11 ある小説の拷問とハンサムなヤクザ

 一時五〇分


 タイムリミットが近づいてきていた。あと三時間もないだろう。進展のなさに焦れたのか辰美若頭が直々にやってきた。辰美は手下に任せていた拷問を自ら代わると、9号室に俺を呼び出した。俺はてっきり意識をなくした対立組織のスパイの蘇生でも手伝わされるのかと思ったが違った。俺はただそこに座らされただけだった。ただし動けないように手下の構成員にがっちりと両肩を押さえつけられて。

 俺の目の前には裸の男が吊されていた。男の顔は殴られすぎて元の表情を留めず、体も痣だらけだった。痛めつけられすぎたのか、意識はあるが弱い呼吸しかしていない。辰美はその男の横で透明のゴーグルを顔に付け、体には食肉工場の従業員のような大きな白いビニール製のエプロンを巻き付けていた。手には奇妙な半月型のナイフを持って立っていた。

 辰美は俺に一度肯くと、吊された男には何も聞かずいきなりその男の鼻をナイフで削ぎ落とした。鮮血と悲鳴が飛び散る。そこで初めて辰美は男に組長のことを聞く。声を荒げることもなく、何事もなかったかのようにごく自然に聞く。男は涙を流しながら本当に知らないと首を振る。すると次は連続して二つの耳を落とした。辰美はまた同じ事を聞き、男は痛みにただ絶叫するだけ。耳の次は唇、唇の次は左目、左目の次は乳首、乳首の次はペニス、ペニスの次は「どこがいい?」と俺に問いかけた。俺が吐く前に、俺を押さえつける手下がゲロをまき散らした。

「好みの作家じゃないんだが、ここからは先はその本で知ったことを実践してみようと思う。遊牧民スタイルだそうだ。さて、うまく出来るかな?」

 辰美は楽しげに言うと、その半月型のナイフを吊された男の額の上に当て、そこからゆっくりと生皮を剥いでいった。男の顔がみるみるうちに潰れたトマトのようになる。俺もそこでついに吐いてしまった。

 辰美は時をみて男に組長の事を聞いていたが、それは既に情報を聞き出すためというより、男をいたぶり殺すためのエクスキューズにしか聞こえなかった。俺を9号室に連れてきたのも、プレッシャーをかけることが半分、あとは俺のこんな姿を見るためだろう。

 辰美はこれまでにない笑みを見せている。勃起までしてやがる。これがバタイユなんかを愛読するインテリヤクザのやり方なのか。組長がドMでこいつがドS、実にバランスがとれている。クソがっ!



 俺は17号室に戻ってくると、倒れるようにソファに座りこんだ。こんな小汚いカラオケ部屋にまさか我が家のような安心を求める時が来るとは思わなかった。それだけ9号室は地獄だった。思い出しただけで苦いものがまた喉にこみ上げてくる。

 あれからどれだけ時間が経ったのだろう。扉がノックされる。ついに俺の番が来たと思い、今度は俺の皮が剥がれると思い、全身を緊張させた。恐る恐る扉の上部に開いた小窓を見た。あの華奢なハンサムヤクザの顔が見えた。彼は本家の若手構成員の一人で、名前は確か他のヤクザからシンジと呼ばれていた。俺が肯くと、礼儀正しく一度頭を下げてから部屋に入ってきた。

「どうしたんだい?」

「クスリを持ってきました」

「クスリって?」

 俺は腕時計を見た。まだ時間はあるはずだ。約束が違う。俺は睨むようにシンジを見るが、シンジは俺ではなくカラオケの機械に手錠で繋がれている女を見ていた。女は熱にうかされ眠っている状態で──そうだった、クスリだ。俺は彼女の薬を頼んでいたんだった。

「それだけかい?」

 俺は念のために聞いた。

「それだけですが、何か?」

 俺はシンジが怪訝な表情をするのも気にせず声に出して笑った。

「近所のドラッグストアじゃ、こんなものしか手に入れられなかったらしいんですが」

 袋の中には適当に店の棚から万引きしてきたとしか思えない便秘薬やのど飴や水虫薬やコンドームなんかが入っていた。俺はその中から奇跡的に鎮痛剤を発掘した。ピンクのパッケージにはでかでかと生理痛にと書かれているが、成分的にはこれで大丈夫、少しはましになるだろう。

 シンジは俺が女に薬を飲ませるところを見届けるとまた頭を下げ出て行こうとしたので引き留めた。

「ちょっと、時間いいかい?」

 シンジは首を傾げる。

「なんでしょう?」

「この件で少し聞きたいことがあるんだ。君は組長のボディガードだったんだろ?」

「ボディガードなんて大袈裟なものではないです。ただ身の回りのお世話をさせてもらっていただけですから」

 俺も彼が身を張って組長を守る姿は想像しにくかった。ただ彼のヤクザのプライドを考えそう言っただけだった。顔つきが繊細で整っているハンサムな彼は体つきも合わせたように華奢で、どちらかというと所構わず押し出しが必要なヤクザより、歌って踊れるみんなのアイドルの方が似合っていた。そんな彼だから俺がここに来てから何度か仲間のヤクザからバカにされ小突かれている場面を見た。ただヤクザは見た目だけでするものではないことも分かっている。あの辰美もまた別の街で会えば、外資系金融会社あたりに勤めているエリートサラリーマンにしか見えないだろう。死んだ組長はシンジの腕っ節を期待して近くに置いたのではたぶんない。穿って考えればあっちのほうの趣味が広かっただけかもしれない。

「それでいいよ、話を聞かせてくれるかな?」

「でも、話なら若頭達に全てもう話しましたが」

「うん、それは知ってる。でもこれから〈探偵〉なんかと話すときに君の話が役に立つと思うんだ。面倒だとは思うけど、もう一度、話してくれないかな」

 シンジは困った様子を見せたが、数秒考え同意した。

「さっき休憩を取っていいと言われましたから、少しなら」

 俺は礼を言って座らせた。

「それで、先生が俺に聞きたいこととは?」

「君はこの女性を知っているよね?」

 俺は繋がれている彼女を見る。

「キョウコさんですよね」

「まぁ、君達の組長さんと会っていた時はそうだ」

「何度か組長の所へ彼女を連れて行ったのでもちろん知っています」

「組長さんは彼女のことをどう?」

「キョウコさんは組長のお気に入りで、おもしろい娘だとよく言っておられました」

「君から見た彼女はどうだった?」

「こんな自分のことも気にかけてくれる優しいかたでした──」

 シンジはそこで口を閉じ、次に言葉を繋ぐかどうか考えているようだった。

「大丈夫、ここでの君の話はここだけのものだ。それに君がこれから話そうとすることのために私が呼ばれている。分かるだろ?」

 彼はちらりと天井のカメラに目を向けたが、それが音まで拾っていないことは知っているはずだ。彼は一度肯いたが、それでもしばらくはまだ迷っていた。

「──私にはその、それがどういうことか全く分からないんですが、キョウコさんはいつもはとても優しくて女の子らしいのに、一度私の前で突然──本当に突然なんです、突然別人になったと思うぐらい、言葉づかいも性格も変わってしまったことがあって、私のことも分からなくなってしまって」

「そのことは上に言ったのかい?」

「その時はまだキョウコさんが私にふざけているだけだと思っていたんで──」

 シンジは悔しそうに顔を歪めた。

「組長の相手をするんなら彼女のことはあらかじめ調べていたんだろ? 今は向こうの組と休戦中だといってもまたいつ仕掛けてくるか分からない」

「ええ、それはもちろんヤナギダのアニキが調べました。その時は特に問題になるようなことはなかったんです。店に聞いても、彼女の仕事仲間に聞いても悪い話は一つも聞きませんでした。彼女のそういう性質について誰も気づいていませんでした」

「でも組長があんなことになってしまったことで、彼女が最初に疑われた。彼女の持つ特殊な性質のことも明らかになった。ますます彼女は疑われていく。その結果がどうなるかも君は嫌というほどよく知っている。彼女を信じたい気持ちの君は組に黙って彼女のことを調べた──違うかい?」

 それはちょっとしたブラフのようなものだった。根拠なんて何もない。ただ彼のキョウコを見る目からそんな風に感じたからだ。

「──ええ、調べました」

 シンジは下を向いてしばらく迷っていたがそれでも肯いた。思っていたより素直に認めた。

「こういう調査に慣れている知り合いがいて調べてもらいました。彼女がこの街にやってくる以前にまで遡って調べてもらいました」

 それは俺も知りたかったことだ。それが分かればもう少しうまく話が聞き出せるかもしれない。

 彼は何かを決断するように一呼吸置くと、まるで自分のことを語るように彼女のことを話し始めた。

「こういう商売をしている女にはよくあることです。彼女は幼い頃かなり問題がある家庭で育ちました。父親はギャンブル狂いで女にもだらしなくて、外に作った女を家に連れてくるようなろくでもない男でした。母親はそのことが原因で新興宗教にはまってベランダで大声で念仏をとなえたり、道行く人を悪魔呼ばわりして石を投げつけるような奇行を繰り返してました。そしてそれが父親の意向なのか、それとも母親なのか分かりませんが、そういう家庭環境の中で彼女は学校に通わせてもらえませんでした。届けられた年齢によるともうとっくに通わなくてはならないのに一度も通学することはありませんでした。心配した地区の教師が何度か訪問しますが、どういうわけかその時だけは父親と母親は結託し口裏を合わせ、彼女はひどい病気で他県の病院に入院している、と門前払いしたそうです。しかし近所の人が言うには毎晩のようにその家から両親の怒鳴り声と子供の叫び声が聞こえてきた。それも普通の叫び声ではない、生死に関わるような苦痛に満ちた叫び声だった」

 シンジはそこで言葉を止めて俺を見た。そんな確認はしなくても俺はこの話がハッピーエンドで終わらないことぐらい分かっている。

「ここからはオレが直接聞いてきた話です」

 しかしなぜかその夜は通報されたような子供の悲鳴は聞こえなかったらしい。むしろとても静かな夜だったと警察に同行した児童相談所の職員は語ったそうだ。

 警官は状況を確認するため玄関のインターホンを押した。何度押しても反応がないので、一声かけてから扉に手をかけた。外から見ると部屋の明かりがついていて、テレビの音も聞こえていたからだ。警官が力を入れると扉はあっさりと開いた。鍵はかかっていなかった。警官は再び声をかけた。しかし反応はない。警官はこれ以上は許可が必要だと言いながらも家の中に入っていった。何も言われないのでその児童相談所の職員も後に続いた。この家が何かおかしいということは互いに感じとっていた。

 リビングの点けっぱなしのテレビではバラエティ番組が流れていた。子供から大人まで人気のある番組で観客のたてる大袈裟な笑い声が耳についた。その前のテーブルには瓶ビールとその飲みさしが入ったグラスと散らかったつまみと吸い殻が溜まった灰皿があったがそれだけで誰もいなかった。警官はそんなリビングを軽く見回すと隣のキッチンに入っていった。入ってすぐに、警官の悲鳴のような叫びがした。

 児童相談所の職員はそこで何が起きているのか深く考えずただ反射的に警官の元に駆けつけた。交番勤務の制服警官はそこにただ立ちつくし放心していた。放心して床の一点を見つめていた。警官の視線の先には血だらけで倒れる中年の女がいた。こんな状況に初めて遭遇する児童相談所の職員にも女が明らかに死んでいるのが分かった、殺されているのが分かった。児童相談所の職員は同じように叫びたくなる気持ちを抑え、警官にどうにか正気を取り戻させ署に連絡させると、そこに住んでいるはずの子供を探すことにした。一刻も早く子供を助けなくてはならないと思い行動することにした。

 まずは一階を捜索した。捜索してすぐに風呂場に血だらけで倒れている全裸の死体を見つけた。キッチンの女の死体より酷い状態に思わずその場を逃げたくなったが、児童相談所の職員は使命として確認しなければならなかった。決心して近づいてみるとそれは大人の男の死体だということが分かった。子供ではなかった。

 一階は全て調べたので二階に上がった。一通り調べてみたが書類に記録されている子供は見つからず、一階のような異常もないように思えたが、何気なく開いた押し入れの奥に隠し扉のようなものを偶然見つけた。そしてその扉の奥にさらにもう一つとても小さな扉とそれに続く狭い部屋があった。そこは窓はなく暗い電球が一つ灯るだけの外の世界とは完全に隔離された部屋だった。板が剥き出しの床の上にはカビの生えたプラスティックの容器やしわくちゃの菓子の空き袋、腐った果物の皮などが散乱していた。そしてそんなゴミ溜めの真ん中に小さな女の子が座っていた。すぐに児童相談所の職員は呼びかけてみた。しかしその女の子も一階で見た死体のように血塗れで、声をかけても叫ぶことも泣くことも話すこともしなかったのでその子も殺されているのだと思った。ところがさらに近づいてみると女の子はしっかりと目を開き、自分の力でぬいぐるみを強く抱いていた。児童相談所の職員はすぐに出血の場所を探したが、そのような傷はなかった。少女はただ酷く大量の血に塗れていただけだった。

 少女は戸籍の記録から十一才、つまり学校に通っているなら小学校五年生のはずだったが、その児童相談所の職員によると彼女の体があまりにも小さくまたひどく痩せているので、小学校の低学年か幼稚園児にしか見えなかったそうだ。その後、病院で検査をすると出血するような傷はやはりなかったが、代わりに三カ所の骨折が見つかり、また骨折から治癒したと思われる場所も数カ所あった。そして打撲によって出来た内出血の痕はその何倍もあった。

「殺されて見つかった中年男性と中年女性は彼女の両親だったんだね?」

「そうです」

 二人は全身を何十ヶ所も刺され、そのうえ父親は自身のペニスを切り取られ裂かれた口に突っ込まれていた。

「警察は誰が犯人だと思っていたんだい?」

 俺は少し意地悪な質問をしてみた。

「警察は生き残った女の子から話を聞こうとしましたが、女の子は事件のショックから記憶を失っていて不可能でした。また両親を襲った凶器ですが、台所の果物ナイフが使われていました。使用後にキッチンで念入りに洗われたらしく指紋等の検出は不可能だったようです」

「動機を持った人物はいたのかい?」

「父親が何件かギャンブルの借金を踏み倒していていることと、母親が近所の主婦とゴミの分別について激しい喧嘩をしていたようですが、いずれも該当者にはアリバイがありました」

「彼女はそれからどうなった?」

「記憶が戻らないだけでなく、その他にもいくつか社会生活を送る上で問題があったので精神病院に入院しました」

「彼女はいつまでそこに?」

「去年までです。退院してからの彼女の行方は分かっていません。そして彼女がこの街にやってきたのは──」

 彼の中で考えないようにしていた一つの答が浮き上がろうとしていた。

「やってきたのはいつなんだい?」

「──三ヶ月前です」

 三ヶ月前といえば、ちょうど連続殺人が始まった頃だ。

「でも──でもキョウコさんがやったんではないです! やったのは向こうの組の殺し屋かどこかのサイコ野郎に決まってます!」

 シンジは声を振り絞るように言った。俺は黒の開襟シャツの襟元から見える彼の胸元に古い傷を見つけた。引き攣れたような火傷の痕だった。彼も同じような境遇をたどって彼女に共感しているのかもしれない。そしてこのキョウコに好感以上の感情を抱いているのかもしれない。

「本当にやさしかったんです──」

 シンジがそう言って肩を落とした時、繋がれている彼女の手錠がジャラリと鳴った。俺とシンジが同時に見る。


「おい、ここはどこだ? どこなんだ! 天国か! 地獄か! 俺は死んだのか? そうなのか? そうなんだな!」


 彼女が男のような言葉づかいで叫んだ。



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