第十一話 再会

 王の視線がシャオの背後に注がれる。


 分厚い絨毯が足音をしっかり吸収してしまったのだろう。だが今は、背後にはっきりと人の気配があるのをシャオは感じていた。


「わたくしも巫女としてお仕えさせていただき六年経った今、ようやくドラゴンナイトの予兆を捉えることができたのでございます」


「では、コツは掴んだということだろう。次のドラゴンナイトの予兆はまだか?」


「いいえ。ですが、他の予兆を聞くことができました。今朝はそれを追うのに時間がかかってしまい、参上が遅れてしまったことをお許し下さいませ」


「他の予兆か」


 王の興味は明らかに削がれたようだった。

 今度はパイハールが恭しく進言する。


「恐れながら王よ。此度のドラゴンナイト出現の予兆は元より、リーシャ様の予兆はこれまでにも多くの有益な情報をもたらしてくれております。お耳に入れておかれた方がよろしいかと存じますが」


「わかっておる。誰も聞かぬとは言っておらぬ」


 王が促すように視線を送ると、シャオの背後からまたガラス細工の声が流れ始めた。


「では申し上げます。水の精霊の予兆にございます。コマドリの庭園の隅にある放置されたままの古井戸の底を洗え―――、そう申しておりました」


「はて。古井戸などあったかの。まあ、いいわ」


 首を傾げながらも王が手を振って指図すると、脇に控えていた衛兵たちが足早に玉間から出て行った。


「古井戸なあ。確か、先代の折に井戸から腐鬼が出おった故、すべての井戸という井戸を塞いだはずなのだがの。そなた知っておるか?」


 王に問われたパイハールは、恭しく「いいえ」と答える。次に王は薄紫色の中から、明らかに一番年を取っているだろう小柄な巫女に尋ねた。


 老いた巫女は記憶を辿るように眉間に皺を刻んでから、「存じませぬ」と答えた。

 

「誰か井戸の存在を知っておるか?」


 王はきょろりと目を回らせ、周囲の巫女たちにも尋ねた。「いいえ」「見たことありません」「聞いたこともありませんわ」と次々に返事が返ってくる。


 王はそれらに耳を傾けてから、視線を前に戻した。


「リーシャよ。そなたの働きはよくわかってはおるが、此度ばかりは外したのではないか?余も知らぬものがこの城内にあろうか。それよりもドラゴンナイトの予兆を聞かせて欲しいものよな」


 シャオの背後の気配が動じる様子はなかった。

 そうこうしているうちに衛兵たちが戻って来た。その一人の手には、眩い光を放つ首飾りが握られていた。


 それを手渡された王の目が見開かれる。


「これは…母上様が花楼国より嫁がれた折に身に着けて参った花楼の秘宝よ。間違いない。余は幼心にこの美しさに目を奪われたものだ。母上様はどこを探しても見つからぬと嘆いておいでだったが……これをどこで見つけたのだ?」


 首飾りを持ち帰った衛兵が膝を付いて答える。


「仰せの通りコマドリの庭園の隅に枯草に覆われた小さな古井戸がございまして、その底に沈んでおりました」


「なんと!」


 王は驚嘆の声を上げ、立ち上がった。


「素晴らしいぞ、リーシャよ!この首飾りはドラゴンナイトほどの、とは言わぬが、価値あるものよ。失くしたままにしておいて良いものではない。母上様もお喜びになろうぞ」


「恐れながら、貴重な首飾りを古井戸に隠したのは水の精霊にございます。彼の霊は井戸を清め祀るよう望んでおります」


「あいわかった。直ちにそのように致せ。―――それにしても、さすがはリーシャよ。そち以外の巫女どもは誰一人として古井戸の存在すらしらなんだ」


 その瞬間、シャオは自分に向かって来るいくつもの憎悪と嫉妬の視線を体中で感じていた。いや、正確には自分の真後ろにいる人物に向かって。


「おお、そうよ、リーシャよ。大事なことをまだ伝えておらなんだ。そちの予兆したドラゴンナイトだがな」


「はい」


 背後の気配が僅かに動く。シャオは身を固くした。


「それ、そこに居るぞ。そちの目の前に」


 王がシャオを指差す。


「新たなドラゴンナイトよ。そちの出現を予兆した巫女に顔を見せてやるがよい」


 パイハールが光速で動き、固まったままのシャオに後ろを向かせる。

 猶も目を伏せていたシャオの耳に、息を呑む音が届く。


「―――シャオ?」


 ガラス細工にひびが入った。

 細かく震える声は、やはりシャオのよく知る声だった。


 シャオは恐る恐る顔を上げた。


「久しぶり、姉さん」


 六年ぶりに再会した姉の目には、涙が滲んでいた。






 王との謁見を終えたシャオは再びパイハールの乗ってすぐ下りる馬車に乗せられたが、この時はそれを不満に思うことはなかった。


 とにかくすごく疲れていたのだ。久しぶりに動いたからか、王の前で緊張したからか、それとも……。


「あなた方は御姉弟なのですか?」

 

 疲れ果て、半ば意識を失いかけていたシャオはびくりと目を開けた。

 目の前には当然、肉の余った丸い顔がある。


「あなととリーシャ様ですよ。お二人は御姉弟なのですか?」


「なんでおれたちが姉弟だと?」


「失礼ながら、あなたがリーシャ様に姉さん、と呼びかけるのが耳に入ったものですから」


 丸い顔の中央で鋭く光る細い目がシャオに返事を迷わせたが、結局は小さく頷いて返した。隠す必要はないだろうし、リーシャの方から伝わるかもしれないのだから。


 幸いなことに、パイハールが再び口を開こうとしたところで馬車が止まった。短い旅程が終わったのである。

 再び元居た場所に戻されたシャオに、パイハールは慇懃に頭を下げて言った。


「もうしばらくここでお過ごし下さいますように。近い内に正式なお迎えが来るはずですから」


「迎え?」


「はい」


 それ以上追及する気力は今のシャオにはなかった。

 そんなシャオの様子を窺がいながら、パイハールは言う。


「大分お疲れの御様子。無理もありますまい。どうぞ困ったことがありましたら、わたくしめに何でもご相談下さい。お力になりますぞ」


 再び一礼して去ろうとする丸い背中をシャオは呼び止めた。


「ドラゴンナイトの予兆だけど、本当に姉さ…リーシャが予兆したのかな?」


「そのように伺っておりますが」

 

 振り返ったパイハールが、逆に問いかけるように無い首を傾げる。


「ちょっとびっくりして。確かに姉さんは王都に連れて行かれたけど…まさか本当に巫女になってるとは思わなかったから」


「あなたが口にできるお言葉ではないと思いますよ」


 薄く笑みを貼りつけパーハールは出て行った。

 扉が閉まると同時にシャオはベッドに倒れ込み、夢の続きへと足を踏み入れた。































































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