんの友達のおかげでもあるけれど。

 おっと。

 ネックレスや記念日もそうだけど、一番伝えたかった事をまだ言っていなかった。

「ねえ、コーちゃん」

「ん? なに?」



「世界で一番大好きだよ」



 その言葉に。

 コーちゃんは一瞬キョトンとしながらも、すぐに満面の笑みを咲かせてこう応えた。



「私も、君が世界で一番大好きだよ」




 こうして。

 ぼくとコーちゃんが巻き込まれた「きさらぎ駅」事件は無事に幕を閉じた。

 とは言っても、どうせまた今後もオカルトチックなトラブルに巻き込まれるのだろうし、それ以外にも予想だにしないような事態に遭遇してしまうかもしれないけれども。

 でも、なにも心配はない。

 心配なんていらない。



 だってぼくには、最高に可愛くて最高に頼りになる幼馴染の彼女がいるのだから──。



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付き合い始めて二年になる最高に可愛くて最高に頼りになる幼馴染に「きさらぎ駅に来た」と伝えてみたら 戯 一樹 @1603

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