第13話 涙の意味

 次の日、正直にありのままを話そうと決意し、放課後、未歩の練習するレッスン室へと向かった。


 右手には、恭子センパイと繋いだ手の感触が未だに残っている。

 いきなりで避けようがなかったが、あまり深く考えもせず、一緒に帰ったのは、確かに誤解を生む行為だったかもしれない。


 シュウとの約束はあったが、ビーエモにはもう立ち寄らないようにしなければならないだろう。しかし、未歩はすでに愛想をつかしているかもしれないのだが……。


 レッスン室の前を歩いていると、かをりがオレを見つけて近付いてきた。


「未歩、まだ教室にいますよ」


「そっか……」

 

「手紙書いたって言ってたわ」


「手紙?」


 オレは少し驚いてかをりの顔を見返した。

 

 話もせずに手紙ということは、もうすでに言うことは決まっているっていうことだろうか? 頭の中に浮かんだその内容はひとつだった。


 オレの横顔を、黙ったまま、かをりがながめている。


 こんなはずじゃなかった。

 面と向かって話がしたい。自分の気持ちをちゃんと言葉で伝えて分かってもらいたい。


 オレはかをりの顔を、まともに見返すことが出来なかった。


 かをりが教室へと戻って行き、そのままレッスン室の前で待っていると、手紙を持ってきたのは、かをりではなく、未歩自身だった。

 

 クリーム色の封筒をオレに手渡すと、未歩は静かに微笑んだ。オレはとりあえず、これを読んでから返事すると伝えた。


 未歩が去った後、それをポケットにしまい込んで、駐輪場に向かった。最近、晴れている時は、なるべく自転車に乗るようにしている。オレは学生カバンをカゴにいれると、その場で思い切って封を開けた。

 

 二つに折りたたまれた、一枚きりの白い便箋びんせんを広げると、拍子抜けするほどの短い文面。

 しかも、デートのお誘いだった。


 オレはにわかに信じられない気持ちで、その手紙を何度も読み返した。


 来ないでほしいような、それでいて待ち遠しくもある妙な週末は、すぐにやってきた。

 いつものパーカーはやめて、サマージャケットを羽織る。


 ――メンズノンノの特集

 

  コンサバでキめよう!


 ちょっとこぎれいにって意味だろうか?

 分からずとも、モカシンの革靴に足を突っ込む。


 少し大人の顔をして電車に揺られ、待ち合わせの駅に着いた。改札を通り、駅前広場に出ると、銀色のモニュメントの前に、夏色のワンピース姿の未歩が立っていた。


 人ごみの中からオレを探そうとする姿にキュンとくる。

 街を歩き、映画を見て、ハンバーガーを食べる。普通過ぎるくらい普通なデートだ。


 そろそろデートも終わりという時に恭子センパイとの一件を謝ると、かをりからも色々話してもらったし、もう大丈夫、と返された。


 おそらくかをりがシュウに頼み、恭子センパイから事情を聞いて助け舟を出してくれたに違いない。

 あっさりしすぎて拍子抜けしたが、疑いが晴れて心が軽くなる。


「夏休み中にまた会える?」


 別れ際、信じられないことに未歩の口からそんな言葉が出てきた。その言葉の通り、オレたちは夏休みの間、何度か二人きりで会った。


 デートの最中、未歩はやけに明るくさっぱりした表情で微笑む。

 二人にとってマイナスにも思えた出来事は、実はよりきずなが深まるための、神様からのプレゼントだったのかもしれない。

 



 あと一週間で新学期が始まるという時、未歩から突然電話があった。学校で練習しているから来て欲しいという。


 今日はどの部活も休みのため、補習のために呼び出された何人かの生徒が登校してきているのみだ。もちろん音楽学科の棟もしんと静まり返っている。

 音楽室の扉を開けると、未歩が一番前の席に座っていた。しかし、なんだかいつもと雰囲気が違う。


「髪、切ったんだ……」


「うん……」


 未歩は少し顔を赤らめてうつむいた。肩まで伸びた黒髪は、出会った頃のように、綺麗にあごのラインで切り揃えられていた。


「ここに来て」


 オレは未歩が勧める席に座った。未歩はピアノへと移動し、楽譜を譜面台の上に置く。


「やっと上手く弾けるようになったの。一番最初に聴いてもらいたかったから」


「オレでいいの?」


「もちろん。リラックスして最後まで聴いてね」


 未歩が鍵盤に向かって両手を構えると、凛とした静けさが訪れた。少し浮かせた右腕をやわらかく下ろすと、小さく和音が鳴り響く。なめらかなタッチでメロディーを奏でる右手と、軽やかにリズムを刻む左手は、時に強く、跳ねるように鍵盤を叩く。

 オレはピアノ自体も、今弾いてる曲がどういうテーマなのかもわからない。だけどそんな事は大したことじゃない。

 今、ここにしかない小宇宙のなかに二人は包まれている。


 どれだけの時間が経っただろうか?

 ほんの数分だったような気もするし、永遠のように長い時間だった気もする。最後の曲が終わる頃、未歩はその瞳にうっすらと涙を浮かべていた。最後の一音を叩いた指先がゆっくりと鍵盤から離れると、しばらく余韻に浸るように、ぼんやりと宙に視線をさまよわせている。 

 オレは胸がいっぱいになり、なんて声をかけたらいいのか分からなかった。小さく拍手をすると、我に返ったようにオレを見て微笑んだ。


 新学期が始まった。

 その知らせを聞いたのは、始業式が終わって解放された後だった。


 ――未歩が留学することになった

 

 朝のホームルームの終わりに、担任は、少し重々しい雰囲気で皆にそのことを伝えたらしい。

 驚いたことに、クラスメイトの誰一人として、本人からは何も聞かされていなかった。かをりは目を赤く腫らしながら、自分の机の中に入っていたと、二通の白い封筒を取り出した。

 一通はかをりに、もう一通はオレに宛てたものだった。

 

 かをりは一度だけ、未歩が小さい頃に海外で暮らしていたという話を聞いたことがあると言った。それはとても素敵な記憶だったらしい。

 

 オレはやっとあの日の涙の意味を理解した。


 夏休みのデートは、最後の思い出作りだったのだろうか?

 未歩は実に清々しい表情をしていて、充実したエネルギーに包まれていた。そしてふとした瞬間に、寂しそうな笑顔を見せるのだった。

 オレは今さらながらそれが、自分とのゴタゴタの解決などという、小さな出来事のためのものではなかったと気付かされたのだ。


 手紙には、今までの感謝の気持ちがつづられていた。


 そしてオレはこの日から、音楽室のある棟の長い廊下を、授業以外の時間に通る事は無くなった。




「こんな時に何やけどさ……」


 それから何日か経ったある日、シュウは少し遠慮がちな顔をして、オレの目の前に、二枚のチケットをかざした。


「お前これ、どうしたんだよ」


 オレは思わず声が大きくなった。

 そのチケットには、「アリサマリサ・シークレットライブ」と記されている。


「すげぇやろ? このライブ、ビーエモが協力してるんやって」


 チケットにはSTAFFONLYと表記されている。


「ビーエモに行った時、恭子センパイに貰ったんや」


「マジで? ホントにオレらが行っていいんか?」

 

 オレが喜んだことにホッとしたように、シュウは笑った。


「あぁ、恭子センパイが梨九と楽しんできなってさ」

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