第7話 東真の過去


 東真は文哉の様子に気が付くことなく、淡々と話を進めていく。



「その後僕は祖母に引き取られましたが、娘を殺したと言われて嫌われていました。祖父は既に亡くなっていたので2人暮らしをしていたんですけど、家事のほとんどをこなすことで置いてもらっているような状況でした」



 東真は家事スキルが高い。けれどそれは望んで手に入れたものではなかった。必要に迫られて取得した、ただそれだけのもの。将来必要になるかなんて考えたことはなかった。



「その祖母も僕が中学生になった年に病気で亡くなって、今度は母の妹に預けられることになりました。その人が南央の母親に当たる人で、僕が引き取られたとき、南央はまだ2歳でした」



 穏やかな寝息を立てる南央を東真は愛おしそうに見つめる。文哉はその目にいくらか安堵して、緑茶で残りの震えを飲み込んだ。



「南央の母も南央を産む前に南央の父親に当たる男に捨てられていて、自暴自棄になりかけていました。でも、僕を引き取ると言ってくれてからはぎこちなくても愛情を注いでくれました」



 これまで淡々と話していた東真の目に涙が浮かぶ。文哉は目を見開きながらもポケットに入れていたハンカチを差し出した。



「今日はまだ使ってないから安心して」


「ありがとうございます」



 東真は差し出されたハンカチを握り締めると、何度か深呼吸を繰り返して居住まいを正した。



「その母も2年前に事故で亡くなったんですけど、僕が高校生になる前に南央の父親が僕の父親と同じであることを教えてくれていたんです」


「え?」



 ここまではなるべく静かに話を聞いていた文哉もこれには聞き返さざるを得なかった。東真は視線を落として、文哉の目を見ることはなかった。



「その続きを、聞いても良いかな?」



 文哉は努めて静かな声で問いかけた。



「南央の母は、僕の母ばかり祖母に愛されたことを妬んでいて、幸せそうな母を恋人と別れさせようと画策していたらしいんです。その甲斐あって2人が別れたと思い込んで悩みながら、父に当時のことを脅されて交際したと言っていました」



 東真は震える声を抑えながら、さらに声を潜めた。



「南央の母は自分が捨てられて、僕の母の気持ちを体感することでさらに後悔を募らせました。けれど僕を身籠ったことが理由で母が父に捨てられたことを知っていた祖母が、自分が亡くなる前に南央の母に真実を話してそれが誤解であったことが分かったようです」


「なるほどな」


「それがきっかけで、罪悪感で顔も見られなかった僕を実の子のように接しようとしてくれて。随分と良くしてもらいました。僕にとっても本当の母のようで、お母さんと呼ぶこともできました。僕はお母さんの懺悔を受け入れて、感謝も伝えられたんです」



 東真は話し始めてから1番穏やかな表情を見せた。実の母に伝えられなかった感謝を実の母のように思っていた相手に伝えられたことは、東真にとっては良い思い出の1つになっていた。



「お母さんが亡くなってからは南央と2人で暮らすようになりました。僕のバイト代で生計を立てて、足りない分は母と祖母とお母さんが遺した少ないお金を切り崩している状況なんです。南央が大学に行けるくらいのお金は貯めたくて、自分にお金を賭ける余裕なんてないんです」



 そう言い切った東真は緑茶を啜った。ホッと息を吐いてからようやく視線を文哉に向けると目を見張った。眼鏡を外した文哉はボロボロと泣きながら、拳を白くなるほど握り締めていた。



「えっと、文哉さん?」


「東真くん。よく頑張ってきたね」



 戸惑う東真に、文哉は1つ1つの文字に心を込めるように言葉を絞り出した。その言葉に一瞬だけ身を固めた東真はみるみるうちに目を潤ませると、ようやく涙を零した。


 ボロボロと涙を零す東真の隣に四つん這いで近づいた文哉は、涙を拭うことなく東真を強く抱き締めた。声を出さないように嗚咽する東真が気にしなくて良いように、東真の頭を引き寄せて口元を自らの肩口に持っていく。



「よく頑張った。頑張ったな」


「っく、ぐすっ、ふっ……」



 東真を褒める文哉の声も震えている。お互いにお互いの肩口を濡らしながら、ひたすらに嗚咽して、東真のこれまで吐き出すことが許されなかった涙を解放した。


 どれくらいそうしていただろうか。東真が泣き止んでもなお涙を流し続ける文哉の涙を東真が拭った。



「どうして文哉さんがそんなに泣くんですか?」


「これは、東真が我慢してきた分だから」



 涙を袖で拭いながらそう言った文哉に、東真は顔の中心に力を込めてさらに溢れてきそうになる涙を堪えた。



「ありがとうございます」


「良いの。俺がしたくてしてるんだから。っていうか、勝手に出てきたわ」



 しっかり涙を拭った文哉は、自分の涙をたっぷり吸い込んだ自分の袖と東真の肩口を見て苦笑いを浮かべた。



「着替えないと風邪引いちゃうな」


「でも、僕の服は洗濯中なので着替えられないですよ?」


「良いよ、俺の貸すから。ちょっと待ってて」



 文哉は眼鏡を掛け直して自室に着替えを取りに向かう。その背中をボーッと見ていた東真は、四つん這いで南央の布団に近づいた。



「南央、大好きだよ」



 その小さな頭を撫でると、南央は眠ったまま東真の手に擦り寄って微笑んだ。



「お待たせ。東真はこれ着て。着替えたら寝ちゃおう」


「ありがとうございます」



 戻ってきた文哉は東真に青いティーシャツを手渡した。お腹に大きくくまのキャラクターがプリントされたそれ。東真が着替えてティーシャツから頭を出すと、同じく着替えた文哉のお腹にも同じくまのキャラクターがプリントされていた。



「お揃い。良いでしょ。ほら、寝よ寝よ」



 外した眼鏡を机の上に置いた文哉は有無を言わせずに自分が先に東真の布団に潜り込む。そしてトンネルを作って東真を招き入れた。東真を中心に、3人で並ぶ。



「東真、話聞かせてくれてありがとな。おやすみ」


「はい、おやすみなさい」



 話して泣いて。文哉は疲れてすぐに眠ってしまった東真の頬をするりと撫でる。



「俺に何ができるか分からないけど、できる限り力になるからな」



 そっくりな寝顔で寝息を立てる兄妹に向けてそう呟いた文哉は、東真を抱き枕のように抱き締めて眠りについた。


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