第十二話 リーシャの訪れ
現実に戻って来た時のシャオの心身の状態は、いつも最悪だった。龍に喰われる。そうやって目覚めるからだ。
それでも、食事だけは欠かさず摂り続けたおかげか、気分はともかく体力は大分取り戻すことができた。
「おれがドラゴンナイトなんてやっぱ嘘じゃないか…?」
玉間から戻って三日後、あれ以後誰の訪れもない狭い部屋で、いつものように龍に喰われかける夢から覚めたシャオは、ぼんやりと虚空に向けて呟いた。
シャオがこの悪夢を見始めたのは、二次試験を受けた後からだ。
龍の代理人たるドラゴンナイトが、龍に脅かされる夢を見続ける。そんなことあるのだろうか。
もしかしたら龍はシャオを己の力の体現者と認めておらず、それなのにシャオが二次試験を通ってしまったことに腹を立て、こんな夢を見せ続けるのではないだろうか。
「そうだよな。おれよりラッカスの方がずっとふさわしいはずだし」
方えくぼの気さくな笑顔が浮かんでくる。ラッカスはどうしているのだろうか?二度目の挑戦も挫かれ、肩を落として故郷に帰ったのだろうか?
そんな事をつらつらと考えていたら、扉をノックする音が聞こえてきた。三日ぶりに誰かやって来たのだ。パイハールが言っていた正式な迎えとやらかもしれない。
緩慢な動作でベッドから下り、扉を開けた先に立っていたのは、薄紫色の長い衣に身を包んだ懐かしい顔だった。
「姉さん…」
ぽかんと自分を見つめる弟の顔を見て、シャオの姉、リーシャは困ったように口元を綻ばせた。
「わたしの顔はそんなにおかしいかしら?六年前と比べて、まだそれほど変わっていないと思うのだけど」
「あ、いや、姉さんが来るとは思ってなかったから、びっくりしただけだよ。ひょっとしておれを迎えに来たの?」
「迎え?」
リーシャは長い睫毛を瞬かせた。
「わたしはあなたのお見舞いに来たの。あなたが随分と疲れてる様子だったてパイハールが言ってたから、気になって…。それに話もしたかったから」
シャオはリーシャを部屋に招き入れ、さっきまで自分が寝ていたベッドの上に座らせた。
清潔で上質な巫女装束に身を包む相手を寝古したぐちゃぐちゃのベッドの上に座らせるのは気が引けたが、他に適当な物がないのだから仕方ない。
どういう訳か、この部屋に家具らしきものはベッド一つしかないのだ。
「さっき姉さんは六年前と変わってないて言ったけど、一つだけ変わったよ。髪の色が明るくなった」
シャオはリーシャの隣に腰かけた。リーシャは自分の髪に触れ、
「王都に来てから染めてみたの。変かしら?」
「変じゃないよ。少し見慣れないけど。それ、何色ていうのかな?」
シャオはリーシャの顔ではなく、髪だけを見ながら言う。
「赤、と言いたいところだけど、わたしの髪は上手く染まらなくて。シャオみたいなきれいな赤毛にはなかなかなれないわね」
リーシャは小さく微笑みながらシャオの顔を覗き込む。シャオも髪だけを見つめていられなくなった。
「久しぶりね、シャオ。本当に久しぶり。元気にしてた?」
「元気だよ。姉さんこそ…城での生活大変なんじゃないのか?」
「わたしのことはいいの。それより、ごめんなさいね。あなたをたった一人置き去りにしてしまったわ。ずっと気になってたんだけど、本当にごめんなさい」
「それは姉さんのせいじゃないよ。姉さんは………無理矢理連れていかれて城に閉じ込められてたんだから。巫女ていうのは、城から出れないんだろ?」
「え…ええ、そうね。本当にそう。でも、ごめんなさい」
リーシャの長い睫毛が伏せられる。
沈黙が流れた。
シャオは言葉を探して視線を宙にさ迷わせた。
昔は考える必要などなかった。なにを言うべきかなど過る前に言葉が勝手に口から出ていたものだ。それなのに、今は……。
吐息のような笑い声が沈黙を破った。
顔を上げたリーシャの口元には、はっきりと笑みが浮かんでいた。
「あなたは変わったわね、シャオ」
「おれは髪を染めてないけど」
「大人になったて言ってるの。ああ、身長とかのことじゃないわよ。もちろん六年前より男らしくなってて見違えたけど、そうじゃなくて、もう子供じゃないんだなて思ったの」
なんと返したらいいものかわからず、シャオはまた宙を睨み付けた。そんなシャオの様子を面白そうに見ていたリーシャの笑い声がふと止む。
「それはそうよね。だってあなたはドラゴンナイトになるくらい立派に成長したんですもの。変わって当然ね」
「おれは別になにも変わってないよ」
「謙遜するところが変わった証拠よ。でも、お蔭でこうして大事な弟に会いに来ることができたわ。シャオがドラゴンナイトになってくれたから、わたしの自由の幅が広がったんですもの」
「ああ」
亡きドラゴンナイト・ロセの妹のエリゼは、ドラゴンナイトの親族という理由で巫女でありながらも奔放な行動を大目に見てもらえると言っていた。
リーシャも同じ理由で城を抜け出し、ここまでシャオに会いに来れたという事だろう。
リーシャは嬉しそうだ。弟が最も誉れ高い騎士に選ばれたのだから、姉として当然の反応だろう。
しかしシャオは顔を曇らせることしかできなかった。
「どうしたの?」
シャオの様子にリーシャの形の良い眉がひそめられる。
「いや…おれがドラゴンナイトだなんて、信じられなくてさ」
「昔のシャオだったら絶対に言わなかった言葉ね。大人になったのは良いことだけど、そこまで謙遜する必要はないわ」
「謙遜なんかじゃないよ。本当に信じられないんだ。なにかの間違いじゃないかと思ってる。姉さんだっておれなんかがドラゴンナイトだなんて信じられないだろ」
「シャオ」
白い手がそっとシャオの手に添えられる。
「あなたは変わったのよ。もう昔のあなたじゃない。ドラゴンナイトに選ばれるくらい立派に成長したの。わたしはあなたを信じてるわ」
「姉さん…」
真っ直ぐに見つめられ、シャオは気恥ずかしさに視線を落とした。
白い手と、その白さを際立たせる赤い石が目に飛び込んでくる。
「指輪…、それも巫女の格好の一部なの?」
「指輪?ああ、これね。違うわ。特に身に付けなければならない物ではないのだけど」
リーシャはシャオの手を離し、指輪にはめられた赤い石をそっと撫でた。
「王城にはね、出入りを許された行商人たちが時々やって来るのよ。織物とか宝石とか、異国の珍しい物を持ってくるの。これもその一つよ」
「へえ。姉さんも指輪とか欲しがるんだ」
「……ここに来るまでは縁がなかったものね。おかしい?」
シャオは首を横に振った。
指輪が嫌いなのは、どうやら自分だけらしい。ギラギラと赤赤しい指輪はリーシャにはキツ過ぎるように感じたが、それは言わないでおいた。
「パイハールの指にはこれでもかってくらい指輪がたくさんはめられてるよ。それに比べたら姉さんは全然足りてない」
「まあ、彼と比べられるとは思わなかったわ。でも、本当はもう一つあったのよ」
指輪をはめた指が耳たぶに伸ばされる。何気ない仕草だったがそれが妙に淋しげで、シャオは問わずにはいられなかった。
「もう一つ、て?」
困ったような笑みを浮かべてリーシャは答える。
「花を連ねた意匠のイヤリングよ。ちょっと珍しい物なの。いつの間にかなくなってて…きっと気付かずに落としてしまったのね」
「ふーん…見つからないの?」
「落とした場所の目星はついてるのだけど、なかなか探しに行くことができなくって。その内に行ってみようとは思ってるんだけどね」
「それってどこだよ?」
「あなたの知らないとこよ。御登りさん」
リーシャが冗談めかす。シャオはむっとして、口調を強めた。
「今は知らなくてもその内わかるようになるだろ。おれだって王都に居るんんだから」
「じゃあ、ドラゴンナイトに選ばれたのは間違いだ、なんて二度と言わないわね?」
リーシャのほっそりとした手が、もう一度シャオのそれに重ねられた。その手に力が込められる。
「自分がドラゴンナイトだなんて信じられない、なんて事はもう言わないわね?
「……言わないよ」
リーシャは微笑み、ようやく手を離した。
「王城の一角に囁きの森ていう場所があるの。お城からは離れてるから、わたしたちは滅多に足を運ばないとこなのだけど、城内を案内してもらった時に一度だけ訪れたことがあるの。イヤリングがなくなってるのに気付いたのはその後だったから、きっとそこで落としてしまったのね」
「囁きの森…」
シャオはその場所の名を繰り返した。
リーシャが立ち上がる。名残惜しそうにシャオを見つめながら。
「もう行かなくちゃ。いくらドラゴンナイトの弟のおかげで多少は融通が利く身になったとはいえ、巫女は巫女ですものね」
「一人でここまで来たのか?付き添いとかはいないの?」
扉を開けた時、そこに居たのはリーシャだけだった。いくらこの馬車が城と目と鼻の先とはいえ、それは馬車に乗ってのことだ。
立ち上がったシャオを、リーシャは手を伸ばして押し止める。
「パイハールが外で待っていてくれてるわ。だから大丈夫よ」
「そっか」
「今日は久しぶりにあなたと話せて嬉しかったわ。これからは、また一緒に居られるようになるわね。昔のように」
そう笑顔で言って、リーシャは薄暗くなった廊下の向こうに消えて行った。
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