第六話 ロセの妹

 シャオがベッドから離れられるようになるまで、さらに七日の日数を要した。


 その間もドラゴンナイト候補者選抜のための一次試験は行われ、屈強を絵に描いた男たちがぞくぞくと列を作り続けていたという。待合所の人数も少しづつ増え、今は十人になっていた。


「まあ、ドラゴンナイトは強さの象徴だからな。貧弱野郎じゃダメだろ」


 待合所の外で新鮮な空気を吸いながら、久しぶりに体を動かすシャオの隣でラッカスがうそぶく。


「おれだって二年前に比べて胸筋が一・八センチも厚くなったんだぜ。見ろよ」


 ふんっっつと気合を込めるラッカスからシャオは目を逸らす。今日も青空が美しい。


「それのおかげで今回は受かったんだな。よかったじゃないか」

「まあな。お前にも見せてやりたかったぜ。おれの必殺剣が正騎士の面を叩き割って、泣きっ面をかかせたとこを」


 ラッカスの話が大げさなのはわかっている。それでも彼が正騎士――龍の全容を纏った甲冑の騎士の一人に一矢報いたのは、確かなのだ。


 動けるようになったシャオに対して退去命令などは出されていない。放り出されることを予想していたが、どうやらそれはなさそうだった。


「本当に死人は出てないのか?」


 軽く伸びをしながらシャオは尋ねる。背中がまだ痛む。正直言って、ドラゴンナイト選抜試験がこんなにも危険だとは思いもしなかった。


「いねえよ。怪我人は山と出てるが、相手は戦闘のプロだぜ。やたらめったに命を取るようなマネはしないだろ」


 情報通らしくラッカスは言う。


「一番大怪我したのはお前だろうよ。意識不明の重傷でドラゴンナイトへの切符を手に入れたって訳だ」


 力強く背中を叩かれ、シャオは飛び上がった。陽気なえくぼ男はすぐに怪我人の怪我のことを忘れてしまうようだ。


 じろりとこちらを睨む者があった。ベッドの中のシャオに悪態を吐いた男だ。名はギルジオというらしい。

 今日も少し離れた所から、険のある視線を飛ばして来ている。


 だがそれは、彼だけではなかった。


 シャオとベルメザの一件を聞き及んだのか、待合所にいる大半の男たちは、シャオを快く思っていないようだった。なぜお前がここにいる、と彼らの目が言っている。


「なあ、お前はなんでドラゴンナイトになろうと思ったんだ?」


 ラッカスが聞いてきた。

 シャオは一瞬返答に詰まる。


「なんで,て…、龍神国に生まれてドラゴンナイトになりたくないヤツがいるか?おれだって」


 そう。シャオも子供の頃は無邪気にドラゴンナイトに憧れていたのだ。


 大昔の、龍神国と名を改める前のこの国を救ったという龍。

 

 人と神霊の境がはっきりと分かたれ、人々の前から姿を消した龍に代わってその力を受け継ぎ、龍神国を守り続けるドラゴンナイト。


 彼らの武勇は今なお伝説のように伝えられているのだ。それに憧れを抱かない者はいないだろう。


 けれど、シャオはラッカスの問いに詰まった。


 それもそうだ。実のところ、シャオはドラゴンナイトになりたくて王都に来た訳ではない。

 いつの間に、いつから子供の頃の想いを忘れてしまったのだろうか。


 ああそうか、とシャオは一人頷く。


 姉リーシャが去った日から、シャオの世界から英雄ドラゴンは消えたのだ。


「おれだって、なれるもんならドラゴンナイトになりたいて思っただけだよ」


 そう言い張る自分の声が、酷く弱々しくシャオの耳に響いた。


「ふーん、お前いくつ?」

「二十一だよ」

「二十一かあ。おれが初めて試験受けた時の年齢か。それで受かるてのは、なあんか悔しいな」


 ラッカスは空の手で素振りを始めた。元気な彼は、何日にも及ぶ待合生活で体力を持て余しているのだ。


「お前こそ、なんで二回も試験を受ける気になったんだ?」


 あんな手酷い目に遭うのは一度だけで十分だとシャオは思う。だがそれはきっと、誰よりも大怪我を負ったシャオだけの意見ではないはずだ。


 技と力に自信を持った腕自慢の男たちが、まるで赤子のようにあっさり叩きのめされ首を垂れて去って行く姿は、肉体よりプライドの損傷の深さを物語るに十分だった。二年前のラッカスも彼らの内の一人だったのだろう。


「そりゃもちろん、チャンスが来たからに決まってんだろ」

「もう二度と受けたくないとは思わなかったのか?」


 おれはご免だよ、とシャオは心の中で呟く。


「思わないね」


 とラッカスはすぐに答えた。


「強くなれるチャンスだ。わざわざ見逃す手があるか?」

「タフだな。関心するよ」

「そうか?おれには祖母ちゃんと母ちゃんと妹が三人いるからなあ。いつ幻影国とかいう得体の知れねえ国が襲って来るかわかんねえし、そん時に誰も守れないなんて嫌だろ?」


 ラッカスは素振りを止め、シャオに顔を向けた。


「ま、嫌だったらお前は無理しなくていいんじゃねえか?いるよな、偶に。親戚の厳ついおっちゃんや道場の師範に強制されて、仕方なく受けに来るヤツ」


 黙り込んだシャオの背中をラッカスは勢いよく叩く。


「二年前におれと一緒に試験を受けて落ちたヤツがそうだったよ。お前はアイツとは違って骨がありそうだけど、実力はおれの方が上だろ。だから無理すんなよ」

「どこ行くんだ?」


 咳込みながら訪ねるシャオにラッカスは、「便所」と言って室内に入って行った。


 辺りを見回せばいつの間にかギルジオも、体を伸ばしていた他の一次通過者たちの姿もなくなっていた。もうすぐ昼食の時間なのだ。シャオも待合所に戻ろうとした時、


「こっちこっち」


 と声が聞こえた。


 何気なく首を回らすと、柵の向こうに広がる茂みから細い手が覗いて手招いている。シャオはぎょっとして後退った。


「あ、ちょっと!逃げないでよ。思ったより臆病ね。いいから、ちょっとこっち来て」


 手の動きが早くなる。周りには誰もいないし、明らかにシャオを呼んでいるのだ。


「おれ、手のお化けの知り合いはいないよ」

「誰がお化けよ。いいからこっち来てって言ってるでしょ。あなたに話があるのよ。ドラゴンナイト志願者のシャオ」


 自分の名前を知っているということは、ただの通りすがりではないのだろう。

 シャオはもう一度辺りを見回した。一次通過者たちの行動は制限されており、確かこの柵を超えてはいけないと言われた気もするのだが。


「早く!」


 と急かされる。

 辺りに人気のないのをもう一度確認し、シャオは腰ほどの高さの柵を飛び越え、自分を呼ぶ手の方へとのろのろと近寄って行った。すると手が伸び、シャオの腕を掴んで茂みの中へと引きずり込んだ。

 

 非難の声を上げようとするシャオに「しっ」と鋭い叱責が飛んで来る。人差し指を唇に当て、こちらを見る顔には覚えがあった。


「無事だったか」

「そっちこそ」


 密やかな笑みをひらめかせたのは、試験会場で大騒ぎしていた巫女の少女だった。


「大怪我したって聞いたけど、元気そうでなによりだわ。ああ、でもちょっと湿布臭いわね」

  

 少女は鼻をひくつかせ、少し顔をしかめた。

 朝晩体中に塗りたくられる泥のようなものの刺激臭には、シャオも辟易してるところだ。それでも少しばかり量は減ったのだ。


「王室御用達の最上級湿布薬ね。いちドラゴンナイト志願者に使うような薬じゃないはずだけど」


 意外そうに首を傾げる彼女は、今日も地に這うほどの長い薄紫色の衣を重ねた巫女装束姿だ。王室の事情にも詳しいようだし、やっぱり彼女はれっきとした巫女なのだろう。

 

 しかし、それならなぜこんな所をほっつき歩いているのか。神聖な巫女はおいそれと一人で出歩けないはずだ。


 少女は、シャオの疑問の浮かんだ表情の中身を勘違いしたらしく、


「エリゼよ」


 と可愛いく笑った。


「見ての通りの巫女様よ。年は十八。好きな食べ物は林檎のパイと糖蜜漬けの酢豚ね。嫌いなものは虫。脚が多ければ多いほど嫌いだわ。他に聞きたいことは?」

「……巫女なら何でこんな所に居るんだ?城の奥で龍に祈ってなくていいのか?」

「そんなかったるいことやってらんないわよ」


 エリゼはふんっと鼻を鳴らした。

 神聖な巫女が口にするとは思えない言葉だ。最も、彼女は最初から巫女らしからぬことばかり口走ってはいたが。


「ベルメザのせいで厳重注意を受けちゃって、今までみたいに自由が利かなくなっちゃったし。お陰でこんな虫のいそうな茂みに隠れてコソコソ話さなくちゃいけないのよ。堪んないわ」

「巫女ていうのは、そもそも自由が利かないもんじゃないのか?」


 だからリーシャは町に帰って来れず、手紙の一つも出せないのだ。


「あたしはいいのよ」


 シャオの問いに、エリゼはつんと顎を上げて答えた。


「あたしはドラゴンナイト・ロセの妹だから」



 






















































































































































































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