第11話 胸の疼き

「梨九ちょっといい?」


 接客をしていた恭子センパイが戻ってきて、あらたまった様子で言った。


「私、今日これで上がりなの。そこまで一緒に帰らん?」


「はぁ、いいですけど……」


「じゃ、決まりね。外で待ってて」


 数分後、店から出てきたセンパイは、通行人も気にせずに背伸びをした。


「はぁ~、空気が気持ちいいわぁ」

 

 ストーンズのロックTシャツに長めのカーディガンを羽織り、細身のデニムの足元はスニーカーからヒールに変わっている。


あねさん、お勤めご苦労さんです!」


 オレは姿勢を低くして腰を折り、任侠にんきょう映画の子分の真似をした。少し照れを感じてふざけてみたくなったのだ。


「ちょっとやめてや。恥ずかしいやろ」


 彼女はオレを無視してすたすたと歩き始めた。


 商店街の提灯には明かりが灯り始めている。小走りで追いつくと、横目でオレを見て、くすりと笑う。


「シュウも変わってないけど、梨九も相変わらず馬鹿やね」


「そういう恭子センパイも全然変わってないっすよ」


 そう言いながらも、リップとは違う華やかな口紅の色や、耳元で光を放ちながら揺れるピアスなど、恭子センパイが少しずつ変わっていく様は、否応なしに感じ取れる。


「実は私、最近一人暮らし始めようと思ってるんやで」


「えっ、そうなんですか?」


 この年頃の年齢差は、周りの大人が考えるよりも遥かに大きい。ましてや一人暮らしという響きは決定的で、文字通り住む世界が違う。


「親戚の伯母さんが大家さんやってて、ガソリン代と変わらんくらいの家賃にしてあげるって」


「いいなぁ、センパイもついに一人暮らしかぁ……」


「よかったら遊びに来ん?」


「え?」


 驚いたオレを、センパイは見透かしたように笑った。


「ちょっと、からかわんといて下さいよ」


 高校の頃、面と向かって「憧れています」と打ち明けた覚えはないけれど、オレの気持ちは伝わっていたと思う。

 

 いつだったか、オレが好意を寄せていることを、冗談っぽくシュウがばらした。すると彼女は、あっけらかんとした調子で、私も梨九のこと好きやで、と言ったのだ。


 その頃から彼女は、冗談とも本気ともつかない態度をオレに取るようになった。


 しかしその淡い期待は、あまりにあっけない結末を迎えた。恭子センパイには本命の人がいると、人づてに聞かされてしまったのだ。


 憧れと恋心を行ったり来たり揺れ動いた気持ちは、宙ぶらりんのままきれいに封印され、今に至っている。


「梨九……」


 だしぬけにそうつぶやくと、センパイは歩きながら、何故か握手を求めるように手を差し出してきた。その意味をとっさに考え、オレは制服のブレザーの左右のポケットに手を突っ込んで中身を引っ張り出した。


「あの……、今日は持ってないっすよ。服装検査があったんで」


 すると彼女は目をぱちくりさせ、口を尖らせた。


「ちょっと、何で社会人の私が高校生に煙草せびらなきゃなんないのよ」


「えっ? じゃあ何なんですか?」


「手!」


「手……?」


「そうよ、早く。手を貸して。違う、そっちじゃないほう」


 言われた通り右手を差し出すと、彼女はその手をぎゅっと握り返し、そのまま歩き始めた。


「センパイ、なんすか、これ?」


 オレは照れくさくなって聞いた。


「いいから、いいから……」


「いや、だから……」


「ほら早く、信号変わっちゃうよ」


 センパイは恥ずかしがるオレの手を無理矢理引っ張り、走り出した。


「シュウが青春してるの見たら、羨ましくなってんた!」


 懐かしく甘酸っぱい胸のうずき。


 ちょっと強引で自分勝手なこの人の明るさに、オレは惹かれていたのだ。

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