12 燃える街
「そうなんだぁ〈探偵〉さんなんだぁ」
キョウコは倒したゾンビの足からスニーカーを剥ぎ取って自分の素足に履いた。よかった、少しだけ大きいけど脱げるほどじゃない。
「でも〈探偵〉っぽくない。そうだよね?」
カヅヤと名乗った男がなぜか自虐的に言った。
「どうして?」
「みんなそう言うから」
「どうなのかな? 私には分からない」
キョウコは〈探偵〉という職業がどういうものかよく知らなかったので〈探偵〉ぽいとはどういうことかも分からなかった。そもそもキョウコには職業の違いは、その名前の違いでしかなかったし、それでその人が覚えられればラッキーぐらいの認識しかなかった。
「分からないけど、〈探偵〉さんはやっぱり〈探偵〉なんだと思うよ。だってさっき私を助けてくれたじゃない。〈探偵〉は正義の味方だって聞いたよ」
キョウコにとって、このカヅヤという男が〈探偵〉かどうかなんてどうでもよかった。キョウコにはこのカヅヤがあいつのように悪い奴じゃなければよかった。キョウコは人を見る目には自信があった。ちょっと冷たい感じはするけどカヅヤは悪い奴じゃない。あいつじゃない。それにカヅヤはキョウコの周りの人達に比べて年齢も若く、親しみもわく。
「そうだ、ちょっと待ってて」
そう言うと、カヅヤはキョウコを待たせて一人で目の前にあったスポーツバーの中に入っていった。数分後、よれたスーツのサラリーマンゾンビが扉から転げ出てくる。その後を追って出てきたカヅヤは手に持った木の棒でゾンビの頭を殴って止めを刺した。ゾンビの頭蓋骨が割れて脳みそが飛び散る。
「どっちがいい?」
カヅヤはゾンビを倒すとキョウコに言った。カヅヤはもう一方の手にも木の棒を持っていて、それが野球のバットだということは分かる。もう一つの先がクイッと曲がった長い棒は知らない。
「こっちが野球のバットで、こっちはよく知らないけどホッケーとかいう競技に使う道具らしい。どっちも有名選手のサイン入り。でもこうなってしまったら、サインも何もないけどね」
キョウコはその二つをよく見比べる。そしてバットには赤いトリの絵がついていてかわいかったので、そっちを選んだ。さっそくコンビニ店員のゾンビが近づいてきた。もらったバットをその顔に向けて思いっきり振った。振ったが慣れてなくて空振りしてしまった。ゾンビが大きな口を開けてキョウコを噛もうとする。寸前でカヅヤがホッケースティックでゾンビの足を払って転ばせた。トドメは私に刺させてくれるらしい。
ほら、やっぱりいい奴だ。
ゾンビはノロマだったので、武器を手に入れたキョウコ達は難なく進んでいくことが出来た。今度はジャストミートして眼鏡のOLを倒した。
キョウコは心に余裕が出来て思い出す。そうだ〈探偵〉だ。
「そうだ、あなた〈探偵〉さんだよね?」
「そうさ、さっきも言っただろ」
「向こうでアサヒナっていう精神科医の先生が呼んでたわよ」
「ああ、分かってる。でも、まだあっちには行かなくていい」
「そうね、今行かれたら、私が困っちゃう」
前から来たタンクトップのマッチョなゾンビも二人のコンビネーションで簡単に倒した。
「ねぇ、私のことを知ってるの?」
キョウコはホッケースティックの先に刺さったゾンビの歯を抜いているカヅヤを見て言った。
「こんなことになる前にK町の殺人事件のことを調べていたんだ。君の名前は〈客引き〉のヨシノノブユキから聞いた」
「そのことなら、何も私は知らないの、本当よ。組長の血を見た瞬間に向こうで意識をなくしちゃったから。私、血を見るの苦手なんだ」
カヅヤが首を傾げ、キョウコの足のつま先から頭のてっぺんまでを見る。キョウコも自分の姿を見てみる。元々どんな服を着ていたのか分からないぐらい血だらけだった。そこから伸びている手も足も血がびっしょりついている。たぶん顔もそうだ。触るとネチャネチャして気持ち悪い。
「不思議ね、どうしてかしら?」
キョウコが言うとカヅヤが笑った。キョウコはカヅヤも笑うのだと知って少し驚き、そして安心した。キョウコも笑った。
「でも本当よ、何も知らないの。血を見て倒れたのも本当なんだから」
「そのことはもういいんだ、分かってる」
カヅヤは言って笑うのを止めた。
「それより、どうして僕が〈先生〉のところへ行くと分かったんだい?」
カヅヤは右から来たメタルロッカーのゾンビ、キョウコは左からのパンクロッカーを打ち倒した。
「こんな状況になったら当たり前じゃない、〈先生〉しか解決できないわ」
「この状況自体が〈先生〉が作ったものだと考えなかったのかい?」
「〈先生〉は何でも知ってるけど、何も出来ない。あなたも会えば分かるわよ」
前から和彫り般若のゾンビ、後ろからのドラゴンタトゥーのゾンビ。
「〈先生〉は決して人を傷つけない人」
カヅヤはスティックの先端でドラゴンタトゥーのゾンビの首を叩き折り、逆の持ち手で般若のゾンビの心臓を貫いた。ゾンビを一人で倒したカヅヤの顔は奇妙に歪んでいた。
「それで、今からどこへ行くんだ?」
「病院に女の子を助けに行くの。その子は一人でそこから出られないから、誰かが助けてあげないと」
「女の子?」
言ってカヅヤが眉を寄せた。
「あなたもその女の子を知ってるはずよ、知らないなら覚えていないだけ。私達は〈彼女〉から生まれたんだから」
「生まれた?」
カヅヤはとぼけているわけではないようだ。本当に知らないの?
「〈先生〉から教えてもらってないの?」
交差点を曲がってゾンビが現れた。一人、二人、三人……ううん十人、二十人? 向こうの路地やあっちの角からもこっちからも現れた。倒れたバスの影からも集団で現れた。これじゃ倒している間に噛まれちゃう。
話はここまで。カヅヤも〈先生〉に会えば全て分かるだろう。その前に全力で逃げるしかないようだ。
「ねぇ、行きましょうよ」
キョウコはカヅヤの手を取った。しかしカヅヤはその場所から動こうとしない。
「もし僕たちが間に合わなくて、その女の子が死んだらどうなるのかな?」
キョウコはカヅヤの顔を見る。カヅヤは前を向いているが、その視線はどこにも合っていない。カヅヤはどうしてしまったのだろう。まさか急に怖じ気づいたのだろうか?
「どうなるって、そんなこと〈先生〉にしか分からないけどでも多分──私達は──そしてこの〈街〉も」
カヅヤは手を繋いだままキョウコに振り返った。でもやっぱりその視線はどこを見ているのか分からない。
「なるほど、そういうわけか」
カヅヤは大袈裟に肯く。
「ありがとう、とても大事なことを聞けたよ」
「ありがとうなんかいいから早く逃げようよ! 奴らもうあんなところまで来てるわ!」
キョウコはカヅヤの手を強く引っ張った。強く引っ張ってるのになぜか手応えが全くなかった。
「さぁ、早く!」
さらに強くキョウコは引っ張る。カヅヤがキョウコに微笑む。
「それじゃ、君とはここでさよならだ。少しの間だけど楽しかったよ」
「さよならって、どういう──」
言ったカヅヤが消えた。目の前から突然消えた。でもそれはすぐに勘違いだと分かった。ちゃんとカヅヤは隣にいる。手だってしっかり握っている。キョウコはホッと息をつく。そしてカヅヤに対して怒る。
「どういうことよ、さよならって! 一緒に行くって約束したでしょ! それとも私をこんな危ないところに置いていくつもり? あなたバカなの? 〈先生〉に会えないわよ──そうよ私がいなけりゃ──え?」
キョウコが手を繋いでいるのはカヅヤではなかった。よく見ると全く知らない男と手を繋いでいた。
「何だ、ここは? また戻ったのか? 生き返ったのか? でも地獄だぞ、やっぱり。ここは地獄だあ!」
キョウコと手を繋いだ中年の男が叫ぶように言う。
「──あなたは?」
髪の薄い頭、ギョロリとした目玉、四角いアゴ、真っ赤なアロハシャツ、デップリしたお腹、妙にテカテカしたズボン、どこをどう見たってカズヤじゃない。
「君こそ誰なんだ?」
怒ったように言われ、キョウコは手を素早く振りほどく。
「失礼だな君は。まぁいい、先に逃げさせてもらうよ」
男は周りを確かめると、その短い足で走り始めた。男は意外にも反射神経がよく、襲いかかるゾンビを軽快なステップで避けていった。
「テメエらみたいな鈍い奴らにつかまってたまるかよ、ハッ!」
男が声をあげた瞬間、キャバクラの扉から飛び出してきたキャバクラ嬢ゾンビに抱きつかれ倒された。倒されても男は力の限り抵抗していたが、次第に群がるゾンビに体中の肉を噛み千切られ、続いていた悲鳴も止んだ。
キョウコは燃え上がる炎に反射する赤い夜空を見上げる。
どうして行っちゃったのよ、あなた悪い人じゃないんでしょ?
ゾンビの集団がキョウコに迫ってくる。その中にはさっきの中年男も血だらけで混じっている。大きな口を開け歯を剥き出しにしている。
キョウコはもう一度逃げ道を探してみる。走り抜けようとしていた花屋の横の道からもゾンビがあふれている。
もう、こんなのどうしたらいいのよぉ!
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