第10話『四流から這い上がる男の挑戦:三冠王への道』

 どうも、こんばんは星川です。


「何もしない。何もできない」四流の男、星川は少しでも四流から三流、三流から二流、二流から一流、一流から超一流、超一流なから超一流ブルー、超一流ブルーから身勝手の超一流……(最後の方、「ドラゴンボール超」入ってたな)と、高みを目指すため、閏年の2024年2月29日から超一流の元・メジャーリーガーイチロー選手の本(奥村幸治著『一流の習慣術 イチローとマー君が実践する「自分力」の育て方』)から、考え方や習慣化の技術を学んだ。


 同年3月2日には、同じくメジャーリーガーのピッチャーとバッターで超一流のオオタニさんの結婚報道から、やはり考え方(目的シート:マンダラチャート)などを取り上げて、如何に自己鍛錬、目的を明確にして実践しているか、比べて如何に星川はあやふやな目的意識で闇雲に素振りをする状態で無駄の多い練習しているかが分かって来た。


 イチローとオオタニさんに共通して言えるのは、如何に目的を明確化して、鋼のメンタル作り、密度の濃い技術の向上、土台となる体つくりをどれほど重要視しているか分かった。



 豆腐メンタルで、練習は嫌い、食事はインスタントと真逆を行く星川は、出来ることから始めてみようと、幸いにして以前紹介した料理人の人生の先輩からのアドバイス「旬の野菜を食べよう」もあることだし、「土台となる体つくり」まずは、食事の改善を計画した。




 そこで、家から歩いて10分の図書館へ行ってこれまた超一流のプロ野球選手 落合博満の『戦士の食卓』を手に取った。


 と、その前に、現役を離れて長くなり、監督を辞してからも長くなる落合博満の実績を簡単に紹介しよう。


 落合博満はプロになるには遅い社会人野球から



 これまた四流の星川には、目から鱗の内容だった。掻い摘んで言うと1979年落合も26歳になる年でロッテ・オリオンズ(現:ロッテ マリーンズ)で現役を開始。社会人野球ではチームの4番を任され実力を発揮していたが、プロ1、2年は二軍でそこそこ活躍する一軍半の選手だった。3年目にようやく一軍でそこそこ活躍しレギュラーを掴み、4年目で首位打者。5年目で三冠王、6年目で首位打者、7年目でタイトルなし、ここで、33歳で選手のピークは過ぎたかに思われたが、8年目また三冠王に返り咲く、つづく9年目二年連続の三冠王を獲得。日本のプロ野球の歴史でも3度の三冠王は落合博満のみだ。

(あの世界の王貞治でも2回)


 そして、1989年プロ10年目、自分の意志でチームを移籍することは、引退と背中合わせのリスクのある決断をし、日本人初の1億円プレーヤーとして中日ドラゴンズへ入団する。その時、落合は36歳だた。


 皆さん、イチロー選手の時に書きましたが、並みのプロ野球選手は体力の衰えと共に成績が下がる。


 落合選手は、ここから中日ドラゴンズでの4年間で三冠王こそ獲れなかったがほぼ3割30本100打点、打者とすれば超一流の成績をキープする。


 さらに、1994年プロ14年目、40歳で憧れのレジェンド長嶋茂雄が監督を務める読売ジャイアンツに入団する。


 落合は、ジャイアンツでの3年間も、去年までのジャイアンツの若大将との愛称をもつ生え抜きの4番原辰徳を押しのけて4番に座った。43歳での3割越えの打率は史上初の快挙だ。


 同年、常勝軍団西武ライオンズから4番清原和博がFA宣言で入団し、日本ハムファイターズに移籍するまで4番を譲らなかった。


 1997年からの日本ハムファイターズでの成績は怪我の影響もあり、これまでの成績と比べれば振るわず引退となる。




 落合の実績はこれだけでは終わらない。


 2003年、古巣中日ドラゴンズの監督に就任。


「この1年間は補強を凍結し、個々の選手の能力を10%底上げして日本一を獲る」と宣言し、就任初年度2004年にリーグ優勝。1年置いて、2006年に2度目のリーグ優勝。2007年に連覇。そして、宣言通りに日本一を成し遂げた。2010年に三度目のリーグ優勝をして、翌年、2011年に契約満了で退任した。


 その後も、中日ドラゴンズのGM(ゼネラルマネージャー)職などもつとめた。


 とにかく、すごい人なの。



 そんな、落合博満も、最初の2年間は並みの選手だったと書いたが、どこから、生まれ変わったかと言えば、奥さんの信子夫人のサポートが半端じゃなかった。


 まず、好き嫌いが多くて、、現在のプロアスリートからは考えられないが、カップラーメンなどで食事を済ませてたようだ。


 それを知った信子夫人、落合博満改造計画実施、当時は、現在ほど栄養学は発達していなかったが、”バランスの良い食事”をテーマに食の改革を行った。


 例えば、”旬の食べ物”野菜や肉、魚を信子さんが 日夜勉強して、バランスの良い食事を食べさせたらしい。



 それでも、落合博満さん、好き嫌いが激しくて、嫌いなものは箸でチョイっとつまんで、信子夫人のさらに投げ入れてたらしい。


 こういうことされたら、普通、怒りそうじゃん。信子夫人スゴイの「よーし、私はこの人を一流にしてみせる!」と、食事の大事さを教えるため、買い物に突き合わせた。

(台詞は、星川の脚色)



 みなさん、スーパーへどのくらい買い物へ行かれますか? 私は、だいたい毎日旬の野菜を探して必ず行きます。


 趣味のテニスの時、60歳を超えても疲れ知らずな人生の先輩に「私体力無いんです」と弱音を言うと、帰宅後LINEに「旬の野菜美味しいですよ」と豚肉とキャベツ炒め(ブロッコリーと人参も入っていた)を教えてくれた。


 星川さん、46歳のおっさんだけど、きれいなジャイアンくらいキラキラとした美しい目をしている擦れてないおっさんだから、素直に翌日の夕食から取り入れた。


 すると、どうだ!


「あたし、変わってない?」


 皆さん、お気づきでしょうか、体力がなくて週1で『歴史オタクと嶋左近の心身転生シンギュラリティ』を書くのがやっとだったのに、コレ! 見てよ。昨日は休んだけれど、今日も書いてるでしょう。


 そう、明らかに体力が上り結果が出て来た。

(技術はまあ、置いといて)



 落合博満選手も信子夫人の食事の改革によって抜群の体力をつけさせました。




 さらに、信子夫人は、もう一つ、落合選手改革を行っていた。なんでも、落合選手は、無欲な人なんだってさ。欲がないから才能はあってもあまり向上心が足りなかった。


 そこで、信子夫人落合さんに発破をかける。


「あんた、私がいくらでもサポートするからタイトル取りなさい。どうせなら三冠王目指しなさい!」

(台詞は、星川の脚色)


 すると、落合さん、


「うん、わかった」


 聞いてんのか、聞いてないのか分かんない手ごたえで、三冠王になっちゃった。




 選手としての才能と見識は、落合博満選手も、イチローやオオタニさん並みに元々あったのだろう。


 しかし、彼らに共通するのは、プロとして活躍するための身体を食事から作り、目的を明確にして一球一球に課題を持って練習し、鋼のメンタルをつくるための自己管理を大切さを知つているのだ。


 星川は、その3要素すべてに欠けている。だから四流なのだ。このままでは、いつまでたっても三流になれない。いや、四流からも落ちぶれるかもしれない。



〈了〉


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それでは、また、近々にお会いしましょう。





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