第七話 疑惑
「ドラゴンナイト・ロセの?」
シャオはまじまじと目の前の少女を見つめた。
ドラゴンナイト・ロセ。
二年前に鐘が鳴り響いた時に、新しく誕生したドラゴンナイトの名だ。
彼の名が龍神国に知れ渡ったその日、シャオの住む西端の田舎町まで祝砲が轟き、国中がお祝いムードに包まれた。シャオも祝い酒と、滅多に口にすることのできない高価な生菓子を振る舞われたからよく覚えている。
そして、今から僅か二ヶ月ほど前、そのロセの訃報が届いた。
公の発表は事故死。
それ以上も以下の詳細も明かされず、一国の名を背負う英雄のラストを飾るには、あまりにもそっけない一言だった。
ロセの顔を知らないシャオは、エリゼから彼の面影を読み取ることはできない。だが、問い返したシャオにはっきりと頷いて見せた彼女からは、嘘を吐いている様子は窺えなかった。
「そうよ。あたしはドラゴンナイトの親族だから色々と融通が利かせられるの。ほかの巫女たちはあなたの言う通り城に籠ってつまんない龍の像に向かってブツブツ言ってるけど、あたしはいいの」
「あんた同僚から嫌われてそうだな」
「なに?」
「なんでもない。あんたが特別なのはよくわかったから、おれに話ていうのは?そろそろ戻らないと昼飯食い損ねるんだけど」
「なんか棘のある言い方ね。それに、名乗ったんだから、あんたじゃなくて名前で呼ぶべきじゃない?まあ、いいわ。あなたはベルメザに立ち向かってあたしを助けてくれたんだもの。大目に見るわ」
「それはどうも」
「でも、だからこそ、あなたには忠告しとかなくちゃって思ったのよ」
エリゼは身を乗り出した。
顔が間近にきて、ツンと上を向いた形の良い鼻がぶつかりそうになる。シャオは慌てて後ろに引いたが、エリゼは頓着せず続ける。
「試験会場であたしが言ったこと覚えてる?」
「さあ、よく覚えてないな。それよりもう少し後ろに下がったら?」
「なんで覚えてないのよ!あたしが決死の覚悟で気持ち悪い筋肉バカの集まりに身を投じてまで切々と訴えかけたっていうのに!思い出しなさいよ!!」
「わ、わかった。わかったから!」
胸座を掴まれそうになったシャオは、慌てて頭の中を掘り返し始めた。
「え――……と、確か、ドラゴンナイトになるのはやめろ、とか……ドラゴンナイト・ロセは……」
殺された。
同じドラゴンナイトのベルメザに。
「そうよ。殺されたの。ベルメザに」
続きを、エリゼがはっきりと声に出して言う。
「ドラゴンナイト・ロセは、あたしのお兄ちゃんは、もともと正騎士だったから強かったわ。でもドラゴンナイトになって龍の力を得た後は強いなんてものじゃなかった。わかるでしょ?そのお兄ちゃんを殺せる相手なんて、同じドラゴンナイト以外にいないじゃない」
「ちょ、ちょ、ちょっと待て。ロセは事故死だろ。そう聞いてるぞ。なんで殺されたとかいう話になるんだよ」
雪崩のように捲し立て始めたエリゼをシャオは慌てて止める。
確かに、仔細の明かされていない若きドラゴンナイトの死は様々な憶測を呼んではいるが、それは敵国との水面下の戦闘に敗れてのことだとか、古の龍神国のように、逆臣から文字通り盾となって王を守っての殉死だとかそういう類のものに限る。
ドラゴンナイトがドラゴンナイトを屠るなど、考えも及ばない。
試験会場で聞いた時は呆気に取られるだけだったが、こうして顔を突き合わせて訴えられるとその異様さが際立ってくる。彼女は空からタコが降ってきたと言ってるも同然なのだ。
「人の話聞いてなかったの?だからお兄ちゃん以外の筋肉バカは嫌なのよ。ホントのバカなんですもの。あのね、その辺のただの筋肉バカにドラゴンナイトが殺せると思う?無理でしょ。だったら、ベルメザのほかにお兄ちゃんを殺そうとするヤツなんていないじゃない。何回言わせるのよ」
「ロセは事故死だろ」
「階段からおちたくらいでお兄ちゃんが死ぬはずないて言ってるでしょ!!」
ものすごい剣幕で怒鳴られたシャオは驚いて尻餅をついた。
導線に着火してしまったのか、エリゼの勢いは止まらない。
「お兄ちゃんはドラゴンナイトよ?龍の力を受け継ぐ英雄よ?あたしたちを守る剣であり盾よ?そのドラゴンナイトのお兄ちゃんが階段を踏み外して頭打って死んじゃうなんて、そんなバカげた死に方するはずないじゃない!みんな何でわからないのよ!!」
「……ロセは階段から落ちて死んだのか」
シャオの呟きにエリゼは、はっと我に返って口を閉じる。それから、今度は声を落として、
「……踊り場で頭から血を流して倒れてるとこを発見されたんですって。その時には、もうこと切れてた、て」
「そうか…」
シャオは何となく納得する。
事故死とだけ伝えられていたロセの死だが、エリゼの言う通りあまり体裁の良い話ではない。外聞を憚って詳細は伏せられたのだろう。
シャオの表情から今度はその中身を正確に読み取ったようで、可愛い顔に不満をたぎらせながらもエリゼは続ける。
「ドラゴンナイトの落ち度は他国の侵略を許す引き金にもなり得るから詳しい事は報されないだろう、ですってよ。妹のあたしですら、ちゃんとしたことを教えてもらえなかったのよ。埋葬だって勝手にさっさとされちゃったし。気の毒に思ってくれたドラゴンナイトの一人からやっと教えてもらったの。だからあなたもこの事は口外しないで」
「え、と……ご愁傷様」
「事故じゃないわよ」
鋭い声が返ってくる。
「足元もおぼつかないくせに長ったらしい外衣を偉そうに引きずって歩くよぼよぼの老貴族と一緒にしないで欲しいわ。お兄ちゃんはドラゴンナイトなんだから。そもそも階段で足を滑らせたりしないわ」
「けど、いくらドラゴンナイトだって転ぶことくらいあるだろ。それに長ったらしい外衣は人のこと言えないんじゃないか」
いくら無敵でも不死ではない。
これまでにもドラゴンナイトの戦死や病死はいくらでもあった。確かにロセの最後はドラゴンナイトとしては一般的ではないかもしれないが、全く有り得ない事ではないだろう。
エリゼは兄の死を認めたくないのだとシャオは思った。
ドラゴンナイトになった凄いはずの兄が、あっさり死んでしまった事実を受け止めきれないのだ。だからこうして大騒ぎしているのだろう。
今度もまたシャオの心中を的確に読み取ったエリゼは、すがめた目をシャオに向ける。
「じゃあ聞くけど、ベルメザが階段から落ちて死ぬと思う?」
「え、さあ…」
とっさに絵柄を思い描こうとするが、全く浮かばない。それこそ空からタコが降ってくるようなものだ。
ほらね、とエリゼが言う。
「ドラゴンナイトを少しでも知っていればわかることよ」
ざわりとシャオの皮膚が総毛立つ。
嫌な予感がした。
「でも、だからってベルメザが殺したてのは……」
今度は、シャオの脳裏にはっきりとベルメザの姿が映った。氷の刃そのもののような姿が。
あいつならやりかねない。
浮かんだ考えを首を振って打ち消す。
「お兄ちゃんとベルメザはもともと気が合う仲とは到底言えなかったわ。お兄ちゃんは強いだけじゃなくて優しくて思いやりがあって、弱きを助けようとする騎士の鏡みたいな人だった。でもベルメザは違う。あいつは弱者を踏み付けて平然としてるヤツよ。だから、お兄ちゃんが正騎士からドラゴンナイトに選ばれて、自分と同等になって意見してくるのが気に食わなかったのよ」
「それで殺したてのか…それは、あんまり…」
「突拍子もないて言うの?」
きっと大きな瞳の眦がつり上がる。
シャオが黙っていると、エリゼはさらに声を落とし、
「それだけじゃないのよ」
と呟くように言った。
「ドラゴンナイトになって一年くらい経ってから、お兄ちゃんの様子がおかしくなったの。いつも堂々として、弱音一つ吐くとこも見たことなかったのに……それが、びくびくと怯えるようになって」
「怯える?」
ドラゴンナイトが怯える。
それも全く思い描くことができなかった。
エリゼはこくりと頷き、それから言い難そうにぽつぽつと続けた。さっきまでの勢いはない。尊敬する兄の、立派とは言えない姿を口にするのにためらいがあるのかもしれない。代わりに細い腕にはめた大振りの木のブレスレットをしきりに撫でている。
シャオはそのブレスレットに視線を落とした。
木彫りの龍がこっちを睨んでいる。
「きっと周りのみんなは誰も気付かなかったでしょうね。でもあたしは子供の頃からずっとお兄ちゃんの側にいるのよ。隠そうとしたってわかるわ。だから、何かあったのか尋ねてみたけど、お兄ちゃんはなんでもないて言うだけだった……けど」
エリゼは言葉を止めて、下を向く。
シャオは彼女が話し始めるのを待った。
「けど……あたしは聞いたのよ」
ややあって、エリゼは口を開く。
「龍に殺される。そうお兄ちゃんが言うのを」
「龍に」
―――殺される―――――?
「そうよ。独り言だったけど、はっきり聞いたわ。………そして本当に死んでしまった」
木の葉がざわめく。そのざわめきが、やけに大きくシャオには感じられた。
「なんで龍が…ドラゴンナイトを、龍神国の民を殺したりするんだ?龍はこの国を守る守護神だろ。ドラゴンナイトはその代理人だ。なのに殺されるなんて、あるはずない」
「そうね。大体、龍と人との距離は大昔に隔てられたきりで顔を合わすこともできないんだから、そんなこと無理よね。でもだから、ドラゴンナイトがいるんじゃない」
「え?」
目を瞬かせるシャオに向かって、エリゼは確信を込めた強い口調で言った。
「現代の龍神国において龍といえばドラゴンナイトを指す。そうでしょ?」
「だからベルメザが殺したって?」
「そうよ。そしてあなたは試験の時にあいつに歯向かって目を付けられてる。もしも、あなたがドラゴンナイトになったら、今度はあなたが始末されるかもしれないのよ。………お兄ちゃんのようにね」
エリゼは立ち上がり、裾に付着した土や草を払った。
「忠告はしたわよ。今度こそベルメザに切り殺されたくなかったら、ドラゴンナイトの道は諦めることね」
そう言うと身をひるがえし、茂みの向こうへと足早に去って行った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます