第3話 楽しい折り紙
文哉は仕事が終わると、アパート【ニューストーリー】に借りている自室で着替えた。そのまま部屋で何かをすることもなく部屋を出ると、隣室に合鍵を使って入っていった。
「ただいま」
1週間もこの行動を続けていると慣れてくるもので、部屋に入ることに躊躇いもなくなっている。それどころか自宅と認識しているかのような物言いだ。
東真によって日々綺麗に整頓されている部屋。文哉は窓を開けると3日目に部屋から持ち込んだ黒い座布団に座ってボーッと窓の外を眺める。そよ風が文哉の重たい前髪をふわりと持ち上げる。光が入った文哉の眼鏡の奥の小さな黒い瞳は、星空のように輝いた。
「うーん」
持ち上がった前髪を抑えた文哉は
「とーちゃん、今日のお夕飯は?」
「今日はハンバーグだよ」
「文ちゃんが好きなやつ?」
「そう。昨日凄く疲れていたみたいだから。ちょっとでも元気が出れば良いなと思ってね」
「あたしも手伝う!」
「ふふっ、ありがとう」
いつも通り手を繋いで帰ってくる2人。ベランダに出た文哉は柵に凭れながらその様子を眺めていた。その口元はゆるりと緩んでいる。
「あっ! 文ちゃん! ただいま!」
「おかえり」
下からブンブンと手を振る南央に、文哉はひらひらと手を振り返した。満足げに笑った南央は東真の手をグイグイと引っ張って階段を上がる。これには東真も呆れながら笑って引っ張られるほかなかった。
「ただいま!」
「ただいまです」
南央がドタバタと部屋に駆け込む後ろから入った東真はドアに鍵をかけた。南央は靴だけ揃えたら後のことには構うことなく文哉の元に駆け寄る。ベランダから部屋に戻った文哉も、窓に鍵を掛けたらそのまま腕を広げて南央を受け止めた。
「南央ちゃん、おかえり」
「えへへっ」
南央は満面の笑みで文哉にしがみつく。文哉はふやけた顔でその丸い頭を撫でると、そのまま抱き上げてキッチンに連れていった。
「ほら、帰ったらまず手洗いだろ?」
「はぁい」
文哉は南央をキッチンに置かれた踏み台に下ろす。袖を捲ってやると、先に手を洗い終えてエプロンを被った東真の肩を叩いた。
「東真くんもおかえり」
「はい、ただいまです。文哉さんもおかえりなさい」
「うん、ただいま」
東真は視線を泳がせつつ、はにかみながらエプロンの紐を結ぶ。文哉はそんな東真を満足気に見上げる。
「文ちゃん遊ぼ!」
「……おっ、良いぞ」
踏み台からピョンと飛び降りた南央は満面の笑みを浮かべたままグイグイと文哉の手を引く。文哉はチラリと東真に視線を送る。東真がコクリと頷いたのを確認すると、南央が導くままにリビングに向かった。
東真がハンバーグを作る間、文哉は南央が棚から引っ張り出してきた折り紙を受け取った。
「何作る?」
「んふふ、気の向くままに折るんだよ?」
「おっと……?」
南央の言葉に目を見開いた文哉は、一瞬固まるとギギギッと油を求める機械のような動きで東真に視線を送った。東真はその視線に気が付くと、小さく笑いながら左の拳を見せた。
「頑張ってください」
「おう、頑張るわ」
文哉はしばらく南央の手元を観察する。南央はそれを気にする様子もなく折り紙を思った通りに折っていく。
「南央ちゃんは何を折るって決めてるのか?」
「決めてなぁい。あのね、成り行きに任せるのも大事なの」
「ほう。なかなか深いことを言いますな」
「そうじゃろ?」
急に古めかしい言葉遣いになった2人。東真はハンバーグの種を捏ねながら肩を震わせた。そして文哉と話しながら満面の笑みを浮かべる南央を見つめると、フッと目を細めて微笑んだ。
種を成型して油を敷いたフライパンに並べると、蓋をしてじっくり焼き始める。その間に人参を切って耐熱皿に並べると、水、砂糖、バター、塩で和えてレンジに放り込んだ。立て続けに残しておいた人参とキャベツを隣のコンロで火にかける。そしてハンバーグをひっくり返す。
ここでようやく一段落ついた東真は、手を止めてリビングで折り紙を楽しむ文哉と南央を眺めた。2人が真剣に折り紙と向き合っている姿に笑みを零した東真はポケットから取り出した英単語帳を開いた。
「お?」
ふと顔を上げた文哉は東真が英単語帳を読む姿を見て眉を顰めた。そして自分の手元を見て、部屋を見回す。
「文ちゃん、どうしたの?」
文哉の手が止まったことに気が付いた南央が首をこてっと傾けると、文哉は天を仰いで墓に潜った。いわゆるキュン死。そして軽い咳払いと共に生き返ると、南央の小さな頭をポンポンと撫でた。軽率に死に軽率に生き返る、完全なるヲタクだ。
「いや、俺も何か手伝えないかなって思ってさ」
「お手伝い……」
南央は短い腕を組もうとして組めていない状態でうーんと声を漏らす。その隣で文哉はもう1つ墓を建ててそこに潜ると、多幸感に満ちたため息と共に生き返った。
「あっ!」
南央はパカッと口を開けて文哉を振り返る。文哉は呼吸を止めてどうにか墓に潜る前に留まった。
「どうした?」
「明日、文ちゃんお仕事?」
「いや、土曜日だからお休みだよ」
「それじゃあ、あたしと一緒にいて!」
突然の申し出に、文哉の首はゆっくりと傾いていった。
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