第2話 美味しいご飯


 衝撃で両サイドにズレた前髪の隙間。文哉は目を白黒させながら目の前に座る男女を交互に見た。ランドセルを傍らに置いた少女。肩ほどに伸びた焦げ茶色の髪。その一部は高い位置で括られている。黒っぽい瞳が文哉をキラキラと見つめる。


 その隣に座る近所の高校の黒いブレザーを着た青年。肩にかかりそうなほど伸びた黒髪をハーフアップにまとめた青年は真っ黒な瞳に柔らかな笑みを浮かべている。



「えっと、俺は新張文哉です。会社員です。その、すみません、記憶が飛んでいて状況が分かりません」



 居住まいを正した文哉が縮こまって東真に問いかける。東真は文哉の姿を見ながら少し考えると、またニコリと柔らかい笑みを浮かべた。



「僕は大日向東真、この子は僕の妹の南央です。お隣から凄い音がして、気になってチャイムを鳴らしたら新張さんがフラフラしていて、お腹が空いている様子だったので家に連れてきました」



 それなりに端折ったけれど、嘘は言っていない。東真の真っ直ぐな瞳にうんうんと頷いた文哉は、神妙な顔で深々と頭を下げた。



「ご迷惑をおかけして申し訳ありません」


「いえ。2食作るのも3食作るのも手間は変わりませんから」



 東真はなんでもない風にニコリと笑うが、文哉は目の前でほかほかと湯気を立てている雑炊とオムライスを見て眉を下げた。


 そんな2人の顔をキョロキョロと交互に見た南央は文哉のスーツの裾をクイクイと引っ張った。文哉が南央に顔を向けると、南央はきゅるりと文哉を見上げる。



「あったかい方が美味しいよ」



 文哉はもっさりと下りた前髪の奥で目を見開いたまま固まった。南央がこてっと首を傾げると、ようやく現実に戻って来た文哉は大きく息を吸う。何かを堪えるようにグッと口を引き締めた。



「そうだよな! うん、食べます!」



 文哉はスプーンを持つと、ちょうど良い温度まで冷めた雑炊に口を付けた。なおもふんわりと口の中に広がる優しい出汁の香り。文哉が口元を緩めると、南央はニコニコとスプーンを手にしてオムライスを頬張った。



「南央、お口にお弁当が付いてるよ?」


「んふふ、お出かけしなきゃ」



 東真はキャッキャと笑う南央の口元についたケチャップライスを拭って、それをパクリと食べた。それから自分もスプーンを持ってオムライスを食べ始める。満足げに微笑む東真を横目に見た文哉は、そっと部屋を見回した。


 ワンルームの部屋の西側は一面全てが赤やピンク、白で統一されている。勉強机とその周りに並ぶ小学校1年生向けの教科書、カラフルな洋服が仕舞われた衣装ケース。南央のためのスペースだと分かる。


 東側には白いカラーボックスが2つ並べられていて、そこに東真のものらしき高校の教科書やジャージとワンセットのズボンとシャツが入れられている。そして押入れからは布団の端らしき布がはみ出ている。


 部屋を見回しながら眉間に皺を寄せていた文哉は、柔らかく目を閉じると南央に視線を戻した。また豪快にオムライスを頬張る南央の口元は赤く染まっていて、それを見た文哉は小さく笑った。



「新張さん?」


「文哉で良いよ。俺も東真くんで良いかな?」


「はい、大丈夫です。それで、どうかしましたか? その、なんだか悲しそうに見えたので」



 文哉は目を丸くした。けれど目元に薄っすらと雫が溜まっていたことを自覚すると、前髪を払うふりをしてそれをそっと拭った。その瞬間にちらりと覗いたのは顰められた眉。東真は文哉の心を映すように眉を顰めて唇をキュッと引き締めた。


 文哉は東真の表情に小さく口を開いた。けれど音は発することができなくて、そのまま逡巡するように再び口を閉ざした。しばらくの間、南央のスプーンとプラスチック製の皿がぶつかるカツカツという音だけが部屋に響いた。



「実は最近仕事が忙しくて食事をおろそかにしていて。普段ならコンビニでお弁当を買ってくるんですけど、そんな余裕も最近はなくて。それに誰かと食事をするなんて数年ぶりだったので、とても温かい気持ちになりました」



 文哉はゆるりと口の端を持ち上げた。重たい前髪で目元が隠れていても、文哉が醸し出す空気感を東真は受け取った。そしてじっと文哉のよれたスーツと細い頬、重たい前髪を順に舐めるように見つめる。


 文哉が多少の居心地の悪さから身を捩って食事に意識を戻す。それでもジッと文哉を観察していた東真は、瞳に強い光を宿してゆっくりと深く頷いた。口元がキュッと持ち上げられて、いつもの人懐っこい柔らかい笑顔を浮かべた。



「文哉さん、良ければしばらく家でご飯を食べませんか?」


「え?」



 文哉は雑炊を掬う手をピタリと止めた。目を丸くしたままゆっくりと東真を見上げる。東真は人懐っこい笑みを浮かべたまま文哉を見つめ続ける。



「これも何かの縁だと思いますし」


「いやでも、ご家族にも悪いですし」


「大丈夫です。僕と南央は2人暮らしですから。それに、もちろんタダではこんなことは言いません。南央の、話し相手になってもらえませんか?」



 オムライスを食べ終わった南央が首を傾げて東真を見上げる。東真はその丸い頭を形を確かめるようにゆっくりと撫でる。南央はうっとりと目を細めながら文哉に視線を送った。



「お兄ちゃん、あたしもお兄ちゃんと一緒にご飯食べたり、お話したりしたい!」



 天真爛漫な笑みに文哉は撃ち抜かれた胸をグッと抑えた。



「南央ちゃん、可愛すぎる」



 文哉は誰にも聞き取れないほど小さな声で呟くと、はぁっと大きく息を吐いた。良い歳をした大人が高校生と小学生に心配される情けなさを感じながら、普段触れることのない幼子、南央の可愛さに悶える。



「お世話になります」



 参ったとばかりに頭を下げる文哉に、東真と南央は目を輝かせて顔を見合わせる。そして小さくハイタッチすると擽ったそうな笑みを浮かべた。


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