第27話 『読書日記・観音様の筆』 2024年6月24日(月)
その本からは、人柄のよさが滲みでていた。
筆跡は、人足もまばらな夜明け前に起き出して、寝床をキチとたたみ、押入れへ仕舞う。
洗面所の鏡の前に立つと、まずは、寝崩れた長い黒髪をつばき櫛で丁寧に撫でつける。
袖を巻くって、水を加減をしながら詮を開き、石鹸を手のひらで捏ねるように泡立てる。
ポン、ポン、ポンと、泡玉を、額に、頬に、やさしく顔を洗う。
水流を受け止めるように両掌で掬い、泡と一緒に、その日の心の扉を開ける。
寝室へ戻り、落ち着いた紬の西陣に着替え、姿見鏡に自分を写し、シャンと襟を正して書斎の庵に向かう。
庵は、まるで古寺の中庭にあるようだ。
松の木が入道雲のように空に向かって伸びていた。苔生した古池に、錦鯉が一匹ゆらゆらと長い尾びれをくゆらせている。
歩幅に合せた飛び石を、小町下駄を鳴らさずに、一歩、また、一歩と庵へ入って行く。
「あら」
庵の小窓から見える今朝咲いたシャクヤクが見える。
うっすらと微笑を浮かべて、机の前に膝を折る。
机には、満寿屋の原稿用紙が一枚。頭には、蓮の花にちょこんと乗った蛙の文鎮を据える。背筋を伸ばし居住まいを整え、万年筆を取る。
筆は、落ち着いている。一文字、一文字、心を宿した言葉を落として行く――。
おっと、ここで時間切れです。すいません。
この先生の文章は、観音様が書いたに違いないと思いました。
「ん? どなたですかって?」
無粋な事を言うなよ。本屋へ行けば並んでる。
一行読めばわかるさ、春風のように心地よく、そして、綿毛のように包まれる優しさを感じたら、その先生です。
本との出会いは、『縁』。
あなたも、きっと、出会える。
では、私は、明日があるのでこの辺で。
おやすみなさい。
〈了〉
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