第十五話 アンドリオスの提案

「今後のことだが」


 テーブルの上で手を組みながら、アンドリオスが言う。


「前末弟ロセの喪が明けない内は、シャオの就任式が執り行われる事はないだろう。正式な活動は式の後になる」


「僕たちドラゴンナイトの喪は百日間なんだよ。普通より長いんだ」


 ハーランがシャオの耳元で補足する。

 

「その間シャオが公務を担う事はないし、シャオの存在が公になるのも避けなければならない。本来ならすぐにドラゴンナイトの一員として役目を果たしてもらうところだが、今回は異例という事になる」


「早い話が大人しくしてろ、だね」


 再びハーランの補足。


「だからといって三十日以上もの間ただ遊ばせておく必要はないだろう。そこで、だ。―――ベルメザ」


 アンドリオスが左へ顔を向ける。


「お前にシャオの教育を任せたい。新しい兄弟はまだまだ伸びしろがありそうだからな」


「―――――――――は??}


 豆鉄砲を食らったような声はベルメザからだけ発せられたものではなかった。

 アンドリオスの視線にシャオは慌てて口を閉じる。固く引き結べば今の発声をなかったものにできるだろうことを願って。


 ベルメザがゆっくりと身を乗り出す。


「私が教育?この出来損ないのボンクラ寝坊助を、私が?」


「そうだ。おれはお前が適任だと思う。年齢も同じだしな」


「年齢は関係ないだろ。全く関係ない」


「そんなことはない。おれとシャオくらい年が離れていると、適切な指導の前に伝達の障害が起きかねない。短期の教育に的を絞るなら、同年代同士の方が向いている」


「伝達に障害が起きるのは年齢のせいではないだろ。あんたの場合は」


「人のこと言えないけどね」


 揶揄するハーランを一睨みし、ベルメザは再び椅子の奥に体を収めると、


「断る」


 きっぱり言い放った。


「私がやる必要はない。適任だというなら、うっとおしい世話焼きのハーランの方が向いている。出来損ないに指導役を付けたいならハーランにやらせろ」


 肩を竦めたハーランがアンドリオスを窺がう。

 雄々しい美丈夫は首を左右に振った。


「駄目だ。お前の方が適任だ」


「なぜ?」


「言っただろう。年が同じだと」


「話にならない。断る」


 ベルメザが舌打ちする。


「どうしても私にやらせたいと言うなら、もっとマシな理由をつけてもらおうか。私が納得できる理由を」


「理由なら、これ以上ないくらい明確だ」


 短い静寂の後、室内に重々しい低音が響いた。


「ドラゴンナイト長兄のおれがやれと言ってる。お前に拒否する権利はない」


 全身を氷の刃で貫かれる錯覚に陥り、シャオは息を止めた。

 ベルメザから発せられた殺気はシャオに向けられたものではない。それでも、その場に居た全員が身の危険を感じるくらいにそれは強烈だった。


「お前は明日からシャオの教育に当たるんだ。いいな?」

 

 向けられる殺意を物ともせずにアンドリオスは言う。


「………」


「いいな?ベルメザ」


 シャオにとっては終日に感じるくらい長い緊迫したひと時を経て、ようやくベルメザの口から「……ああ」と、小さく返事が返ってきた。


「よし。では今日の顔合わせは終了だ。それぞれ持ち場に戻るように」


 解散の号令と同時にベルメザが席を立つ。

 そのまま誰とも顔を合わせず一声も発しないまま小屋を出て行った。


「体中が不本意て言ってるなあ」


 ベルメザの背中を見送ったハーランがやれやれとばかりに言うが、不本意なのはベルメザだけではなかった。ただアンドリオスの圧がそれをシャオに言わせなかっただけだ。


「じゃあ僕らも行こうか、シャオくん」


 立ち上がりながらハーランがシャオの肩を叩いて促す。

 今度はどこに行くのかとシャオが首を傾げると、アンドリオスが、


「ドラゴンナイトは城の中に居室を与えられるんだ。今日からシャオもそっちに移ることになる。ハーランに案内してもらえ」


「そーいうコト。本当は教育係が案内すべきなんだろうけどねえ。さ、行こうか」


 と、背中を押され、シャオはハーランと共に小屋を出た。


 後ろを振り返ってみれば、窓越しに座ったままのアンドリオスが懸命に手を動かしているのが見える。片手に握っているのが剣ではなく鑿に見えたのは見間違だろうか?


「ほら、あっちにバカ高い塔が建ってるのが見えるだろ?あれは西の方角に建ってるからまんま西の龍塔。こっちのは南の龍塔―――と、東西南北全部で四つあるんだけど、ドラゴンナイト出現が予兆されると、この四つ全部の塔で鐘が鳴らされるんだ。シャオくんの出現の時にも、もちろん鳴らされたんだよ」


 それぞれの塔を指差し説明しながら、ハーランは王城の中庭を抜けて行く。


 その間、番兵が所々に立ってはいたが、ハーランを一目見ただけで頭を下げ、道を譲っていく。


 龍神国最高位のナイトはどこを歩いても顔パスなのだ。どんな格好でも関係ないのだ。

 自分もいずれは畏敬と羨望のまなざしを向けられるようになるのだろうか。シャオにはいまいち実感がわかなかった。


「おや、これはこれは」


 向かいから派手な雪だるまがやって来た。

 シャオでも名を知っている。パイハールだ。


「ドラゴンナイトのお歴々ではございませんか。昼日中にお庭散策とは安穏なご様子でまことに結構。どうやら今日は幻影国の脅威に身を縮めずに済みそうですな」


「あなたが僕らより先にシャオくんを連れ出した際に城内の案内を済ませておいてくれなかったから、今こうして昼日中にお庭散策してる次第ですよ」


「ほほほ、これは失礼」


 パイハールは細い目をさらに細め、深々とお辞儀してみせた。


「お叱りはごもっとも。目覚めたドラゴンナイトを古参のドラゴンナイトが迎えに行くのは、あなた方の現然たるルールでございましたな。わたくしも重々承知しておりましたが、王の御命令故に致し方なかったのでございますれば、どうぞご容赦下さいますよう」


「ま、あなたの身が無事だったのだから、僕としては構わないんですけどね」


「はい?」


「ベルメザも今回は仕方ないて言ってましたから、大丈夫でしょう」


「それは良かった。あの御仁から不興を買いたくはありませんから」


 あからさまにホッと息を吐き、パイハールは再びお辞儀して去って行った。


「彼は今一番の出世頭の貴族だよ。元は中の下あたりだったけど、あの分厚い柔和さで上手く王に取り入って今では巫女の世話頭も任されてる。まあ、世話好きなのかな。シャオくんもちょっかい出されるかもしれないけど、中々したたかな御仁だから気をつけて」


「え?」


 名前を呼ばれてシャオは慌ててハーランに顔を向けた。


「おやおや、兄の懇切丁寧な説明には全く興味ないようだねえ、末弟くんは」


「おれに兄は」


 いない―――と言いかけて、シャオは言葉を呑み込んだ。

 その様子をハーランの空色の瞳が、じっと見ている。シャオは妙に居た堪れなくなって、また顔を背けた。


「まあ健全である証かな。で?健全な若者は一体何を求めてきょろきょろしてるのかな?」


 上手くごまかせられず、シャオは素直に答える。


「巫女も城の中に住んでるって聞いたから、どこに部屋があるのかなて思って…」


 ああ、とハーランは頷いた。


「君と、君の出現を予兆した巫女のリーシャ殿は実の姉弟なんだってね。これぞ奇しき縁てやつかな」


 なぜ自分とリーシャが姉弟だと知ってるのかと問い返す前に、さっき会ったばかりの丸い顔が浮かんだ。彼か、もしくはリーシャ自身が告げたのだろう。伝わって当然の情報だ。


 けれど、シャオの気持ちは落ち着かなかった。

 

 自分を弟と呼ぶ彼らに実の姉の存在を知られるのは、どういう訳か、シャオに奇妙な罪悪感をもたらしたのだ。


「巫女の居室は王城の内奥にあったんだけど、今は人数が増えたせいもあって外殿に移されたんだ。さすがにそこは立ち入りを禁止されてるけど、僕らドラゴンナイトは彼女たちが直の接触を許されてる数少ない人間だ。時と場所さえ選べば、お姉さんにはいくらでも会えるよ」

 

 シャオの妙な葛藤とは裏腹に、屈託なくハーランは言う。


 色とりどりの花が咲き乱れる中庭を過ぎ、龍のオブジェが巻き付く円柱に囲まれた長い回廊を進んだ突き当りにドラゴンナイトたちの居住区域はあった。


 ハーランはコの字型に並んだ扉の一つの前で足を止めた。


「ここが君の部屋。生活に必要な物は全部あるはずだから、あとはおいおい揃えていくといいよ。はい、コレ」


 ポケットから取り出された鍵がシャオの手のひらの上に乗せられる。

 質量を伴った重みが、その分だけドラゴンナイトの自覚をシャオに促すと同時に、望んで達せられなかった面々を過らせた。


「あいつら、どうしてるんだろ」


 方えくぼの顔を思い出し、シャオはぽつりと呟いた。

 耳聡く聞き付けたハーランが首を傾げ、尋ねてくる。


「あいつら?」


「おれ以外の志願者たち。二次試験を受けに行ったきり姿を見ないからさ。終わってすぐに故郷に帰ったのかな」


「ああ…」


 シャオの言葉にハーランはどこか遠い目をした。今度はシャオが首を傾げる番だった。


「そうだね。もうみんな故郷に帰ってると思うよ」


「そっか。ちょっと会いたいやつがいたんだけど、でもおれがドラゴンナイトになったって知ったら殴られそうだからなあ。顔合わせずに済んで良かったのかもな」


「はは。ま、殴られることはないよ。みんな骨になって帰ったから」


「え」


聞き間違いか、何かの冗談だろうか。でも、会ってまだ半日も経っていないが、彼らしくない冗談だと感じずにいられなかった。


「一次試験でなるべく篩にかけるようにはしてるんだ。余計な犠牲は出したくないけど、こればかりはね」


 申し訳なさそうに眉を下げてから、ハーランは向かいの扉を指で示し、


「なにかあったらこっちの扉を叩くように。僕の部屋だから。シャオくんは今日はもう休んでいいよ」


 そう言うと、ひらひらと手を振って回廊の奥へと消えて行った。 

 その後ろ姿が見えなくなった後も、シャオはしばらくの間その場に立ち尽くしていた。



















































































































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ドラゴンナイト らく葉 @rakuzo-

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