第8話 土曜日の朝


 朝、文哉は目を覚ますと机の上から眼鏡を取り上げて時計を確認した。8時前。抱き締めていたはずの東真はもういない。軽やかな動きで伸びをすると、部屋に満ちたトーストの香りを堪能した。


 もう1度布団に寝転がった。ふすふすと寝息を立てる南央の緩んだ寝顔を眺めてゆっくりとした時間を楽しんでいると、アラームを設定していた8時ぴったりにスマホが震えた。



「南央ちゃん、おはよう」



 文哉が南央の肩を叩くと、南央はすぐに目を開けた。そして視界に文哉を捉えると、ふにゃりと笑顔を浮かべながら身体を起こした。



「おあおぉ」


「ふはっ、おはよ。南央ちゃん、顔洗って朝ご飯にしようか」


「うん……あ! パンの匂い!」



 トーストの匂いに反応した南央はパチッと目を開けると布団から這い出てキッチンに向かった。キッチンを覗き込むと、そこに置かれていた小さなサンドイッチを見て目を輝かせた。



「サンドイッチ!」


「サンドイッチ?」


「うん! サンドイッチだよ! とーちゃんね、いろんな味作ってくれるの!」



 南央の後を追ってキッチンを覗いた文哉は目を見開いた。朝起きてから作ったとは思えないほど細かく、たくさん作られたサンドイッチ。梅マヨきゅうり、カレーポテサラ、生ハムチーズ、和風ツナ、ぶどう。


 五種類のサンドイッチが1口サイズに切られている。ラッピングこそされていないが、お弁当箱に詰めてピクニックに持って行っても遜色ない見栄えだ。



「凄いな」


「うん! とーちゃんは凄いんだよ!」



 南央はそう言いながらサンドイッチに手を伸ばす。その手を文哉の手が捕まえた。南央が不満げに見上げると、文哉はその頭をやんわりと撫でた。



「はいはい、布団を片付けて、手洗いをしてから食べような」


「はぁい」



 南央は一瞬だけシュンとしたけれど、すぐにぱぁっと笑顔になると布団の方に駆け戻った。文哉も後を追って一緒に布団を片付けると、テーブルの位置を戻した。それから2人で並んで手を洗うと、サンドイッチをテーブルに運んで手を合わせた。



「いただきます!」


「いただきます。南央ちゃん、どれ食べる?」


「梅ときゅうりのやつ!」


「じゃあ俺もそれにしよ」



 南央がサンドイッチを両手で持って食べるのを見守りながら、文哉もかぶりつく。



「美味いな」


「んふふ」



 2人でパクパクと、あっという間に食べてしまうと、揃って満腹になったお腹を擦った。文哉が南央の口の端についていた生クリームを拭うと、南央はえへへと笑った。



「南央ちゃんは今日、何かしたいことある?」


「えっとね、お買い物連れてって欲しいの」



 南央のお願いに文哉は首を傾げた。休日は公園に行くか家で遊ぶか。東真は文哉にそう説明していた。



「何か買いたいものがあるのか?」


「うん。あのね、お小遣い貯めたからね、とーちゃんのお誕生日プレゼント買いたいの」


「誕生日?」



 文哉が目を見開くと、南央は頷いた。そして自分の棚からブタの貯金箱を持ってくると、底を開けて中身をじゃらっと取り出した。10円玉ばかりだが、500円ほど溜まっていた。



「お菓子のおつり、集めてたの」



 親族もいない南央はお年玉とは縁がない。毎月1度だけ、東真がお金の勉強を兼ねて渡した300円でお菓子を買い、そのおつりを貯金し続けていた。



「いつもとーちゃんと一緒だからお買い物できなかったけど、文ちゃんとなら買えるかなって」


「そっか。ねえ、東真くんの誕生日っていつ?」


「来週の土曜日だよ」


「土曜日か」



 文哉はスマホを開いてスケジュールを確認すると1つ頷いた。



「分かった。今日はお買い物に行こう」


「文ちゃん! ありがとう!」



 花のような笑顔を浮かべた南央は、机に広げたお金を集めてうさぎの財布に仕舞い始めた。鼻歌を歌う南央を見ながら、文哉は部屋を見回した。そしてベランダに干された洗濯物に目を付けた。


 出かけるなら、と取り込みがてら東真の服のタグを確認する。服のサイズを確認したが、どこか遠くを見やった。そしてたくらみ顔になると洗濯物を手に部屋に戻った。



「南央ちゃん」



 おめかしをして髪を一生懸命梳かしていた南央は、文哉の方をグルンと向くとトタトタと駆け寄った。



「どうしたの?」


「今日のお出かけ、お友達も一緒に行っても良いかな?」


「文ちゃんのお友達?」


「そう。会社の人」



 お風呂場に洗濯物を移動させる文哉の後ろを雛鳥よろしくついて歩く南央は、頬を膨らませながら考える。そしてポッと口の中の空気を抜くと、ニパッと笑った。



「良いよ!」


「ありがとう」



 文哉はホッと息を吐くと、すかさず片手でスマホを操作して誘いのメッセージを送信した。すぐに既読がついて、了承のメッセージを受信した。



「よし。それじゃあすぐに準備しちゃうな」


「あたしも髪の毛可愛くする!」



 南央が宣言通り鏡の前で髪の毛を結び始めると、文哉は前日の夜のうちに運びこんでおいた服に着替えた。着替え終わると、未だに歪に結ばれた髪と格闘していた南央の手から櫛をスルリと抜き去った。



「俺がやっても良い?」


「文ちゃんがやってくれるの?」


「おう。お姫様にしてあげるからな」


「お姫様!」



 目を輝かせる南央に鏡越しに微笑んだ文哉は、南央の細い髪に櫛を通してアレンジをしていった。


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