第十四話 ドラゴンナイトたち

 「ドラゴンナイト・ハーラン……?」


 聞き間違ったかと思い、シャオは確認を込めて男の名乗りを繰り返した。男は―――ハーランは、白い歯を見せて頷き、シャオの肩を叩いた。親し気に。


「よろしくね、兄弟」


「はあ」


 シャオはまじまじと改めて目の前の男を観察する。 


 そこそこ身長はあるが、ひょろりと細見で筋骨隆々といった感じでは全くない。彼より体格がよくて強そうなのなら、試験会場にごまんと居ただろう。


 なにより全く騎士ナイトらしくない。ナイトは主に女子が作業の際に腰に巻く布を、しかも妙な絵柄のものをわざわざ身に付けたりしないはずだ。


 騙されてるのだろうか?


 ドラゴンナイト・ハーランといえば、疾風はやてのハーランとも呼ばれ、その剣先から繰り出される烈風の如き一撃は、一振りで何十という敵を薙ぎ倒すという。


 やはり騙されているに違いない。彼のどこにそれだけの腕力があるというのか。


 しかしその結論は、次の瞬間にはあっさりと覆されることになる。


「あー不味い。完全に遅刻だ」


 再び懐中時計を覗き込みぼやいていた彼が、突然消えたのだ。


 目を丸くして彼が立っていた場所を呆然と見つめるシャオに、どこからか声が降って来る。


「こっちこっち」


 ハーランの声だ。しかし、右にも左にも、前にも後ろにもいない。


「ここだよ、ここ」


 顔を上げた先で、やっと声の主を捕えることができた。


 いつの間によじ登ったのか、ハーランは塀の上からシャオを見下ろしている。


「近道するよ。ちょっと大変かもしれないけど付いて来て」


「え?」


 次の瞬間、またハーランの姿が消えた。


 反対側に降り立ったのだろう。付いて来い、とは言われたが、本当に付いて行くべきかどうか迷っていたら、塀の上に再びハーランの姿が現れた。まるで瞬間移動みたいだ。


「早く。今は一分一秒を争うんだ。付いて来れそうにないなら、おんぶするよ?」


「いや…大丈夫です」


 冗談か本気かわからなかったが、彼の身体能力が見た目通りではないと知ったシャオは、言う通りにしてみることにした。

 

 溝に手を掛けよじ登り、下りる。


 ハーランの姿はすでにもう次の塀の上だ。シャオは彼が手も足も使わずに一足飛びで塀を乗り越えるのを見て、彼がただの悪趣味な優男だという考えを完全に改めた。


「見ての通り、王城内の外側はこいつでの仕切られてて迷路みたいになってるんだ。内に入ればそんなことないんだけど。まあ、だから素直に行くとかなり時間がかかる。こうやって直進した方がずっと早い」


 ハーランにとっては直進かもしれないが、シャオにとっては障害物競争と同じようなものだ。塀の上は道とは言わない。


「人に見られたら面倒なことになるんじゃなかったんですか?」


 息を切らし切らし零すと、


「さらなる面倒を避けるためには、ケースバイケースだよ」


 と、ハーランは肩を竦めた。


「本当はもうちょっとゆっくりと、景観のいいとことか案内したかったんだけどねー。危険な場所ばっかじゃないんだよ、王城内は。ああ、でもパイハール殿が君を連れ出した時に案内してもらったのかな?」


「あの時は馬車だったんで、なんかあっという間でした」


「そっか。ま、お偉いさんたちはわざわざ遠回りなんてしないか。橋を下ろせば迷路を通らずに一直線で行けるルートもあるんだよ。僕たちは使わないけどね」


 シャオの手を掴み、引き上げながらハーランは説明する。一体どれだけの塀を乗り越えてきたのか。シャオは汗だくだったが、ハーランには一滴の湿り気も見受けられなかった。


 それからまた幾つかの塀を上がり下りし、シャオの息が完全に上がり切る寸前でハーランはようやく平面を歩き始めた。


 眼前には尖塔に囲われた王城の威容が迫って来ている。

 シャオは玉間での出来事を思い出し、気持ちが重く塞いでくるのを感じていた。


「王との面会は楽しくなかったのかな?」


 シャオの心中を察したのか、ハーランが横目で聞いてくる。


「おっと、愚問だったね。一国の主と素面で対面なんて楽しいはずないなあ。友達でもおこずかいをくれる親戚の叔父さんでもないんだし。まして君はまだ隔離室に居るべき状態だったんだから」


「はあ。…王様てあーいうものなのかな」


 ぽろりと零した後で、シャオははっとして口を噤んだ。


 例え実感が湧かなくても、ここは王城内で城は目と鼻の先で、番兵があちこちに居て、隣にいるのが龍神国最高位のナイトであるのなら、おいそれと下手なことを口にしない方がいいに決まっている。


「あーいうのて、どういう?」

 

 ハーランは笑っている。


 格好がそれらしくないからか、気を付けないとこの人の良さげな笑みにぽろぽろと本音を漏らしてしまいそうだ。


「いきなりだったから。何がなんだかわかんなくって」


「ふーん?これから行くのは玉間ではないから、そこは安心していいよ」


 言葉通りハーランは城ではなく、その横にこんもりと茂る森の中へと進んで行った。

 ここに至って、シャオは自分がどこへ連れて行かれようとしているのかが気になってきた。


 先導するのはドラゴンナイト・ハーランだ。


 その細見の体に見合わない身体能力の示す通りに彼が本当にドラゴンナイトであるのなら、向かう先は……。


「着いたよ」


ハーランの足は、森の中を少し行った先に建つ丸太小屋の前で止まった。山仕事をする樵の住処のようなそれは、一国の王の居城内でお目にかかれる代物では、どう見てもなかった。


「我らが長兄ご自慢のスイートルームだよ。くれぐれも田舎臭いだとかしょぼいとか口走らないように」


 シャオの耳に囁くと、ハーランは勢いよくささくれ立った扉を開けた。


「お待たせー。我らが新しい弟、シャオくんを連れて来たよ!」




「遅い」




 室内から返ってきたのは、山津波の如き重々しい低音だった。

 涼し気だったハーランの横顔に、この時初めて一筋の水滴が流れ落ちるのをシャオは見た。


「遅い?え?遅い?時間ぴったりでしょ?ジャストタイムでしょ?」


「十三秒遅れている。実際の作戦指揮では一分一秒コンマ以下の遅れが命取りになるんだ。気を付けろ」


「そんな作戦指揮執ったことないでしょ?断言してもいいけど、この先もないでしょ?十三秒の遅れくらいでどーこーなるような僕ら兄弟じゃあないと思うけど?」


 一拍の沈黙。それから、空気がまた重く揺れた。


「まあいい。新たな兄弟の手前だ。今日は見逃そう。入れ」


 ハーランは首を回らせシャオにウインクして見せたが、その顔にはびっしりと汗が滲んでいた。


 ハーランの体が扉の中へと入って行き、視界が開ける。

 飛び込んできたのは、重厚な低音に見合った男の姿だった。


 太く真っ直ぐな眉に頑丈そうな引き締まった顎。緑がかった黒髪は肩下まで伸ばされ、がっしりとした体格をしている。

 騎士然とした雄々しい美丈夫だが、厚い胸板を被う質素な黄土色のシャツだけはこの丸太小屋によくそぐわっていて、シャオを困惑させた。


 深緑色の瞳が、真っ直ぐシャオに向けられる。



「歓迎しよう。宿命の兄弟よ」



 室内に響いた低く重い音がシャオを吞み込んだ。

 それは夢の中の龍を彷彿とさせるものだった。


「シャオくん?」


 ハーランの気遣わしげな声が続く。

 舌打ちが、それに重なった。


「―――ボンクラが」


 聞き覚えのある声だった。四角いテーブルを挟んで、雄々しい美丈夫の斜め左側に見知った姿があった。


「ベルメザ…!」


 いっきに夢の中の恐怖が吹き飛ばされていく。


「ようやく準備ができたと思ったらこの体たらくか。お前はいつまで眠りこければ気が済むんだ?」


 初見と変わらない冷ややかさでシャオはベルメザに出迎えられた。長い銀髪に隠された白面も変わらない。だが汚れ一つない上衣の襟元に、鋭い刃で切られたような裂け目があるのにシャオは気付いた。


 睨み合い始めたシャオとベルメザの間にハーランが割って入る。


「まあまあまあ。二次試験の影響を消化し切る時間は人それぞれだよ。龍の心臓に触れたんだから、それを克服するにはそれなりの時間が必要なのは当然だろ?だから僕らはタイミングを見計らって弟を迎えに行くんだから」

 

「龍の心臓?」


 その言葉はシャオに二次試験の時に目の当たりにした礼拝堂の中の小さな炎を思い出させた。


 蝋燭の火にも似た炎だったが、それとは全く別種の未知の力強さを感じさせる火だった。


「なかなかのモノだったろ?あれは」


 にッと笑ってハーランが言う。

 「ち」と舌打ちがまたそれに被さる。


「だから何だ?コイツの時間がかかり過ぎなのは変わらない。お前もロセも大した時間は必要としなかっただろ。痺れを切らした王が私たちに無断でコイツを引きずり出したのも、今回ばかりは非難できないな」


 今度は咳払いが間に割って入った。口から吐き出される空気にも重量を含ませられるのだとシャオは初めて知った。


「ここは兄弟同士の自由な意見交換の場でもあるが、今は我らの新しい弟を椅子に座らせるのが先だろう。―――シャオ」


 雄々しい美丈夫の左側の角にはベルメザが、右側にはハーランがそれぞれ座っている。残されているのは対角にある席だ。だが、シャオは戸口に立ったまま、中に足を踏み入れるのをためらっていた。


 深緑色の瞳が促すようにシャオを見ている。ハーランもベルメザもこっちを見ている。


「弟よ、どうした?」

 

 動かないシャオに重低音の問いが投げかけられる。無言ではいられない圧がそれにはあった。ためらいながら、シャオは口を開く。


「兄弟とか弟とか呼ばれてるみたいなんだけど、おれはあなた達の血縁じゃないはずなんだけど…」


 ハーランも最初にシャオのことを弟と呼んだ。ただの比喩的な表現だとしても、やり過ごすことことはできない。リーシャという本当のきょうだいがいるシャオにとっては。


 水を打ったような静けさがもたらされた。

 次いで四角いテーブルの上を視線が交差し合う。


 シャオは焦った。

 親しみを込めて兄弟と呼んでいるだろう相手に対して、今の発言は新人として生意気過ぎたかもしれない。


「まあ、いい。とにかく座れ。シャオ」


  シャオは今度は大人しく従った。弟と呼ばれなかったことにホッとしながら。


 椅子を軋ませつつシャオが席に着くのを見届けてから、正面に座る相手が重々しく口を開いた。


「おれはアンドリオス。ドラゴンナイトの現長兄であり、兄弟の指揮を担っている。家長のようなものだと思ってくれていい」


「おれの命令は絶対だ、て言ってるんだよ」


 右隣からハーランが耳打ちする。


 「それから」


 アンドリオスの視線を受けたベルメザが、渋々といった様子で後に続く。


「ドラゴンナイト次兄のベルメザだ」


「僕はもう名乗ったからいいね。この三名が、君より一足先に龍の洗礼を受けた現役のドラゴンナイトの面々という訳だよ」


 ハーランがさらりと締めて、先輩ドラゴンナイトたちの自己紹介はあっさり終わった。 











































































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