第4話 大事な涙


 文哉の首が傾ききったころ、キッチンではほとんど全ての工程を終えた東真はご飯をお茶碗に、スープをお椀によそっていた。ハンバーグと付け合わせの人参グラッセも盛り付け終わって、後は運ぶだけ。



「明日は何があるんだ?」


「えっとね、とーちゃん、この前ね、明日はお仕事はないけどテストはあるんだって。でも、あたしがいるから休むってお友達に言ってたの。あたしが文ちゃんといれば、とーちゃんは……」


「南央。ストップ」



 すっかり話し込んでいた文哉と南央の頭上から、東真の声が降り注ぐ。その声は鋭く、それでいて震えていた。



「文哉さん、すみません。大丈夫ですから。南央、文哉さんは毎日お仕事頑張って、やっとお休みなんだよ? お休みさせてあげないと」


「いや、東真くん……」


「ご飯ができましたから、食べましょう」



 東真は文哉の言葉を無理やり遮った。そしてぎこちなく笑うと、キッチンに戻って行った。



「あ、あたしも手伝う!」


「……うん、よろしくね」



 東真は深く呼吸をして、1拍置いてからいつもの柔らかい笑顔で南央に振り返った。南央はその笑顔に笑い返すと、ハンバーグのお皿を持って慎重に運び始めた。



「俺もやるよ」


「えっ、でも……」


「東真くんは学校に行って、バイトもして、料理をする間にも勉強して。俺よりよっぽど忙しいんだ。頼れるときは頼れば良い」



 文哉がそう言いながら肩を叩くと、東真は目を見開いて固まった。固まっている間に文哉はひょいひょいとお皿を運び終えた。箸が仕舞われている場所も見ていて覚えていたから、ササッと準備をして東真の手を取った。



「東真くん、ご飯ありがとう。食べようぜ」


「はい」



 東真は潤んだ目元を擦って、少し震えた声で答える。文哉は東真の手を引いて、東真の青い座布団に座らせた。



「南央ちゃん、挨拶お願い」


「うん。いただきます!」


「いただきまーす」


「いただき、ます」



 ハンバーグを1口食べた東真の瞳から、ポロリと1滴の涙が零れた。文哉は東真の頭をくしゃりと撫でると、オロオロしている南央に笑いかけた。



「美味しいです」


「だよな。俺も、すっかり東真に胃袋掴まれたからな」



 文哉はぽつりと呟いた東真の頭をゆっくりと撫で続ける。南央はそれをジッと見ると、真似をするように文哉の反対側に立って東真の頭を撫で始めた。



「あたしもとーちゃんのご飯大好きだよ。だから、泣かないで?」


「ありがとう。文哉さんも、ありがとうございます」



 箸を置いた東真の目からはとめどなく涙が流れる。南央も最初こそ我慢していたけれど、つられるように泣き出してしまった。文哉は2人の間に移動すると、まとめて腕の中に抱きしめた。



「俺はまだ会って1週間しか経ってないし、世話になってる立場だけどさ。東真が凄く頑張ってるってことは知ってるからな」


「文哉さん……」


「できるならもっと2人の力になりたいし、2人のことをもっと知りたい。それは東真と南央が頑張ってて、俺に優しくしてくれるから。だから俺も恩返ししたいって思うんだよ。だからさ、まずは東真が背負ってるものを俺にも分けてみてくれないか?」



 文哉の言葉に東真はコクコクと頷いた。東真は左腕で南央を抱き寄せて力強く抱きしめる。そして右手は、文哉の部屋着の裾を小さく握っていた。それに気が付いた文哉は小さく笑って東真の頭を優しく撫でた。



「今はそれで良い。とりあえず、明日は俺が南央ちゃんと一緒にいる」


「でも、折角のお休みに」


「南央ちゃんといれば俺は癒されるからそこは大丈夫」


「それは、まあ、確かに癒されますけど、身体辛くないですか?」



 東真が恐る恐ると言った様子で東真を見上げると、文哉はプッと吹き出した。



「なあ、もしかして東真くんは俺のことをとんでもないおじさんだと思ってる?」



 その言葉に東真は固まった。南央はキョトンと文哉を見上げる。文哉は2人のそんな様子を見て思わず後ろにひっくり返った。けれど完全に伸びてしまえるようなスペースはないために途中で起き上がる。



「あのなあ、これでもまだ29だから」


「いや、文哉さん顔が前髪と眼鏡でほとんど見えないので分からなくて」



 東真がしどろもどろになりながら弁明すると、文哉は眉を下げながら前髪を弄った。南央は文哉の前髪に手を伸ばすと、ピラッと持ち上げた。そしてジッと文哉の顔を見つめるとふわりと笑った。



「文ちゃん格好良いね」


「前髪切るわ」


「良いんですか?」



 南央の言葉で即断即決した文哉に、すっかり涙が引っ込んだ東真が目をぱちくりさせると、文哉は鼻先まで伸びている前髪を弄りながら頷いた。



「仕事中は今でも左右に分けて目は出すようにしてるから問題ないし、流石にこの長さは邪魔だと思っていたしな。それに南央ちゃんに格好良いって言われるなら切りたい」



 グッと拳を握った文哉に、東真と南央は顔を見合わせて吹き出した。それを見た文哉は頬を緩ませるともう1度2人を強く抱きしめた。



「よし。冷める前に美味しいご飯を食べようか」


「はい」


「ハンバーグ!」



 3人でもう1度テーブルにつくと、ほんの少しだけ冷めてしまったご飯を食べる。それでも文哉と南央は美味しいと頬を綻ばせる。それを見た東真は、はにかんでスープを1口啜った。


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